【異世界の姫君/70話】

「まったくおまえたちときたら……。
アヤはこの状況を作った元凶だという自覚も欲しいところだ」
「本当に申し訳ございません……」

椅子に座ったまま、組んだ足をブラブラさせつつ呆れた口調で小言を漏らすルエリア。

若い男女――自国の騎士と客人扱いの異世界の娘――が、恋に落ちるのを許さぬと言っているのではない。時と場合を考えてくれと言っているのだ。

平身低頭しながらレスターとアヤは自省していた。

細い身体が更に小さく細く見えるほどに恐縮し、アヤは謝罪の言葉を口にしていた。

もうドレスに着替えたのだが、流石にアンジェラの服は洗って返すからと本人へ言って、違うものを着てもらっている。

先ほど聞き耳を立てていた使用人の二人はどうしているかといえば、リネットは各人に茶を出したりしている。

イネスは持ってきた衣服と鎧を返すために脱衣所へ行ったが……先ほどどちらともつかぬ悲鳴が聞こえてきたので、レスターがイネスを締めあげているのではないかと、違う衣装に替えたアンジェラのほうが推測していた。


「レスターにもきつく言っておくが、アヤ、おまえは少し流されやすいところがあるな……。男にすぐにそうやって気を許してはいいことがないぞ」

男は顎で使うくらいでちょうどいい、というのがルエリアの弁だが、アンジェラはそこにうんうんと何度も鷹揚に頷いていたため、二人は家庭を持ったらたくましい母になれるだろう。

アヤも気をつけます、と蚊の鳴くような声で答える。

「そして、アンジェラ。アヤの身代わりご苦労だった」
「このわたくしめに、そのようなお言葉をかけていただき……感謝の言葉もございません」

膝を折り、深々と礼をしてアンジェラは『疲れも吹き飛びます』と嬉しそうな表情を浮かべていたが、アヤのほうへ向き直ると『姫もご無事そうでなにより』と声をかけた。

その声にはいくらか複雑そうにも聞こえたが、脱衣所での事件を知ってしまったら、話しかけるのも平静を装わなければならないだろうし、アンジェラとて気を遣ったりするのだろう。とアヤはアンジェラを慮った。

「はい、アンジェラ様も本当にご無事でよかった……」

しかし、アンジェラは『あたしは無事だったんですけど、結果的に姫の方が危うく……』と言葉を濁す。

「ん? どうした、そちらのほうでも何かあったのか」

ルエリアがそう聞くと、アンジェラは一瞬迷ったが――観念した様子で口を開いた。

それは、他の騎士たちが見ている前で、ドレスの下に隠した剣を見せたことだ。

何が問題なのかはアヤ以外にはきちんと伝わるのだが、当のアヤはきょとんとしたまま。

仕方なく姫様の格好のまま太股をさらけ出した、騎士の眼には姫が自ずからたくし上げたようにしか見えないだろう、と白状すると、アヤは困り果てた顔でうなだれた。

「申し訳ありません、姫……ついうっかりしていて……」
「いえ……私も十分周りが冷めるまでは気をつけますね」

お願いします、絶対お一人では行動しないでくださいとアンジェラは告げる。

流石に噂が気になるのだろう。持ち場に戻りますので、と兜を抱えて一礼し退室していった。

それから30分くらいして、気まずさ全開のレスターが脱衣場から現れ、先ほどのことを詫びた途端にルエリアの説教が始まってしまった。

陛下直々の説教は大層貴重かもしれないが、レスターは恥ずかしそうでもあり、悲しそうでもある表情を浮かべていた。

「余とて、なぜこんな母親じみた説教をしなければならんのか、考えるだけで嫌になる」

ルエリアはまさにそうだろう。

見ていたイネスが思わず噴き出すと『何がおかしい』と言いたげなレスターの視線が突き刺さった。

そこで遠慮がちに二度ほど離宮の扉が叩かれ、穏やかな女性の声がした。

「……アニス様だ……!」

声を聞き、顔を上げたリネットが母を待っていた幼い子供のような顔をする。エプロンドレスの紐をなびかせ、居間を小走りに横断し扉を開く。

ドアを隔てて立っていたのは、青いローブ姿の若い女性。細長い耳先は尖っている。全体的に、清楚、といった感じの印象だ。

(あれがアニス様? すごい、想像していた以上に若くて、ルエリア様に勝るとも劣らない美人さん……)

そう、アヤのいた世界基準に照らしあわせると(厳密かつ正確に言えば『アヤの基準で』だが)この世界の住人はほぼ全て美形に見える。

その『凄い美女』アニスは、ルエリアに礼をしてから失礼しますと部屋に入ってくる。

「はじめまして、アヤ様。神格魔術師の位を賜っております、アニスと申します。
そして、リネットの母代わり……と言えば、お分かりいただけますでしょうか。いつもリネットがお世話になっております」

