【異世界の姫君/77話】

そんなレスターから懇願があるのを分かっていたかのように、ルエリアも『そうだな、そこまでを最後の任としておこう』と頷き、あっさり許可を出す。

聞き入れられたそれに対して深々と頭を垂れ、感謝の意を示すレスター。表情は硬いが、幾分ほっとした顔をしている。

「もう良いか? 余はまだやらねばならぬことが多い。
アヤ、もう出歩かず離宮でおとなしくしていろ。おまえが飛び出してきたところで、うっかり命を落とされては困る」

言うなり立ち上がったルエリアは、二人に広間を出ていくように告げて、またな、と口元に笑みを浮かべる。

「ルエリア様も、ガルデル様もトリス様も……どうか……再びお目もじできるのを楽しみにしております」

アヤもそう言って丁寧な礼をし、何度か振り返りながら広間を後にした。


「……よかったのですか?」
「何がだ」

遠慮がちに聞いてくるガルデルに、ルエリアは質問の意図をわかっていながらも知らない素振りで自身の髪に触れる。

「姫も狙われているのでしたら、もっと安全な場所もありましょう」
「ふ……。なんだ、そんなことか。アヤにはそこで十分だ。イリスクラフト以外には結界も壊せぬし、何かと手は打っている」

そう、何かとアヤを放置せずに手は施している……それを考慮し、レスターを離したのである。

「アルガレス側には、姫が『ティレシア王家の末裔』という情報も知られているのでしょう。
しかし……皇子には既に見透かされている可能性も」

そういえばそんな話をしたな、と思ったルエリアだったが、『なるようにしかならん』と軽くあしらう。

「さて。トリス、ガルデル。貴公らの力の見せ所でもあるぞ。無駄飯食いと言われぬよう、その手腕を存分に振るえよ」
「御意」

ルエリアの言葉に、ガルデルとトリスは左胸に拳を当てた。


「街の様子は大丈夫か!」
「現在、2番地区住民を避難させています!」

広間を出て、元来た道を進んでいくアヤとレスター。城全体がそうだったが、兵たちの行動は数日前よりも目に見えて慌ただしい。

悠々歩いているものなど皆無で、皆が小走りに行き来していた。

兵士たちの確認や緊迫した指摘事項はアヤの耳にも届く。各々物物しい武装をしていて、市民の避難や武具の確保などに奔走しているらしい。

そしてレスターとすれ違うときには左胸に拳をのせて直立不動の体制をとり、彼らは足早に去っていく。

「……あれは、敬礼のようなものなのですか?」

兵士が去ってから、小声で尋ねるアヤ。

ちょっと不思議に思っていたんです、と聞いてみると『これは陛下への忠誠と仲間への信頼を示しているんだ』と聖騎士は答えた。

「目下の者は拳を握って左胸に添える。
右手でそうするのはわざと剣を抜きにくいようにし、指を出さないのは邪な思いや敵意がないことを示すためだ。
目上の者は何もなければ頷くだけで」

ふぅん、とアヤは去っていった兵士たちの後ろ姿を目で追ってから、再び前を向いて気持ち早歩きになる。

「……複雑な気分です。事態が緊迫している事もあるし、何より陛下のご命令とはいえ……姫のお側にいられなくなってしまう」

それはアヤも同じだった。レスターが危険に晒されるのはわかっているのに、何も出来る事はない。

十分に身を守ることすらかなわないのだから、無理について行きたいと申し出てもレスターの邪魔にしかならないのもわかっている。

「…………本当に、私も辛いです。でも、一時的に離れるだけですから……また、一緒にいることもできますよ」
「そうありたい。だが、ここ数日ずっと一緒だったせいでしょうか。
一緒にいるのが当たり前のような感覚になってしまって……なんてわたしはおこがましい考えを持っているのだろうと、恥ずかしく思います」

肩をすくめたレスターの手をそっと握り、私も同じです、とアヤは微笑む。だが、その表情には翳りがあって、うまく笑顔にならないようだった。

握り返してくる手の温かさが愛おしく、離したくはないと思っても、アヤとレスターの一時的な別れはすぐそこに迫っていた。

穿かれた床穴や瓦礫の残骸が残る離宮への道を進んでいると、レスターは何かの気配を感じたらしくアヤの手を離して肩を抱くと、腕の中に収めてとっさに身構える。


「――レスター様?」
「何か……殺気のようなものを感じる。まさかまだ奴の残党がいるのかもしれない」

注意深く周囲を探りながら、レスターはどうすればいいかを思案している。

(まずいな……。気配が探れん……どうなっている?)

