その頃レスターは周囲に注意深く気を配りつつ、アヤの側から少しでも危険を遠ざけようと、足早に離宮から離れていく。
許されるのであればアヤの側に居たかったのだが、この状況と女王陛下の命令とあれば、従わざるを得ない。
アルガレスと戦争なら数ヶ月、数年と掛かるかもしれない。
しかし急襲であれば、敵の数はさほど多くないが一気に落城させなければならないため、精鋭が来るのだろう。
そのためにアルガレスの皇子自らとイリスクラフトがやってくるとあらば、決戦と呼ぶべきほど、かなり厳しい戦いになるのは予想できるが……
そうまでして、このリスピアに隠された『あれ』とアヤの力が欲しいのだろうか。
そんなことを考えているレスターだったが、まさか離宮には同じく『女王の命令』で、一時期世界中から英雄たる扱いを受けていたレティシス・エッジワースがいるとは夢にも思っていないのだが……
姿の見えない敵を探りつつも自分の方へとおびき寄せているため、レスターは真剣な面持ちで歩を進めていく。
背には未だピリピリとした殺気が刺さり続けていた。そこにばかり気を取られていると死角から急に姿を見せて、斬りかかられてもおかしくない。
そうしてレスターは、耳を澄ませつつ王宮と離宮を繋いでいた噴水近くの砂粒や瓦礫を踏みしめて歩き、辛抱強く待った結果――自分の足音とは異なる砂粒を踏む音を聞いた。
勢い良く振り返ると同時に剣を引き抜き、足音が聞こえた方向に鋭い視線と剣先を向ける。
「人の後をコソコソと伺う腰抜けめ。いい加減姿を見せたらどうだ!乗ってくるかどうかは分からなかったが、わざと相手を挑発してやると……ようやくというべきか、潜んでいたものは術を解除してレスターの前に姿を現した。
しかし、その姿を見たレスターは思わず苦々しい表情を浮かべる。
すぐ目に飛び込んできたのは赤い鎧。
紫色の長い髪は、髪留めの紐を無くしてしまったのか結んでおらず、肩や首に絡みついても払うでもなくほったらかしだ。
「……ロ、ベルト……なんで、ここに……?」アヤ曰く部屋でぐったりしていて、なおかつヒューバートが踏み込んだときには姿を見かけなかったというから、こうして出てくるとは思わなかったのだ。
否定したい気持ちもあったにしろ――どうして、という感情と、やはり、という……気もした。
暁色の騎士は、相手を好いていても嫌っていても常に自分だけで喋っているような男だったが、今の彼は一言も発しない。
そして、いつもレスターを見る目は憎しみと嫌悪にぎらついていたのに、今日のロベルトの眼は彼すらも映していないように思える。
眼には力がなく、光も映さないような濁った眼をしていた。
レスターの呼びかけにもロベルトはピクリとも反応せず、黙って剣を抜き放つ。
シャリッ、という鞘と剣が擦りあった軽い音が響いた。
膝下からかかとまで覆っているロベルトの赤いグリーヴが地を離れる。
跳躍し、空中からレスターの首を狙って長剣を横薙ぎに振った。
相変わらず剣速も狙いも鋭いものだったが、いつも繰り出されていたものよりは狙いが甘い。
レスターは難なくそれを後方に飛びのいて避け、着地後再び間合いを詰めようとするロベルトに声を張り上げた。
「やめるんだロベルト!! 今は争っている場合ではない!」もともとレスターの話に耳を傾けるような男ではなかったが、今回もまた同じだった。
ためらいもなく振るわれる剣を避け、自身の剣で受け止めると押し返す。
「我々の私闘は禁止されている! ましてや陛下の宮殿だぞ!言葉を幾度重ねようが、ロベルトには届かないのか。目にも態度にも変化はない。
がつがつと剣をぶつけるように振るわれ、レスターは腹を括るしかないのか、と眉根を寄せた。
10年近く顔を合わせていても話をした記憶など、もっぱら口論か嫌味しかされたことがないし、練習試合も本気で潰そうとしてくるしでどう考えても好きにはなれない相手ではあったが 『仲間』を傷つけるのは流石にレスターも嫌だった。
「嫌だと言っても……仕方ない。少し寝ていてもらうぞロベルト」レスターは低く呟き、眼前に剣を構えてロベルトが再び斬りかかってくるのを待った。