【異世界の姫君/91話】

土砂を跳ね上げるほどに強く降り続ける雨は、一向に止む気配はなかった。

「――おおおぉッ!!」

鈍い音を立てながら剣を魔族の首筋に刺し、雄叫びと共に首を撥ねる。

どこかに飛んでいった首の行方などには微塵も興味を示さぬレティシスは、命の宿らぬ肉塊となったモノを力強く蹴り飛ばしつつ、剣を引き抜いた。


少なくなってきた敵の姿を捉えるが、そこへリスピアの騎馬隊が押し寄せ、馬体で壁を作るようにして応戦している。

わざわざ突入してまで魔族を刈り取るような気にもなれず、次の獲物の目星をつけるべく、素早く視線を走らせた時のこと。


「チッ……!」

空から赤い光が降り注ぎ、城壁を破壊して連続的な小爆発を起こす。

豪雨をものともせずに炎はその舌を伸ばし、舐めるように焼く。

着火した投石機は地響きのような音を上げ、倒れた。周囲の兵士は素早く待避したようだったが、逃げ遅れた――良い言い方をすれば、持ち場を離れなかった大半が巻き込まれているだろう。


(この光は、ラーズによるものか……)

レティシスは眉を寄せ、飛来した方を見つめる。竜騎士達が向かうそこには、銀色の飛空艇が浮いていた。

『――アルガレスは今、天翔る船を研究中だ。
いつか実用化が成功し、導入されれば貨物や人間が今までよりも早く、安全に運搬できるようになる』

カインはその青い瞳に優しさを浮かべつつ、平和に暮らせる世が一日も早く訪れればいい、と言っていた。

魔王に停戦を求めるため、ルフティガルドまで旅を続ける彼らは、時折将来の夢や自身のことを語り合う。

ラーズはいつも主であるカインを支え、レティシスも仲間を深く信頼しきっていた。


そんな日もあったというのに。

戦場で物思いに耽る隙だらけのレティシスへ、近づいてきた巨人が棍棒を振り上げた。

叩き潰さんと思い切り棍棒を振り下ろす。地面がその衝撃に耐え切れず、周辺の地面が沈下したが……そこにレティシスの姿はない。

彼は既に上空へと跳躍し、棍棒の一撃を軽々と避けていて巨人の大きな一つ眼を水平に切り裂く。

巨人の声にならぬ叫びを聞きながら、レティシスは着地する前に敵の隆々とした右腕と右足を即座に切り落とす。

前のめりになった巨体を、自身の身体に倒れ込む前に恐ろしい速度で切り刻んでいく。

ばしゃばしゃとバケツに入った水をひっくり返したように、激しく滴る魔族の血と肉片を浴びてなお表情ひとつ変えぬレティシス。

一息ついたところで再び赤い光が降り注ぎ、城門を貫いて吹き飛ばす――が、執務室にもそれは落ちてしまった。

「――……!」

驚きに目を見開いたレティシスだったが、爆発音は聞こえてこない。

そういえば、アヤが『止めることができるかもしれない』ような事を言っていた。その方法で阻止したのだろうか。

(無事なら、どうでもいいけどな……)
――リスピアのことなんて、どうでもいいって思ってるでしょ。

ついでに、アヤがレティシスに文句を言った事を思い出して、ふんと鼻を鳴らした。

確かに――この国が滅びようが繁栄しようが、彼自身の何かが変わるわけではない。どうでもいいのだ。

なるようにしかならないのだから。

もし滅べば、カインはシェリアの封印を解こうとするだろう。

そして……今度こそシェリアは殺され、力を奪われてしまう。ラーズはもう、止めに入らないはずだ。


(シェリア……あんたは、どうしたい?
自分がそんな身体になってもカインを助けようとして、結局傷ついて。
俺に重要な事頼み込んで、俺の記憶までいじって――自分は封印を望んで。
あんたが助けたかったものは、もうどこにもないのに……)

彼女はそれでも――良かったのだろうか?


