【異世界の姫君/81話】

束の間の語らいに笑顔を見せるニコル達。

レスターもその中にいて、同じように頷いたり笑ったりしていた。

とても楽しく、いつまでもこうしていたい気分にさせるものだったが、こうしている時間にもアルガレスは進軍しているはずだ。

みんなとうに気づいている。


アルガレスと――いや、【あの】カインとラーズを敵に回して、無事でいられるはずはないと。


だが、彼らはリスピアの名誉ある騎士だ。

国家を守るため、ルエリアのため、民の――愛する者のために剣をとって戦う。

たとえ痛打を当てることができなくとも、後に続く仲間の足がかりにも。負傷し後退する仲間のためにも、逃げることはしない。

襲い来る漠然とした緊張や恐怖を押し隠して、彼らは今こうして笑っている。そうでもしなければ――辛くて苛立ってしまうから。

そして悲しいことに、会話の中には『明日』や『今度』は一切出てこなかった。


「――じゃあ、そろそろ行くか。遅刻したらガルデル様に大目玉を食らうだけじゃすまないからな」

ニコルが席を立って、皆それに従うように次々と椅子を引く。

「……ニコル」
「なんだ?」
「――今回の戦を乗り切ったら、トーマスも交えて飲みにでも行こう」

レスターが穏やかに言うので、ニコルはぎょっとした顔をしたが……すぐにニカッと笑って、そうしようと同意する。

「姫をどうやって落としたのかちゃんと教えろよ?」
「構わないが、落とされた……といってほしい」

何を自惚れてんだこのブサイク、鏡見ろ――と罵られ、レスターは不満そうな顔をするのだが、ニコルからレスターの胸を拳で小突き『お互い生き残ろうぜ』と言われたので、同じように返し城門の方へと向かっていった。

青く澄み渡っていたはずの空は彼らの心を反映したかのように厚い黒雲が広がり、重たい鉛色をしていた。

土砂降りになるかもしれないと天気読みに長けた兵が言っていたが、確かにいつ降りだしてもおかしくない。

「そんなにガチガチに緊張するな。いざというとき声が出なくなるぞ」
「レスター様っ……! 自分にまでお声をかけていただき、ありがとうございます!」

いつになく表情が硬い見張り台の兵士に声をかけたら、余計緊張させてしまったようだった。

もう少し楽にしていい、と言いながら城壁に手をかけるレスターは、まだ幼さの残る顔立ちの青年に、確か自分も初戦は緊張したと朗らかに話しはじめた。

「あの時は散々だった。吐き気はするし、正常に物は考えられないし、とにかく目の前の敵を何とかするしか頭になかった。
傷だらけで帰ってきて、暫くは……血だけではなく、赤いものを見るのも嫌だったよ」

そんなことがおありだったのですか、と兵士は眼を丸くし、レスターの顔を注視する。

「経験しないとわからないかもしれないが、そんなに力むな……見張りを任されているものがそれでは困る」
「ハッ!」

再び左胸に手を当てて敬礼の形を取る兵士に苦笑し、ふと平野の方を見たレスターは……瞬時に笑みを消し、険しい表情をして左手を兵士に向けて『遠鏡を!』と催促する。

慌てた見張り兵から遠鏡を借りると、身を乗り出すようにしながら覗きこんだ。

望遠鏡の小さな窓の中に、レスターと同じ色だが異なった赤い瞳が映りこむ。

窓の中だけではない。少し望遠鏡を引けば、その周り……いや、その地域一帯に、禍を運ぶ色があるのだ……!!

「…………来たか」

レスターは遠鏡を外し、兵士に向き直ると『他の兵にも伝えて城門を閉めさせろ!』と声を出す。

「はいっ!!」

ぎこちない動作で見張り台の横まで小走りに近づいて、設置してある30センチ程度の青銅製の鐘を木槌で叩いて鳴らす。

鐘の音が響き渡り、その音を聞きつけた別の場所にいる兵士も鐘を叩く。

次々と輪唱のように広がる音の後、レスターに命令されていた兵士は腰の革袋から手のひらに収まる直径10センチほどの蒼球を取り出し、空へと思いきり振りかぶって投げる。

高々と上っていった蒼球は、突如炸裂して大きな音と青い光を放つ。多くの国で使われている、照明兼危険を知らせるための珠だ。

その光が収まり、城門を騎馬隊が大きな蹄の音を鳴らして駆け抜けていく。

城壁には弓兵や投石器が押し出され、幾らかの魔術師もやってきた。

後は頼むぞ、と言い終わる前からレスターは城門の前へと駆け出していった。


石造りの螺旋階段を駆け下りながら、レスターはこんな時でもまたアヤの事を気にかけた。

レティシスを厄介だと思う気持ちに変わりはなかったが――その反面、アヤが万が一何者かに狙われても、レティシスが追い払ってくれるだろう。

そういうところでは、安心して任せることはできる。

ルエリアの前でたしかに彼女は事細かに語ったが、予知した通りの現実を見てしまうのは……さぞ胸が潰れる思いだろう。

(また、泣くのだろうな……)

