【異世界の姫君/82話】

水の離宮内にいたアヤは、ふと顔を窓の外へと向ける。

彼女の視た通り天気は急に悪くなり、雨は今にも窓を叩きそうだ。

しかし、窓の外が気になったのは天気のことではなく、爆音がなったと同時に空が光ったからである。

「今、何が……?」
「敵が来たのを知らせる照明球だ」
「敵……じゃあ、アルガレスが……」

アヤは表情を硬くし、レティシスは窓の外を見ようともせずに――間を取り持ち、喉の渇きを癒すために出された紅茶をすすった。

一口飲んで男らしい太めの眉を顰めると、息を短く吐いて、ソーサーの上にカップを戻す。

故意ではなかったようだが、置くときに陶器同士がぶつかって耳障りな音を立てる。

「アルガレスの高速艇は、まだじゃないか? いきなり突っ込んでくるわけないだろ。どうせ魔族の先鋒隊が先に攻めてきたんだ。
そんなことより、あんたの淹れた茶は美味くない。へたくそすぎる」

魔族のことよりも紅茶のまずさにレティシスは文句を言ってきた。

「…………すみません。いつも適当にしかやったことなくって……」

実際、紅茶などにはゴールデンルールなど作法はあるが、アヤはそれに則って淹れたりしたことはない。

飲むときはもっぱらティーパックだし、美味しい紅茶が飲みたければ喫茶店に入るだけだったのだ。

もっとも――ティーパックであれ、ペットボトルの茶であっても、好みかどうか以外はさほど気にした事はないのだが。

だから当然、自分の淹れ方がどうなのかを気にしたこともない。

改めて指摘されると、紅茶も満足に淹れられないことが恥ずかしいことに思えて、アヤは身を小さくしてうなだれた。

「…………まぁ、あんたが淹れなくたって、誰かが淹れてくれるんだろうけどな。
しかし俺より下手なやつを見たことなかったから。あんたが初めてだ」
「うう……」

委縮したアヤに対しても容赦はない。レティシスはぶっきらぼうで割と辛辣だ。

それは、本の中でも誰に対してもそうだった。

「こ、今度までにはちゃんと習っておきます……!」
「いい。もう飲む機会はないから。いい記念になった」
「…………」

間が持たない。アヤはそっと自分用のカップを手に取り、口に運んだ。さっきまでは平気で飲んでいたのだがなんだか味も薄くて渋い気がする。確かに『うまくはない』のだ。

指摘されたせいもあり、とても飲めるようなものではないなと感じたアヤは、一口飲んでテーブルに戻した。


「――ところで。あんた、過去と未来が視えるんだってな」

レティシスの眼が心なしきつくなる。

その視線に射すくめられ、アヤはびくりと体を震わせた。

「……はい。まだ、上手には扱えませんけど……近い未来や過去なら少し」

上手に扱えなくても、出来るには出来るんだろう――そうレティシスは彼女に確認し、首肯したのを見た。

「…………どうやってその力を?」
「……セルテステで。レティシスも、そこでやったでしょう……?」

視やがったな、と言いつつ髪をかきあげて椅子の背もたれに体を預ける。

アヤは勝手に視えたのだと弱々しい反論をして、物言いたげなレティシスと視線を交差させた。

この青年はヒューバートと同等かそれより少し上の年齢で、仲間と一緒だったにしろ当時の魔王を倒した、いわば英雄。

血のように濃い深緋(こきひ)の髪は、揉み上げ部分がやや長めではあるが鬱陶しくない程度の長さで、よく似合っている。

アヤを見つめるその緑青色(ろくしょういろ)の眼差しは決して好意的なそれではなかったが、今のアヤには割と心地よかった。

「……あんたの事、暇な兵士たちがよく噂してたぜ。
牢番じゃ姿を見ることは出来ないが、いざ会ったら眼が見えなくなってただとか、だれそれが見舞いに行ったら会えた、とか。
誰だかとあんたが恋仲になったらしいとか、どうでもいいことばっかり頭に入ってきた」

そうして、再び無言になると――アヤの顔をじっと観察している。流石にアヤも、男にじっと見られるのは落ち着かない。

しかも、レティシスはこちら基準で言えばいわゆるかなりイケメンらしいが……アヤから見ても、少し日に焼けた褐色の肌や、逞しい腕などを見るとなんとなく男らしい色気を感じる。

(うーん……でも、やっぱりレティシスよりレスター様のほうが私はカッコいいと思うなぁ……色のバランスも綺麗だし、そこも好きかな……)

こんなことを口に出してしまえば、アヤには美的感覚がないのだと非難されるだろうが――レスターに対する好意が入っているせいもある。

恋は盲目とも言うが、恐らくアヤもレスターもその傾向はあるのだろう。

「――綺麗って言われてたけど、すごく美人ってほどじゃないよな……」

あいつのほうが綺麗だった、と、昔を懐かしむような顔をしたレティシスの前に、アヤは上半身を乗り出してまで『本当!?』と聞き返してきた。

その衝撃で、ティーカップに入っていた紅茶が揺れてテーブルに溢れる。

「おい、溢すなよ……」
「本当に、私は美人じゃない、って思う!?」
「……言うほどは、思えない」

やっぱりこの女、自分に自信があったのか――それもそうか、と納得しかけたレティシス。

しかし『よかった』と心底嬉しそうなアヤの声と顔がそこにあった。

「そうだよね……! ああ、ちゃんとわかってくれる人がいて良かった!! みんなおだて過ぎなんだもの。
レティシスだけなの、そう言ってくれたのは」
「…………あんた……けなされてたのに、なんで喜んでるんだ?
それに……俺の中での比較が悪いだけで、あんたは一般的に美人だとは思うぞ」

