城内は朝から騒がしかったが、アヤたちが滞在している離宮には、その騒ぎに遠かった。
しかし、それでも――何度か騎士たちが中に入らないまでもレスターへ緊急事態があったことを伝えに来たし、アニスも夜が明けないうちにどこか……恐らく招集があったのだろう、立ち去ってしまっていた。
起床し、顔を洗って身支度を整えていると、リネットがおおまかな事情を話してくれた。
どうやら、昨日のうちにヒューバートがリスピア城の地下、識るものも殆ど無かった隠し部屋を発見し、そこに潜んでいたクレイグを捕らえたのだそうだ。
だが、そこにはロベルトの姿はなく……ヒューバート曰く、レスターとアヤが狙われているようだから注意するようにとのことだ。
昨日視た映像。椅子にもたれていたロベルトの様子は変だった。
覇気も意識もそこにありはしないような、抜け殻みたいだとアヤは思い返す。
「変な魔法とかをかけられていなければいいけど……」リネットの指摘も、もっともなところである。
「そういえば、アヤ様。眼の調子はどうですか?」もし良くないようでしたらマルティン様のところへ行きましょう、とリネットは言ってくれるのだが、アヤの視界は良好だ。
今日は離れていても、リネットの顔や表情まで確認できる。そう告げると、ほっとしたような笑顔を浮かべてくれた。
「よかった。アヤ様の視力も回復されて……。目が見えない生活、さぞやお辛かったでしたでしょう」すぐに見えるようになったけれど、と言いながらも、今まで親身にやってきてくれたリネットの厚意は非常にありがたかった。
「……リネットといられるのも今日で終わりかもしれないね……お礼が言えるうちに言わせて。頭を深々と下げてリネットに笑顔を向けると、メイドの少女はとても悲しそうな顔をし、そんな事仰らないでくださいと首を振る。
泣くのを堪えて、リネットは無理に微笑んでいる。
そんな彼女の様子がいじましく、アヤは立ち上がって後ろを振り返ると手を伸ばしてぎゅっと抱きしめた。
「……ありがとう、リネット。私が王宮に居られなくなっても、友達でいてね」三人くらいなら大丈夫のはずですから、と言ったそばから、わたしが勝手に決めたらレスター様に怒られちゃいますねと舌を出した。
(リネットは、いつも強くて優しい。嫌な気分を軽くしてくれる。私もあなたみたいになりたいよ……)だが、羨ましがってもいられない。もう、時間は刻々と過ぎていくのだから。
何かあったら呼んでくださいと深々御辞儀をしてから、リネットは部屋の外へと出ていった。
さて、とアヤは一人きりになった空間で呟き、姿勢を正す。
今日、これから起こり得ることを視るのはとても……恐ろしい。弱くなって折れそうな気持ちになってくる。
(ダメ、こんなんじゃ……! 私はもっと心を強くしないと! 皆やレスター様の運命がかかってるんだから……)頬を軽くパシパシ叩いて気合を入れると、昨日アニスに教えられた要領で意識を深く落とし、自分の心の奥底へ語りかけるように『集中』する。
(今日起こることを知りたい……皆を守るため、少しでも早く教えて……)気を落ち着けつつ、焦らないようにと呼吸にも気をつけながら祈りに似た集中を行なっていると――ようやく脳内に例のスイッチが入ったようだ。
今は晴れているはずの空は、黒く重い雨雲が覆ってしまって陽も届かない。
風は強く吹き、レスターが……城門側の見張り台あたりから険しい顔をしたまま、平野中を埋め尽くすほどの数えきれぬ赤い目を睨みつけていた。
そして、場面は変わって――リスピア城に降り注ぐ、光線のようなもの。
だが、それは単なる光ではなく……破壊の力を秘めたものだった。
城の至る処でそれは爆ぜ、兵たちも巻き込まれている。
そして――突如、金髪碧眼の青年が映ると、彼が剣を横薙ぎに振るい……そこで映像は途切れる。
しかし、アヤは想像以上の恐ろしさに数秒何も考えることが出来なくて、微動だにせず目を閉じていた。
集中を終えた後は身体の震えが止まらなかった。
自分の体を抱きしめながら、荒くなった呼吸を努めて平常に戻そうとする。
ある程度呼吸を整えたところで、アヤはドレス姿だというのに構わず走る。
ドアを開けるのもガチャガチャと忙しくしながら、怪訝そうな顔のリネットに『ルエリア様に面会をしてきます』と言い切り、それを見ていたレスターが窓辺からこちらに歩いてきた。
「アヤ……そんなに慌てて……まさか、何かを視たのか?」こくりとレスターは頷き、椅子にかけていた外套を装着しつつ『急ごう』と大股でドアへ近づいていく。
踏まぬようにとドレスの裾を足首が見える程度にたくし上げながら、その後を小走りにアヤも追った。