自己紹介をした後のくだりは、本当に庶民のお母さんのようだった。

「いえ、こちらこそリネットにはお世話になってばっかりです。大変助かっていて……!」
「そうですか。よかった、リネットもちゃんとお仕事しているのね。ヒューバート様にも迷惑かけていない?」

ほっとした様子で胸をなで下ろすアニス。

ローブの裾から垣間見える腕はほっそりしていて、食事をきちんととっているのか心配になるほどだ。

「もうっ、アニス様ったら……いつまでもわたしを子供扱いしているんだから!」

ぷくりと頬を膨らませたリネットが可愛らしくて、アヤもアニスもつい微笑む。

「姫様、アニス様はね、亜人種……森の妖精と言われるエルフ族なんだ。
そして、この国でいっちばん凄い宮廷魔術師。聞いたかもしれないけど、重要な結界なんかもお願いしているんだよ」

イネスの説明に、エルフ、と頷いたアヤ。

有名どころのファンタジー小説なんかでよく見かけた一族だ。

「あ、でも、エルフ族の皆さんは……結構人間嫌いだと小耳に挟んだことがあるのですが。アニス様は大丈夫なのですか?」

アヤの質問に、アニスは言っている意味が分からないという困惑顔だ。

「いえ、そのような事実はございません。どちらかといえば、人間とは友好的で、夫婦も多数目にします」
「ご、ごめんなさい……私が言ったことは忘れてください」

やはり、自分の世界での知識はこんなところでさえも役に立たないと痛感したアヤは、両手を胸の前で振って、否定や幾度目かの恐縮を示す。

「もう世間話はいいか? 早速だがアニス、この離宮全体に壊れぬ結界を張ってくれ。
無理を承知で言えば、結界を壊さず、ごく限られた者だけが出入りできるようにしてもらいたい」

可能か、という言葉に、はいと即答するアニス。

「その結界に干渉しないよう、術符を作成しておきます。それを持っていれば、出入りが簡単になるでしょう」
「ああ、それで構わぬ」

承知いたしましたと答えるアニスは、すぐに杖を構えて術の詠唱を始めた。

髪色と同じく、清涼感のある声は心にも浸透してくるかのよう。

そして、アニスが杖を掲げると……杖の先端についている宝玉が光り、床に文様が浮かび上がって瞬時に広がり、消える。

「これで大丈夫でしょう。もしも、より強固なもの……街などに使っているような物が必要であれば、準備も必要になりますけれど」
「いや、これで良い。礼を言う。して、先ほど申していた術符なのだが6枚欲しい」
「承知いたしました。すぐに作成いたします。ひとつ席をお借りいたしますね」

そうして奥の椅子に腰掛け、ぶつぶつ詠唱しながらも紙に文様のようなものを記していく。

おそらくそれが術符で、ルエリア自身、アヤ、レスター、リネット、イネス……そしてヒューバートの分で6枚、だろう。

アニスに茶を出すという口実で近づいたリネットは、至極嬉しそうにアニスの側、肩越しに術符を覗き込みながらまるで母娘というより姉妹……のように仲良く微笑みあっている。

その光景を、羨ましく見つめていたアヤだったが、皆が食べるだろうと思ってまた皿に山盛りのマルーを剥いていたイネスに話しかけた。

「アニス様って、お若い方だったんですね。もっと見た目が上の方だと思っていました」

イネスはシッ、と小さく息を吐いて制止する。

「姫様、世の中には知らない方がいいこともある……とはいえ、アニス様のことは秘密じゃなくて。
エルフ族の外見は特殊で、人間と同じように成長していきますが、一定までくると老化が緩やかになるんですよ。
だから外見は若いままですねぇ。女性のお歳を聞くなんてのは失礼なので知りませんけど、見た目も年齢もルエリア様よりちょっと下じゃないのかな。いや、同じくらいかな?」

うーん、と言いながら首を傾げたイネスだったが、ルエリアにその話は一部始終届いていたようだ。

「イネス、その説明では余が年増だと言いたいようだな」
「なっ、何をおっしゃいます! 滅相もない! 陛下はお美しくあらせられる!」

じろりと睨まれ、ぎょっとしたイネスは、青くなった顔で何度も首を横に振った。

ふん、と鼻を鳴らしたルエリアは、今度はレスターにどう思うかと尋ねると、レスターも同じ事を言う。

「……同じなのは顔だけで十分だ」

珍しくルエリアががっかりしたような表情をするので、アヤはついイネスとレスターを見比べてしまった。


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