殺気を感じるのであれば、だいたいの気配もあるはずなのに、ここにはそういったものがない。

しかも、刺すような視線は強くなっているのに、姿が見えないのだ。

アヤを一刻も早く離宮に入れる必要があるかもしれない。

「わたしたちには別れを惜しむ時間もないな……姫、申し訳ありませんが少々早足で。
何者かが潜んでいる。それは確かだが気配が探れないのは……何かおかしい……!」
「は、はい……!」

レスターがアヤの歩幅に合わせつつも急ぎ足で離宮へと向かっていく。移動中も、その異様な感覚からは逃れられなかった。

(インビジビリティを使用しているのか……? だとしても、早く結界内にアヤを……!)

姿隠しの呪文を使っていたとしても、アニスの張った結界内にまでは侵入できない。

離宮の入口に到着すると、レスターはアヤに早く中に入るようにと急かすように進言し、それにアヤも頷いた。

素早くドアを開くとアヤを押し込むようにしながら送り、扉を閉める。


「……そこでじっとしていてください。絶対にわたしは生還します」
「……はい。絶対、約束です」

もちろん、という声がして――レスターは言い忘れたことが、と続けた。


「アヤ――出会ってたった数日しか経っていないから信じられないかもしれないが……愛している」

一言だけだったが、はっきりとした声は扉に阻まれていてもアヤには伝わった。

涙で視界が曇ったが、アヤも扉越しに私もです、と叫ぶ。

「私も、レスター様を愛しています! だから、絶対に生きて帰ってきて……!」
「ありがとう。信じて待っていてくれ」

こつ、と一度扉を軽く叩いた音が聞こえて、足音はすぐに遠ざかっていく。


「……レスター様っ……」

その場にずるずるとへたり込み、アヤははらはらと嗚咽混じりに涙を流す。悲しくて、不安でたまらなかった。

自分のことだけを考えているわけにはいかなかったが、限られた時間のうちほんの数分だけ――苦しいほどの切なさに泣いていた。


この離宮内には誰もいない。リネットもイネスも、もう避難したようだ。

涙を手のひらでこすって拭うと、立ち上がって四つある部屋の扉を一つずつ開けてみる。

自分の寝室として使っていた部屋には、当然誰もいない。

リネットとアニスがいた部屋も、誰もいない。

イネスがいた部屋にも――いない。

「ひっ……!?」

レスターが使っていた部屋を開けると――……思わずアヤは小さく悲鳴をあげてしまった。


そこには、椅子の上に片膝を乗せつつ座っていた……赤い髪の男。年齢はレスターたちより上のように見える。


「勝手に入って驚くって……ノックもしないのか、あんた」

まぁ誰もいなかったから必要もないけど、と不機嫌そうな男の声。椅子から立ち上がると、アヤの方にゆっくり歩いてくる。

その間も、アヤの周囲を注意深く観察している。

「――護衛騎士やメイドは一緒にいないのか? まあ、戦争が始まるんじゃしょうがない。
俺とあんたの二人っきりか。噂や誤解されたらきちんと弁解しておけよ。俺も困るし」
「――……来ないで」
「あのな。なんか変なこと考えてるだろ。別にあんたをどうこうしようと思って来たわけじゃない。女王命令だからここに来た」

ルエリア様が? とアヤが不審そうに言うと、男はポケットからアヤたちに配られた術符と同じ物を見せた。

「アニスから貰ったものだ。これで一応不審者じゃないって分かったか?
俺にとったら、全身真っ黒であんたのほうが余程怪しいよ」
「……あなたは……」

誰ですかと尋ねようとして、視たことがある顔だという事にようやく気がついた。

「……レティシス……?」
「……知ってんなら訊くなよ」

もう自己紹介はいらないな、と彼は言って、アヤに鋭い視線を投げかける。

「……居間に行くか。そこであんたに聞きたいことがあるんだ」

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