変な奴、と首をひねるレティシスだったが、テーブルの上を拭き始めたアヤを視界に収めつつ、怖くないのかと訊いた。


「カインたちが来るなら、容赦のない攻撃が待っている。
リスピアの兵力はずば抜けて高いが、神格魔術師が倒れたら、多分ラーズは止められないぞ。もうなんとかっていう創造法具の杖もないんだろ。
あんたのことはいいけども……俺の探しているものがあいつらに見つかるのは困る」

レティシスにとっては、アヤの事は二の次以下だが、探しものが奪われるのだけは嫌だという。

アヤは何も言わずテーブルを拭ききると、丁寧に折りたたんで『意地悪』と口を尖らせた。

「リスピアのこともアルガレスのことも、私はよくわからない。戦争だって……どれくらい怖いかなんて、考えたことなかったもの。
でも――自分が狙われてたり、人の死体を見た時も……
予知でこれから起こることを視たときは、怖いなんて言葉じゃ足りないの。
もっと強い言葉が必要なくらい……心の底から怯えて、身体の震えが止まらなかった。
今だって、レティシスが居なかったら多分落ち着かなくて泣いてたりしたと思うの」

他にできることがあればいいけど、私は戦場では足手まといにしかならない……そう寂しそうに告げたアヤ。

「祈るくらいしか……残されてないから」
「……祈りで世界が救えるなら、祈りで誰かが救えるなら……本当に、そうできたらいい。何もかも戻せるなら、俺も一生をかけて祈るよ」

寂しそうにそう答えたレティシスへ、怪訝そうに眉根を寄せたアヤ。だが、レティシスは彼女から視線を外して、違うことを考えていた。



『なんで……こんなことになってんだよ!!』

青い――血液。

真っ白な身体。

真正面に立つ人物は、自分の大切な存在を。


『レティシス。お願いがあるの』

腕の中で、小さく囁くように、命を絞るように紡いだ声。

ぜいぜいと荒い息の間から、命が消えていくようだった。

『私はどうなってもいい。だから、あの子を――……』

その瞬間、瞬時に間合いを詰めた彼の手から――光の剣は振り下ろされた。

『――……!』

何度も何度も夢に見る、あの光景。



「レ――シス? レティシス……」

ハッとレティシスが我に返った時には、アヤが心配そうに彼の肩を揺すっていた。

「大丈夫? 何か急に黙って返事もしなくなったから……」
「考え事をしてた。それに、最初から思っていたけどあんた――なんでそんな馴れ馴れしいんだ。ちょっと失礼ってもんだろ」

どこぞの姫様だとしても『レティシス』と名前で呼んでくるし、口調も妙に親しげだ。

どこか出会ったことがあるのか記憶を遡ってみたが、全く覚えもない。

そこを指摘すると、アヤは困ったような顔をして『ごめんなさい。そうでした……初めてだったんですよね』と口調を正した。

「……別にどうでもいい。呼びたいように……好きにしたらいい。
実際名前だし、そう呼ばれたところで俺は関係ない。
ただ、いろいろと……俺の周囲も面倒くさい奴がいるし、誤解されても知らないぜ」

その言葉に、アヤは心外だというように『そんなの嫌』と不服そうに言って胸の前で腕を組んだ。

「じゃあやめろよ」
「だいたい、勝手に離宮に入ってたレティシスのせいもあるでしょ……? それなのに、俺は知らない、みたいな言い方は良くないよ」
「俺が困ることは別にない。あんたが勝手に戻ってきて……」

すると、アヤはまた『意地悪』と言って布巾を取ると、それを洗うため洗面所に向かっていく。

何かしていないと落ち着かないのだろうな、とレティシスは思い……椅子から立ち上がって、大きな窓の側に歩み寄る。

時折空が光るが、それは稲光ではなく魔法の光。

耳を澄まさずとも、兵士たちの声や何かが地面を揺らす衝撃音などが響いてきた。

(……カインたちが到着する頃だとして……それまでに、尖兵として送り込まれた魔族をどう捌くか……。
あの頃と手口が違うとしても、やはり防御が手薄なところを狙うのか? 女王の条件をクリアするといっても『どちら』を相手にするか、だな……)

なにより――冷静でいられるかどうか。

そう思っていたのだが、ぽつ、と窓に雨が滴って――思わずその雫を注視した。

ぱたぱたと音を立てて、水玉が窓に広がって……すぐに伝って流れだす。

土砂降りの雨が、やってきてしまったようだ。

「……雨……」

レティシスに何らかの勘が働き、すぐに洗面所にいるであろうアヤの方へ向かう。

「おい。あんた、呑気にそんなもん洗ってる場合じゃないぞ!」
「えっ……?」

レティシスはずかずか大股で歩み寄り、アヤの手首を掴むとすぐに踵を返して引っ張っていく。

「ど、どうしたの……? 痛い、けど……っ」
「この部屋から出る。急げ!」
「だめだって言われてるのに! ここは大丈夫だからって、なん――……」

アヤが理由を聞こうとしたところで、また予知の力が勝手に働いたようだ。


「あ……」

視えたのは、飛空艇――きちんと『船』の構造をしている――のブリッジからリスピアを見下ろす、銀髪の男。

前のレスターと同じように、髪は長く、赤い紐で髪を後ろに結んである。

アイスブルーの冷たい瞳は、理知的ではあるが寂しげな輝きを放っていた。

その男は――右掌をリスピアに向け、左手で右手首を握る。

『壊れろ』

一言だけ口にすると――朝、予知で視たような光の帯を、城に向かって射出した――!!


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