【異世界の姫君/89話】

空に浮かぶ飛空艇へ、狙い違わず放たれたルエリアの矢。

二度撃ってから、女王は弓を降ろして霧散させる。


「すごい……。矢で飛空艇が……」

こそっと机の陰から顔を出すアヤは、黒煙を立ちのぼらせる飛空艇を見つめた。

とはいえ、アヤのところからでは細微な観察を行うことはできず、銀の豆つぶ程度しか見えないのだが。

「あの弓は、魔術解除がついているほか不思議とよく当たる。かなり便利だぞ?
残念ながら射った矢にしか効力が働かないので、弓単体では軽い以外の利便性しかないが……」
「……つまり、弓は普通のものでもいいという事ですか?」
「そんなわけがなかろう。これは一対の創造法具だ」

今のところユムナーグ以上に使いこなせるだけの腕を持つ者が現れぬのだがな、と呟きながらルエリアは再び空を見上げる。

彼女の目には、転移魔法が発動する光が見えた。

「……そろそろ、奴らがやってくる。敵の数も大半は減っているしな……」

あのまま艇ごと墜としておけば良かった、と呟いたルエリアだったが――流石に弓ひとつでアルガレスが引き返す事は考えられなかった。


「奴にとって……魔族など捨て駒。全く、兵力を無駄遣いするのは愚かな君主のすることだ」

だが、彼女の持論である『王自ら行動せよ』という行動についてはカイン自ら出陣してきた事も当てはまるため、それ以上は言わなかった。


「アヤ」
「はいっ」

ルエリアに呼ばれて、背筋を伸ばしながら短く明瞭な返事をする……机の下からだが。

「この部屋は破壊の限りをし尽くされる。ボサッと立っていると死ぬので、お前は壁のくぼみにでも隠れていたらどうだ」

そしてレスターにも、アヤの前に居ろと命じて腕組みする。

「しかし、陛下の御身が危険に!」
「ふ……。お前に庇われるほど弱くはない。
それに、あのふてぶてしい若造相手では、お前などものの5秒かからずに殺されるぞ。
余が倒れることはまずないが、それまでは降りかかる火の粉だけ払え」
「――……御意」

それには、レスターも反論しようがなかった。

カインがヒューバートと同等、あるいは凌ぐかもしれぬ剣の使い手であるなら、レスターが本気を出したところで打ち負かせるはずはない。

騎士として主君より言い渡されるには辛い言葉であったが、それだけレスターやアヤを思っての事だろう。

だが、数に入らないのなら邪魔だという意味もあるのかもしれないが――。


アヤは机の下に膝を抱えるようにして座り、胸の前に指を組んで再び予知を始めていた。

何度か試行した結果、割と正確性は高いようだし、今、自分が役に立てることといったらこれだけしかない。


視えたのは、この執務室の光景だった。

ルエリアがこちらに背を向けて外を眺めており、レスターは机のほう――おそらくアヤの事を見ている。

恐らく現在の……ほんとうに『いま』の瞬間だ。

そこで、映像はノイズが走ったように乱れる。


【――にげて】

頭の中で、誰かの声が聞こえた。

(……誰?)

