【異世界の姫君/80話】

体調が芳しくないロベルトに肩を貸そうとしたレスターだったが

「俺ともあろう奴が、魔族なんかの手なんざ借りるかよ!」

手を振り払われ、嫌悪の表情を見せるほどに嫌がられた。

それでも『本当に大丈夫か?』と聞いてくるレスターに、しつこいと怒鳴る。

「大丈夫だ。何度も言わせんな」

何が何でも拒否したいらしい。そうまで言われると、レスターとしても引き下がる他なかった。

「……平気だ。ちゃんと歩ける。そこまでヤワじゃねぇよ」

相変わらず口は悪いが、心配を掛けまいとしているところはあるらしい。

操られていたであろう時はしっかりした歩き方だったが、正気に戻ったらしい今は肉体的な疲労だけが辛いのではなかった。

精神的な疲労によるところが特に大きいらしく、それゆえ急に重く感じる身体を引きずるようにして、ロベルトは医務室の方向へと立ち去って行った。


途中までロベルトを見送った後、レスターはその足で保管所に向かう。

身軽さを優先させ、軽装で済ませていたのだが戦地に立つならそういうわけにはいかない。

防御面を向上させるため鎧などを変える必要があるし、数日顔を出していなかったため、何が起きていたのか把握できかねる部分もある。仲間の情報が欲しい。

急ぐような早足になりながら、レスターが目的地まで進んでいると、ちょうど武装したアンジェラが保管所の扉を閉めた所だった。

「――アンジェラ。もう配置に?」
「ええと……レスター……なのよね? そうよ。これから街のほうの守備。で、レスターがここにいるってことは……姫様の護衛はもういいの?」

状況が状況で解任された、とさらっと言ったはずだったのだが、胸中には何とも言い表せぬ侘しさが残る。

「……レスターもそんな顔するようになったのね」
「ん?」

変な顔をしていたのかと、自分の頬に手を当てたレスターだったが、アンジェラは『なんでもないわ』と首を振ったので、どんな顔をしていたのか聞き出すことはできなかった。

本当に彼は変わったんだ、とアンジェラは思う。それは嬉しい事なのに、悲しいような気もした。

自分が知っているレスターは、ほんの一部だったのだろうか、と。

あのお姫様と一緒に……ふたりきりでいるときは、もっと優しい顔をするのか。

甘い言葉なども囁くのだろうか。そんなことをふと考えてしまったので、思わず『バカ』と呟きながら頭を振った。

「バカとはいきなりだな」
「あー……レスターの事じゃないのよ。ちょっとね、いろいろ考えちゃっただけ」

少しむっとしたレスターに慌てて弁解しながら、アンジェラは保管室に入るんでしょ、と話を振る。

「ああ、そのつもりだ。軽装で戦えるのはヒューバート様くらいだろう。ましてやアルガレスとの戦いだ」
「そのヒューバート様だって、ちゃんと鎧着てたわよ。みんなちゃんと生還したいものだから」

レスターも気を付けてねという言葉にありがとう、アンジェラも生還しろよ――と返すと、保管室の中に入っていった。


その後、装備を整えたレスターは空腹だった事にも気づき、軽く食事を摂りながらその場にいた騎士たちから情報を得ることもできた。

アルガレスは多分高速艇――飛空艇の中でも速度が出るもの――でやって来るだろうから、あと2時間もあれば戦場になるだろうという事。

少人数であれば、あのイリスクラフトがいる事だから転移魔法でも使うのだろうが、軍を率いるとなればそんな精神力の無駄になるようなことはしていられない。

それに間者からの情報では、高速艇に乗り込む主要人物を見たというから、その情報は間違いないだろう。

「……2時間しない間にやってくるか。準備はどれくらい進んでいるんだ?」
「さっき聞いたところじゃ、住民の避難はあと少しで終わるっつってたからもう完了した頃かもな」

