【異世界の姫君/84話】

(もうレティシスのバカッ……! あんなにひどい人だと思わなかった!
リスピアの騎士様はみんないい人なのに……。
こんなとき、レスター様が居てくださったらきっと頷いてくださる……あ、でもやっぱり、反対されて、避難しろって怒るかな……。
それにしてもドレス、重くて早く走れないなぁ……)

ドレスはいい加減邪魔だが、動きやすい服などはもうない。

昨日まで滞在させてもらっていた月の離宮は、レスターの身代わりをしたイネスの話によると――

奇襲があったので戦闘になり、部屋中穴だらけ血まみれで散々なことになっているという。

もしかするとまだ死体が転がっているかもしれない場所だ。

そんなところに一人で行って、破れていないかどうかもわからない洋服に着替えるため時間も勇気もなかった。

仕方がないのでまた裾を持ち上げ、小走りで進んでいく。


「――おい、待て」

後ろから駆け足で近づいてくる気配の主……レティシスの声がしたため、アヤは再び不機嫌そうに眉を上げた。

「あんたなぁ、聞こえてるのに無視するな」
「私『あんた』って名前じゃない。名前を教える義理もないし」
「俺の名前は勝手に知ってただろ。だいたい、先に名乗るのは礼儀だって言われてないのか?」
「名乗られてないし」

振り返りもせず、アヤは素気無く返した。レティシスはそれも面白くないようだ。

「いいから聞け。俺はあんたを守らないとは言ってないぞ」

アヤの前に回りこむと、その細い肩に手を置いて引き止めようとするのだが――レティシスの手の甲を指先で摘んで、つねりあげる。

「痛ぇな!」
「無礼者。レスター様にしか触るの許可してないんだから、レティシスは勝手に手を出してこないで」

レスターと喧嘩をしたとしても、多分こうはしない。余程腹に据えかねたのだろう。

思わず手を離して抓られた箇所をさするレティシスは、落ち度がないのに叱られた子供のようにむすっとした。

「くそ……分かったよ。あんたの条件を受け入れて、手を貸せばいいんだろ。
あんた、協調性がないとか言われないか?」
「……無神経なレティシスに言われたくないな。とにかく、ちゃんとやってくれる気があるなら……サボらずに手を貸してね?」
「わかった……」

本当に渋々、という返事だったが――アヤはようやく眉を下げる。

「うん。剣の腕は頼りにしてるから。私が頑張ったのに、レティシスがサボったせいで死んじゃったら恨むからね」
「……戦場でサボるほど死に急いでないぞ」

腰の剣に手をかけて、感触を確かめるように鞘を撫でると離した。

「行くぞ」
「うん……あ、そうだ。私、アヤっていう名前なの。あんた、って名前じゃないから教えておくね」

そいつぁどうも、とレティシスは息を吐きながら返事をし、アヤに『……ほんと感じ悪い』と呟かれた。


王宮を走り抜け、城壁にたどり着いたレティシスとアヤ。

強く降りつける雨が、あっという間にアヤの髪や服を濡らして身体に張り付かせていく。

数人がかりで運んだ重い岩を投石器は軽々と空へ打ち出し、重い音を響かせつつ数百メートル先の密集地へ落とす。

岩に押しつぶされた魔物たちも見えたが、この攻撃の犠牲になったのは僅かだ。

「――……」

戦場は、言葉が出ないほど凄惨な状況だった。

城の前へ重なるように続いていく魔物の死体。時折、リスピア兵であろう――人間の体も見えた。

小柄な魔族もいれば、人間よりも背の高い、3メートルはある巨大な魔物などもいる。

巨人のような魔物が手に持った棍棒を振ると、敵味方問わず打ち振るわれ、体が粉砕されたものもいる。

「……こんな、こと……!」

これが戦争の怖さ。そして、人が死ぬことの恐怖だというのを、アヤは現実に体感する。

争うこと。そして奪うこと。それは無数にそこかしこで行われ、必ずどちらかに死が渡されている。

目の前で惨たらしく死が増えていくことに対し、思わず口元に手を当てて、せり上がる不快な嘔吐感をこらえた。

「――これが戦争。あんたに言いたかったのはこれだ。
人を殺したこと、ないんだろ? そんな綺麗なとこに居た奴が……まともに動けるわけがない。
棒立ちになってたら、上と下の身体が離れるのを待つだけだ」

