【異世界の姫君/71話】

「……はい、アヤ様。息を吸って……吐いて。そのまま、額の中心に意識を集中してくださいませね」

アヤがアニスから教わっているのは、精神集中方法や魔術に関しての心構えなどだ。

きちんとアヤがそれを習得してさえくれれば、能力の使い方も上手になるはずだ。

水色の髪を三つ編みにし、優しくアヤの指導をするアニスを遠巻きに見ていたイネスは、だいぶ減ったマルーを皿の上から頂戴しながら満足げにうんうんと首を振る。

「いやー、いいね美人同士が仲良くしているのは。目の保養だぁ」

それを聞いたリネットが、文句有り気な顔でイネスを見ていた。

「他の女性のことはいいですけど、あのお二人を変な目で見ないでください」

珍しくリネットがそんなことを言うので、イネスは『おや』と眼を丸くさせた。

「アニス様はともかく、姫様のことも大好きなの? リネットさん」
「そりゃそうですよ。放っておけないところもありますし……それに、たくさんの幸せを分けてくださいますから」

にっこり微笑むリネットの『たくさんの幸せ』には、レスターとアヤのぎこちない雰囲気から会話からいろいろ観察するという使命も入っているのだが、イネスの隣に座っていたレスターには、そうは聞こえなかったようだ。

いつもアレほど邪魔にされたり、けしかけられているにも関わらず素直に捉えている。

「でもさー、その幸せも多少減っちゃうんじゃない? イチャイチャしてたらダメって言われてたし?」
「た、たとえそれがなくてもっ……! まだ楽しむべき項目は山のようにあるはずです! なければ作るしか無いです!」

野望に燃えるリネットは、月の離宮からドレスを幾つか持ってこれたらよかったのにと悔しがっている。

おおかた、アヤを着せ替えてレスターに見せつけようとしているのだろう。だが、それよりも大事なことをリネットは思い出した。

「それよりですね。ご飯です。あと、お水……アヤ様が狙われているなら、毒を盛られる可能性もあるわけですし……かといって、ここで作ろうと思っても、台所がないのです」
「あー。食事ね……確かに困るかも」

イネスはまたひとつマルーをつまむと、それを口に運んだ。歯切れの良い果肉を口の中で咀嚼すると、濃厚な味わいを持つ果汁が口に広がる。

それを嚥下し、イネスは『マルーだけ食べていられないしねぇ』と言いながら、手に持っていた残りを口に放り込む。

材料を持ってくるにしても、リネットやアヤを一緒には連れていけない。

かといって、レスターと連れ立って行ってしまっては、アヤとリネットだけになる。

アニスの結界を信じてはいても、それとこれは別で……何が起こるかわからないので避けたいところだった。

すると、一息ついたアニスは顔を彼らに向け、食事の心配なら大丈夫ですよと微笑んだ。

「わたくしが作ってきましょう。皆さんはあまり自由に行動できないのだし、たまには……わたくしの手料理も、リネットにも食べてもらいたいものね」
「アニス様っ……!」

ふふ、と優しい微笑を向けたアニス。リネットは目を輝かせて子犬のようにアニスに駆け寄り、細い体に抱きついた。

その身体を受け止めつつ、リネットの髪を優しく指で梳いたアニス。

見た目は姉妹といっても通じそうだというのに、その表情に浮かべる優しさなどは母親のソレだ。

アヤはニコニコとそれを眺め、レスターたちにも笑いかけようとして……それは消える。

「…………」

ルガーテ兄弟……特にレスターのほうが、複雑そうな表情を浮かべていたからだ。

羨望なのか、痛みなのか。とにかく内から湧いて出るそれを押しとどめているのが、顔にも出てしまっている。

(……レスター様……イネスさん……?)

二人の顔を見ているのはなんだか痛々しい。どうしてそんな顔をするのかは気になったが、見た感じから恐らくいい思い出ではないはずだ。

「――あ……。アヤ。どうか、しましたか?」

自分たちを見ていたアヤの視線に気づき、レスターはその表情を消して、いつもの真面目な表情を作る。

口調もなんだか硬かったので、アヤは何でもないと首を振った。

(きっと気づかれたのは、嫌だったんだ……)

それに、彼の顔や声に不安のような、怯えのような色が再び混じったので……アヤは、思い出とあの傷が密接に関係しているのではないかと推測し……それ以上考えるのをやめようとした。


だが。


また、頭の中でかちりと音がした。


あ、と思った時には既に映像が視えはじめていた。

暗い室内が浮かび上がるのだが……アヤはそれを止めようとする。

暗い部屋に、一人の少年。背を向けた状態で絨毯の上にぺったり座っていた。

『レスター』

金髪の女性が覇気のないかすれた声で、目の前にいる銀髪の少年を呼ぶ。

レスターたちの、奥底にとどめておきたい記憶なのではないだろうか――?

(だめ……! これはレスター様の口から聞かなくてはいけないことだから、勝手に視せないで……!)

ぎゅっと目を閉じたが、映像は止まらない。

少年は振り返って、あどけない顔で女性を見た。多分、レスターの少年時代だろうし――……彼の心の傷に近い過去なのかもしれない。

そう思うと、アヤは全身が粟立った。


(――いやだ……! そういうことをしたいんじゃないの!!)
「う、ううっ……! いやっ……!」

アヤは無理やりそれを止めようとして、自身の頬を軽く叩いた。それに驚いたリネットが、アヤの両手を掴んでやめさせようとする。

「アヤ様っ、どうされました……!」
「だ、だめなの、ごめんなさい、レスター様のっ……過去が勝手に視えそうに……!」
「え――」

アヤが辛そうに言うと、レスターの顔も恐ろしいものを見たように強張った。

レスターも嫌がっている、というのはすぐに分かった。だから、アヤも嫌だと首を振る。

自分も嫌なのに、まだ映像の先は勝手に視える。


『かあさん?』

視えた先にいる少年は、おずおずと口にする。

なぜだろう。とても、ただならぬ雰囲気がある。


そこから先は、ほんとうに、見てはいけないことだと分かった。


「嫌……!」

アヤの手首に益々力がこもり、自力で止める事が出来ないままリネットはアニスへ助けを求めるように顔を向けた。

すると、アニスは短く何かの魔法を唱え、アヤに指先を向ける。

「――あ……」

アヤの身体が崩れ落ち、リネットが抱えるようにして支えた。

アヤはぐったりしていて、小さく規則正しい呼吸をしている。どうやら途中で眠らせたようだ。

「……リネット殿。姫を寝かせますから、寝室を」
「は、はい。こちらに」

未だ硬い表情のままレスターは、リネットに近づいてアヤを横抱きにすると、リネットに寝室へ案内するよう告げた。


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