地区ごとにある地下壕はかなり深く広く作られているが、住民の中には恐慌状態になるものもいる。

避難させる前も後も、その対応に当たっている兵たちの苦労や住民の心境を思い、レスターは眉を顰めた。

「ついでに、兵の戦闘配備も完了済み。指揮にはガルデル様と後方支援にはトリス様があたるそうだ」
「そうか。あのお二人ならば安心して我々も対応できる」

若いころから歴戦を勝ち抜いてきた二人だ。老いてもなおその腕と働きは衰えない。

パンを口に押し込めたレスターに向かって、同僚のニコルが『なあ』と身を乗り出す。

「姫様はどうされてるんだ? ちゃんと避難してるのか?」
「……アヤ……姫は、ちゃんとアニス様の結界が張られた場所におられる。心配いらない」
「でもさ、姫だって不安だろ。そんな時に、置いといて大丈夫かよ」

みんなアヤを気にしているんだな、と思うが、置いといたなどとは人聞きが悪い。

自分だってそうしたくはなかったのだ、と面白くないような気分になった。

「誰かがいたらそれはそれで落ち着かないだろう。心配することじゃない」

と冷たく言ってしまった。そう――本当は、自分のほうが気にしている、とも言ってやりたかった。

しかし、同席していた後輩にあたる騎士がそういえば、とレスターの地雷を踏む。

「1時間くらい前でしたか。レティシス様が、離宮に向かっていくのを見ましたよ」
「……なに?」

レスターの眼がすっと細められ、騎士を見据える。やばいと思った時には『どういうことだ』と声が投げられた。

「い、いえ、よく存じ上げませんが……ただ、向かっていくのを見たというだけで……」
「レティシス1人か」
「はい、そうだったと、思います」

しどろもどろになる騎士を視界から外し、レスターは胸に広がる不安やら動揺やら、とにかくいい気持ちがしないものをいっぱいに溜め込み、拳を握って堪えていた。

(いや、大丈夫だ。アヤはヒューバート様にも反応しなかった。
わたしのことを愛していると言ってくれたし、心配することなど何一つ……ああ、そうだ、アヤはレティシスに会いたがっていたな。
しかも恋仲のわたしでも様付なのにレティシスは呼び捨て。
ああ、レティシス……。なぜ離宮に向かっ……いや、術符がないのに入れるはずはない。いや、陛下が渡していたら……!)

落ち着けるどころか気が気ではなくなってきた。

もうアヤがここまで逃げてきてくれればどれだけ気が楽か。

ロベルトにしたように、レティシスにも平手打ちをしてやればいい――とまで思い始めたレスターへ、遠慮がちに声を掛けるニコル。

「……レスター、あのさ。姫様、部屋に1人だったのか?」

まさかそんなことはないよなと同僚は笑い飛ばそうとしたのだが、レスターの眉がどんどん吊り上がっていくのが見えた。

「1人だ」
「…………」

さすがにニコルの乾いた笑いも止み、そのテーブルには、通夜のような沈黙が流れた。

リスピアでは、女の私室に男1人で入るという事は――特別な関係同士のみだとされている。

女性もそれを許可したというのは余程の事情や階級のある方でない限り『そういうこと』が起こっていると想定されても致し方ないのだ。

「……レティシス様かー。いくらなんでもレスター様じゃ勝ち目ないよな」
「ないわな。大抵の女ならコロッといくだろう。不安でしょうがない時に美形の英雄が入ってきたら姫だってきっともう……」

ひそひそと話す別のテーブルの騎士たちに、射殺すような視線を向ける大人げないレスター。

その視線を受けて、バッと視線を逸らした騎士たちは席を立って食器を片付け始めた。

「男の嫉妬は見苦しいぞ、レスター。負けは負けとして認めろ」

ニコルがレスターの肩をぽんと叩くが、レスターは負けていないと声を荒げた。

「いやどう見てもお前はレティシスにゃ勝てないだろ。鏡見たことあるのか?」
「た、確かに容姿的には張り合う必要はないのだが……姫は、それでもわたしを素敵だと言ってくれた……」
「えぇ……?」

信じられないというニュアンスのニコルは、社交辞令に決まってるだろと言って他の騎士たちにニヤニヤしながら『何もないかレスターがフラれるか賭けてみないか』と誘い、怒り狂ったレスターに、こんな時になんて事を考えているんだ、と数分説教され続けた。


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