【異世界の姫君/72話】

アヤが目を覚ましたとき、既に外は夕暮れだった。

薄手のカーテンをくぐり抜けて室内に延びてくる朱の光は、胸を締め付けるような切ない色をしていて……なんだか泣きたい気持ちにさせるような色だった。

眼に痛い光を慣らすため、幾度かまぶたを閉じたり開いたりを繰り返していたアヤの顔へ、すっと影が伸びた。

「ご気分はいかがですか?」

ベッドサイドから優しくかけられた声だったが、アヤにはその声の主がどんな気持ちでここにいたのかを思うと切なくいたたまれなくなる。

だからもう一度、陽に傷む目を閉じてから、ゆっくりとした動作で起き上がるとレスターのほうを向いた。

夕陽に染まるレスターの表情は不安そうでもあり、触れようとするものを恐れて拒絶しているかのようにも見える痛々しいものだった。

アヤは身を起こしつつ、もう大丈夫ですとぎこちなく微笑むが、レスターは笑い返してはくれなかった。


「……何処まで、視えましたか」

レスターの声は、ようやく絞り出したという感じにかすれたもので、最後のほうは聞き取りづらかったが――アヤは申し訳なさそうに俯いた。

「……眠っていた間に、少し……いえ、小さいレスター様が誰かに呼ばれた……くらいは、視えました……」
「……そうか」

ごめんなさい、と泣きそうな声で謝罪するアヤは、寝ていた時にかけられていたタオルケットを握りしめる。

その手の上にレスターは掌をそっと重ね、上から握ると首を横に振った。

アヤの力も困ったものだ、とレスターは内心で悲しむ。

だが、悲しいのは自分だけではないはずだ。力に関してはアヤが人一倍感じた事でもあり、【力】を手に入れた者の宿命でもある。

前王ハークレイの千里眼、ヒューバートの人心を奥底まで見通す眼、そして……アヤの未来予知や過去見。

それらは人から恐れられ、時に自分ですら手に入ったことを嘆く力。

一度手に入れてしまえば、二度とと離れない。


「勝手に覗いてしまって……軽蔑、されてしまいましたよね」
「いや……。どうにも出来なかったでしょう? 悲しいからといっても、必死に止めようとしていたのですから、姫を責めることはできない」

確かに問題ない、とは答えられない心境ではあったが、では感情をぶつけるように正直な気持ちを言ったところで自分もアヤも、ただ辛いだけだ。


「……わたしは、子供の頃……比較的大人しい部類の子供だった」

レスターが目を閉じ、座ったまま語り始めた。レスターが何を考えているのか察知したアヤは、止めてくださいと声を発したがレスターはいいんだ、と言った。

「また同じような事があるかもしれない。それに、誰でもない姫……アヤだから、話そうと思っている」

そう言われてしまうと、アヤもそれ以上止める事は出来ずに、分かりましたと頷いた。

「本当に、辛い事だと思いますから……無理のないところまでで、いいので……」
「ありがとう」

そうしてレスターは己の胸の痛みと向き合いながら、過去に起きた事を話し始めた。


「わたしやイネスは子供ながらに、自分たちが人と……母親や近所の住人と違う種族であったことは早々に知りました。
毎日のように家を訪ねてくる大人の声は乱暴だし、我々を恐ろしい顔つきで来るものだから……それこそ魔物のように見えて怖かった。
しかしイネスは……あいつだけは、虚勢なのか本当にそうだったのかはわからないが、いつもなんでもないようにふるまっていて……何も怖くないのかと羨ましかった。
老若男女、姿かたちはそれぞれ違うのに我々を目の敵にして同じような事ばかりしか言わない。
まるで家の外に出たら殺されてしまうんじゃないかというほど、世界というものが恐ろしく見えた」

きっと、それは本当に恐ろしかっただろう。と、自分の身に置き換えながらアヤは想像する。

想像力が豊富なほうだとしても、アヤには彼らが体験した全てを感じ取る事は出来ない。けれど、思わず心の底からくる恐ろしさだけは伝わってきた。

「世界は恐ろしいと……そう感じたが、そればかりじゃない。実際その時勢も悪かった。
ちょうど……魔物が活発な時。
以前話したアルガレスの皇子やレティシスが活躍する前の事だし、その時はハークレイ様以外に【英雄】なんて存在しなかったように思う。
勿論――本当はユムナーグ様などもいたが、わたしにはわからなかった。唯一自分やイネスを庇護してくれる……母親だけが味方であり、全てだった。
そういう意味では、母親はわたしたち兄弟にとって【英雄】にちかいものだったのかもしれない」