『――残されたくないから。生きて帰ってきて欲しいから、私はそれを手伝いたい……!』

アヤがレティシスを睨みながら告げた言葉を、その時は苦々しい気持ちで聞いていた。

アヤはどこかしら、シェリアに雰囲気が似ていて、シェリアも同じように言いそうだなと思った。

しかしアヤはアヤであって、シェリアはシェリアだ。彼女たちは似ているわけでもないのだ。

それはわかっているが……アヤに頼られるのは、まだ迷いがあるのを見透かされているかのようで嫌だった。だから邪険に扱ってしまう。


「――……こんなときに何考えてんだよ、俺は」

アヤの事もどうでもいい。とにかく目の前のことに集中しなければいけないのに。

自分の働き次第で、ルエリアは約束を守ってくれるはずだ。


だが、再び動き出そうとしたレティシスの前に――光の柱が現れた。

「――ラー、ズ……」

そこから出てきたのは、マジックマスター、ラーズ。

レティシスの姿を認めて降りて来たのか、また別の思惑があっての偶然か。

お互い、しばし無言で視線を交わらせた。


「皮肉なものですね。かつての仲間が、敵にいるのも」
「そうだな……あのときあんな風に別れてなかったら、俺たちは――」
「――ありません。もう、わたしはわたしの在り方を決めたのです。カインが魔王であろうと、側に仕える、と」
「それがあんたの、罪滅ぼしなのか? 大事な妹を見殺しにしてでも、そうしなけりゃいけなかったのか」

レティシスの挑発じみた受け答えに、ぴくり、とラーズの眉が動いた。

「もし、シェリアがわたしだったとしても。自分と同じ道を進んだでしょう……妹の場合は、わたしよりも強く願ったかもしれません」
「だったら――残されたほうは、魔王を倒すために立ち上がるとでも? ラーズ。あんたはそうできるか?」

その質問に、稀代の魔術師は答えない。

レティシスは唇を噛んで、なんで、と呟いた。

「――なぜ、というならレティシス。わたしも聞きたい事があります」
「……」
「わたしの妻の実家に身を寄せていた……あの方を、どうしましたか?」

ラーズは静かな怒りを乗せて呟く。

「あの方? 知らないな」
「知っているはずです。貴方が――誘拐したのだから。どこにいるのです」
「勝手に濡れ衣着せてひどい言いぐさだな。知らないよ」

レティシスが首を横に振っても、ラーズはその表情を更にきつくするだけだった。

「じゃあ質問だけど。カインがそいつを殺せっていったら、あんたは……殺せるのか?」
「――ええ。それが命令なので。亡骸を確認しなければなりません」
「……仮に、自分の子供を殺せって言われたらどうなんだよ。出来るのか?」
「主君がそうお望みになられるならば」
「……なんで、そんなこと言うんだよ。あんたも……! 人間(ひと)に戻れよッ!!」

抑え切れぬ悲しみを振り切るようにレティシスは土を蹴ったが、水しぶきも大きく跳ね、双方の間を遮るように濁った薄い水壁が広がる。

――二人の視線は交差し、戦闘の体勢へと移行した。
「ラーズ、あんたの魔法の腕には誰も敵うものは居ない。
だが――もうあんたは力を持っただけの人形だ。
主を正すのも臣下の役目だろ?! あの時シェリアを助けることも出来たはずだ!
家族を助けることも出来ず、主君が間違っても止めることもできない! そんな人形に、シェリアもあいつも渡す訳にはいかない!!」
「――……レティシス……。やはり、貴方だったのですね」
「だったらなんだ!」

ラーズが手を前にかざし、レティシスは呪文を察知して素早く横に跳ぶ。

レティシスが立っていたあたりの地面から鋭利な土の刺が出現した。もしもレティシスが察知できなければ、その刺に串刺しにされていただろう。

「貴方はいったいどれだけの事をしたか、分かっていますか? 盗人がこのわたしを『人形』と呼ぶな……!!」
「なんだ。言われて怒るなら、自覚はあるのか? その感じじゃ、改善する気はなさそうだけどな」

着地し、残像を残すようにしてラーズの懐に入ると……最速のタイミングで双剣を振るった。

だが、それは魔法の障壁によって阻まれ、ラーズの体に食い込むことはなかった。

「貴方を拘束し、全て吐かせるとしましょう」
「その前にカイン連れて帰ってもらえないかな……ああ、ラーズしかあのカインをもう知らないんだっけ?」

冷たい色をした互いの眼は、もうかつての『仲間』を受け入れたりはしない。そこにいる『敵』を見るものに変わっていた。

「貴方が我々に協力する気がないのは、よくわかりました……」
「協力する気は無いけどさ、例えば協力しようとアルガレス行ったら、俺は魔王様にブスブス刺されて、穴だらけになったらラーズに回復させて、また剣刺される……みたいな永遠の責め苦を味わわされるんだろ。
好きだった子を取られたからって逆恨みされるのも、やっぱり嫌だわ」
「レティシス……思い上がりも大概にしなさい。痛い目を見て貰います」

ラーズは、そうして杖を握り構え直すのだった。


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