ルエリアの声でもないし、予知でもそれらしき人物は出てきていない。ましてや、自分の声ではない。


【そこから、逃げて……】

逃げろと訴えてくる見知らぬ女性の声。

一体なんだろう、と訝しむアヤ。

【――今すぐ逃げて! あのひとが来る!】

強い言葉だった。

アヤはそれ以上何も考えず、瞳を開くと机の下から転がるように這い出して、どうしたと尋ねたレスターの腕を引きながらルエリアのほうへ駆けた。


「アヤ、一体どうして陛下の仰ることを――」

レスターがそう言った途端、机の真後に光の柱が立った。

それを見つめたルエリアは、成程と口角を上げる。

「視えたのか、奴が来るのが」
「いいえ。誰か、女性の声で『あのひとが来る』と……」

アヤには聞き覚えのない声だった。一度しか聞いていないが、エリスの声ではなかったはずだ。

「あのひと、か。なるほど、奴らには通じるものがあるのだな」

騙し通せんな、と口にしたルエリアには何か心当たりがあったのだろう。それ以上は聞いてこなかった。

部屋に出現した光柱を睨み、数歩前に出る。

光の柱が消失し、そこから出現したのは、なんと――カイン一人だった。

長い金髪と、空のように青く鋭い瞳。白い長衣に銀鎧。なんだか涼やかな印象がある。

確かに予知の通りの人だが、はたしてこの人が本当に『魔王』と呼ばれる人なのか。

彼はじろじろと執務室を眺めた後、それぞれの顔を見つめてから余裕の表情を浮かべる。

「黒の姫まで手土産に用意してあるとは気が利くな、女王」
「たわけ。手に入れる前に余を倒せるとでも思うたか。
あいも変わらず、いけ好かぬ顔をしている。初めて謁見した時からそう思っていた」

そう吐き捨てる女王に対し、カインも『貴様に好かれようとは思っていない』と返し――小さく笑う。

「――謁見だろうとなんだろうと、女王がいけ好かなかったのは最初から『俺ではなかった』だろう?」
「貴様は余程気に入らぬから心配せんでいい」
「ふん……一応訊いておいてやるが、おとなしくそこの女と『あれ』を渡せ。そうすればこれ以上攻撃は加えず、軍を引かせよう」

取引に応じるなら、今後この国に手は出さないでやってもいい、と言うのだが、ルエリアは嘲笑して首を横に振る。

「その言葉が真実だとしても――いや、おまえがいう事は恐らく真実だろうな。
いい加減魔族との戦にも飽き飽きしているところだが、応じれば世界を渡すのと同義。
私怨から世界を掌握しようとするおまえに、譲り渡すことはできぬよ」

ルエリアの返事は、大方予期していたものだったのだろう。

カインはさして驚いたり怒ることもせず、静かに頷いて『それが返事だと思っていいんだな』と確認する。

「構わぬ。余が命乞いなどすると思ったか?」
「誰かにそんな姿を晒すくらいなら、死んだほうがマシだ――とでもいうのだろう。
命乞いするよりも戦って、果てる方が確かに俺も潔いとは思うが。
片手で足りる程度の犠牲と、国一つ分の命が釣り合うほどの決断ではないな」

そうして穏やかではないような会話をしているカインとルエリアだが、アヤは――この魔王と呼ばれる人物が、そこまで悪いようには見えなかった。

(応じることができるかはともかく、ちゃんと条件も出してくれてる。
話にあった『一方的な宣戦布告』をするような人にも思えないけど……)

だが、ルエリアと敵対しているのだから、双方の間に深い問題があるのだろう。

きっと、カインが欲している『あれ』という何か。それが――重要で。

一体それはなんなのか。

「……あの」

つい、アヤは言葉を発してしまう。その場にいた全員がアヤの方へ視線を移した。

「……あの。『あれ』って、何なのですか……?」
「下らんことを聞くな。教えられぬと言っただろう」

ルエリアに叱られ、ごめんなさいと頭を下げたアヤだが、カインは『教えられていないのか』と不敵な笑みを浮かべた。

「勿体ぶってどうするつもりだ。この小娘は予知以外に何ができるのか? 封印でも解いてくれるのか」
「そんなことができれば、とっくにこれも封じているに決まっているだろう」

なんだか物騒なことを言っている。改めて普通の人間でよかったと感じるアヤだったが、親切なのか余計なことをしているのか、カインはアヤに青い瞳を向けたまま『あれは』と口を開く。


魔王(おれ)の力の半分。
それを宿した人間ごと――ルエリアが言ったようにこの国のどこかに『封じられて』いる。
俺は『それ』……この国に奪われたものを取り返しに来ただけ。正当な理由だと思わないか?」

カインはそうして、ルエリアに視線を移す。女王は険しい顔をしたまま、カインを睨みつけていた。

「にんげん……ごと?」

アヤの問いかけに、そうだと口にしたカインは……今までの涼やかだった表情を一変させ、怒りを込めた貌のまま剣を構える。


「俺が宿す筈であった力の半分を奪い去り、己の体内に封じた女……シェリア・イリスクラフト!!
その女ごとこの国は封じている! 永遠に閉じ込めておく為に、だ!」

その激しい口調には、彼のどんな思いが込められているのか――。

アヤには分からなかったが、衝撃的な言葉に何も考えることができぬまま、ルエリアを信じられないという顔で見つめていた。


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