そうしてレスターが急に黙ったので、アヤははっとしてレスターを見つめた。

「……なかなか、昔の事を話そうというのも難しいものだ。過去の自分と、今の自分の間で……少し解釈が変わって見える事もあるんだ」
「良い方向に変わって見えるのなら……それは、いいですけど……」

アヤは本心からそう願ったが、どうやらいい方向ばかりに変化があったわけではないようだった。

「母は若かった。たぶん……まだ成人して間もなかったであろうと思うんだが、実は……未だ詳しく母の年齢や誕生日や素性といったものを知らなくて。
興味がなかったというか、調べるのが怖かった。だから今も憶測でしか分からない部分なんだ。
『あれは魔族の色じゃないか』『相手が魔族と分かっててなんで産んだんだ』そうして母を集団で責め立てる人々が、理解できなかった。
そして、わたしとイネスを指さして、差別的な言葉を吐いたり、あまつさえ殺せと言ってくる。
だが、母親は何も言い返さなかった。ごめんなさい、とばかり謝って。
それが何に対しての謝罪なのかは、未だにわからない。
今になって分かることと言えば、後ろ盾もなく、力になってくれる者もおらず、毎日責め立てられて……抵抗する気力はなかったんだろう。無理もない。
そうして、日課のような人々の暴言から解放され……物陰に隠れて母親の様子を伺う我々の眼は、光を反射してぎらぎらと輝いているのだから――よけい……気持ち悪かったの、だろう……。
いつもその瞬間だけは母も顔を歪ませ、目を逸らしていた。……大丈夫だ。姫にまでそんな顔をさせるつもりはなくて……すまない」

ぎこちない笑みを形作ると、レスターはまた続きを話す。

「母もイネスも、何一つ泣き言は言わない。
それが不思議でもあったし、少し……変、というか異様な気もした。
でももしそれを言ってしまったら、それこそ……捨てられてしまうような気がして。
わたしは、昔から心が弱かったんだ。
時折イネスは外に出かけていくようなやつで、帰ってくると泥だらけだったり……時に血が出ていることもあって驚いたが、何をしているのか問い詰めても教えてくれなかった。ただ、家を守るのは男の仕事、だと笑っているだけで。
わたしも気になっていたからイネスを追いかけて外に出ようと何度か思ったが、ドアを開けるとあの恐ろしい住人達が武器を手にして待ち構えているような気がして、家から出るのも怖かった。
だから、日がな一日本を読んだり母親を眺めていたよ。
本の世界は自由で素晴らしかった。魔族は大抵倒されていたが、ハークレイ様の活躍も読んだ。
そこで、強かったエルフ……今思えばユムナーグ様だったんだが、騎士に憧れたんだ。弱きを助けて、強きをくじく。そんな姿に。
『母さん、ぼく騎士になりたい。強くなって、母さんを守ってあげたい』
本当にささやかな願いでもあったし、夢でもあった。それをそう話したんだ。
だが、母親は現実を教えてくれた。
『レスターには、騎士になることはできないの』
『どうして……?』
『見てわからない?』
――母親は、わたしの目を指さして『魔族の色を持っているから』と教えてくれた。
魔族が人間を守れるはずはない、そして感謝される事なんてないと。
口調は穏やかだったが、目には黒い憎しみが静かにくすぶっていた。
『でも、ぼくは母さんの子供だよ。人間だよ』
『…………そうね。あたしが産んだわ。こうするしかなかったんだもの』
そう言った声は冷たくて、わたしにはその瞬間から――母も街の人間と同じように見えて怖くなった」
「そんな事が……もう、いいです。それ以上は、話さなくていいですよレスター様」

彼の心には深い傷がある。それを懸命にさらけ出そうとする痛ましい姿が辛い。

自分を受け入れようとするからレスターはこうしているとしても、更に傷を深めてしまうような気がした。

アヤの悲しそうな顔を見たレスターは逡巡した後、まだ終わってないと口にした。


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