そうして、レティシスは敵側から放たれる矢を剣で打ち払って、アヤの腕を引っ張る。

(なんて、怖いんだろう……! これが戦い……人が死ぬこと……!)

むせ返る血の匂いと雨に打たれて流れだす血の川が、アヤの心に拒絶を徐々に呼び起こしていく。


「――あれ!? 姫様! なんでここに……」

泣きそうな顔をしたアヤが訊いたのは、耳に懐かしくも思える――レスターに似たイネスの声。

バッと顔を上げると、びしょ濡れのイネスが、アヤの側に駆け寄ってくるところだった。

「……イネスさん……」

心に安堵が広がる。 イネスはまだ無傷のようだった。

走ってきたイネスはアヤの隣に立つレティシスを無遠慮に眺め、事情を測りかねているらしく眉をひそめた。

「だ、だれこの男? 姫、まさかうちの子に愛想が……」

口元をわざとらしく手で覆い、泣きそうな顔をするイネス。慌てて違いますと弁解したのはアヤだ。

「レティシスです……私が、協力をお願いしたんです」
「協力って……姫様は早くお逃げにならないと。レスターが気にして最大限の力で戦えなくなっちゃうよ」

それは――きっとそうなのだろう。

理解したらしいアヤの表情が曇ったが、ごめんなさいと言いながらも帰るつもりはない――とも、イネスは悟った。

「じゃあしょうがない。姫様のことはレティシス様にお任せしますか。お兄ちゃん今必死なんですよ……すまないねぇ……」
「そういえば……どうして、イネスさんこそ戦っているんですか? そういえば、離宮の時にもレスター様の真似をしていて……どうやって……」

アヤはまだ、イネスをただの執事だと思っているようだ。確かにアヤには説明もしていなかったなと感じたイネスは、説明は後です、と微笑んだ。

「最近の執事は、めちゃくちゃ戦えないと王宮に雇って貰えないんです」
「普通そんな執事はいないぞ」

イネスの茶目っ気をあっさり砕くレティシスに、イネスは『冗談がわからない人だねえ』と肩をすくめる。

「ああ、姫。レスターは無事ですよ。安心してください。多分城門付近で大立ち回りしてるはずだから」

見ますか、と指で下の方を指し示すのだが、アヤは首を横に振る。

「お姿を見たら私が弱くなるし……必ず戻ってくるって約束していますから、信じてます」
「ん。ありがと、姫様」

そしてイネスは再び背を向けて彼にとっての持ち場へ戻ると、魔術師たちの魔法を固定させたり強化して打ち出していく。

不思議な号令とともに腕を振り上げ、的確に打撃を与えていく戦い方。

(オーケストラの指揮者みたい)

いつも笑顔を見せている彼ではなく、そこにいるのは――戦士としての彼なのだろう。


「いつまでもボーッと立ってたら矢に当たるぞ」

レティシスに急かさかれ、アヤは視線を送りながら頷きを返す。

(イネスさん、どうぞご無事に戻ってきてください……!
ここにいる魔術師さんも、みんな……少し怪我しても、生きて戻れるように……!)

目を閉じてエリスに祈りを捧げると、アヤはレティシスの後をついていったが――

「アヤ。何をしている! 出てくるなといったはずだ……!」

もう一つ上の階――ちょうどルエリアの執務室がある場所――から、声が降る。

瞬時に顔を上げると、鋭い目付きでアヤを冷たく見下ろす……ルエリアの姿があった。


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