その時に一緒にいてやれないのは……とても辛い。

だから、自分にできることは――……生還し、被害を極力皆で抑えることしかない。

どこまで自分の力が及ぶのかも分からないが、負ける事はすなわち死だ。

階段を降りきり、レスターは城門をくぐりながら、頭上を飛んでいく竜騎士達を見送る。

通り過ぎた後には暴風のように風が巻き起こって、レスターのマントを勢いよく翻した。

空の守りは彼らの役割。自分は地上を……城門前に攻め込もうとする敵を抑えればいい。


(わたしは、自分のためにもアヤのためにも、負けるわけにはいかないのだ……!!)

世界を守るなどという大それたことを考えているわけではない。

そしてルエリアは真面目な顔で『負ければ世界が終焉を迎える』と言っていた。

だから、結果的に負けられないというだけだ。


レスターは第一の城門にたどり着き、門を閉めるように番兵に促す。

「どうぞご武運を!」

番兵はその言葉に素直に応じて、門を閉ざした。

固く閉ざされた扉を見て、目を閉じると右手に神経を集中させていく。

「……クウェンレリック。守護者レスター・ルガーテが命ずる。その姿を我が手に示せ……!」

すると、レスターの右手が光り輝く。金から銀に変わった光の粒子は、レスターの身体から発されていた。

クウェンレリックは、何らかの装飾品に封じられているわけではない。

エリスの力を宿した創造宝具は、契約者の身体や精神に宿る。

もちろん、そうするためには儀式が必要なのだが……レスターは己の身体に宝具を宿す儀式を受け、必要なときに念じれば出現するようになっている。

光の集束と武器の構築が終わり、レスターの手の中には銀色の愛槍……聖槍クウェンレリックが握られていた。


「――……さあ、行こうクウェンレリック。愛するものを守るために……その力を振るってもらう」

振り返り、遥か先を見据えたレスターの前には……はっきりと、邪悪な赤が広がっているのが確認できた。

空では、竜騎士が飛来する敵へと向かっていき、翼を狙って断ち切る。翼を傷つけられ、切断された魔物は次々と地へと落下していった。雷のような轟音を響かせる龍の咆哮も聞こえている。


槍を軽く振って、準備を整えたレスターは……迫る魔族へと聞こえるように、声高に宣言した。


「我は聖騎士レスター・ルガーテ!!
この身と仲間のある限り、貴様等一匹たりともこの城門はくぐらせぬ!」

そう言って、彼は敵中へと駆け出していく。


その姿を優しげに見ながら、白い手袋を外した執事の男。

「じゃあ頑張りますか。魔力が枯渇したら、すぐ離脱するようにしてね」

城壁の上からイネスが、手槍を城壁に並べながら魔術師数人に向かってそう語りかけた。

一体執事に何が出来るのかと疑問を持つ者もいるようだが、イネスは手槍を並べ終えると『固定』を唱えて、じっと地上の様子を眺めている。

ゆっくりとイネスの腕が上がり、頭上でぴたりと止まった。魔術師の術の詠唱が終わる瞬間――腕は勢いよく振り下ろされた。

「――速く飛べ(ヴォリエ)!!」


「弩兵、突出する敵を狙い撃て! 騎兵は待機!」

騎馬隊を指揮するガルデルの指示に、大弓を引き絞る兵たち。

彼らの手から放たれた無数の矢は雨となり、進軍してくる魔族の身体に深々と突き刺さる。

そして、イネスの放つ高速の手槍は一体ずつ、時に数匹をまとめて貫いていく。

かと思えば投げたものは勝手に戻って、正確かつ冷酷に再び違う場所へと向かわされている。

ガルデルは城壁の側で踊るように術を行使する男を睥睨し、唸る。

「――怪しげな術を使うが、本当に何でも飛ばして操るのだな。投石器も任せておけば良かった」
「嫌ですよ。目立ちますし、絶対壊れるし」

実際に石を置いている兵がガルデルの独り言に反応して不満を上げる。それもどうだなと言ったガルデルだったが、イネスの才は認めているのだろう。

ここにアヤがいれば、恐らく大いに喜んだだろう。

レスターは一人で戦っているわけではない。仲間と共に在り、皆で戦っている事に。


前へ / Mainに戻る /  次へ


コメント

チェックボタンだけでも送信できます~

萌えた! 面白かった! 好き!