イネスがウキウキとした足取りで扉に近づき、両手で押し開くと……そこには、レザーアーマーを着用し、飴色の髪をした女性騎士がいた。
羽飾りが側面についた豪華な兜は重そうだったが、彼女はそれを被って平然と立っている。
その人物を目にしたレスターは、意外そうな声で呟いた。
「……アンジェラ?」アンジェラというのは女性騎士の名前らしい。
女性もレスターがいた事に驚いたようだったが、近くにいるアヤを見て納得したような顔をしている。
室内に入ってくると、先程イネスが書いていたらしい紙を渡されて、それに目を通し始めた。
恐らくそこには、これから取るべき手はずが書いてあったのだろう。
読み終えたアンジェラはイネスに向かって無言で頷くと、アヤの方に歩み寄り、深く頭を下げた。
「アヤさま、はじめまして。一応そうなりますねとアンジェラは答えてから、ちらっとまたレスターを伺い……アヤのほうへ顔ごと戻す。
「……こんなお姫様を、よくもレスターがまぁ……」呆れているのか驚いているのか分からないような言い方で、アンジェラはふぅとため息をついた。
そうして、男どもに合図して後ろを向かせると、アヤに服を脱いでくださいと小声で促す。
「あたしの服と姫のドレス、互いの服を替えるのです。体格も髪の長さもだいたい似ているから。事情がうまく飲み込めないアヤだったが、アンジェラがレザーアーマーに手をかけて取り外すのを見て、リネットに手伝ってもらいながらドレスを脱ぐ。
その間、レスター達は何をしているのかと思いきや、雑談しながらやはり同じように服を変えているらしい。
(あれ。イネスさんも着替えるの……?)そのままでいいのに、と思いつつ、アンジェラが着ていた服に袖を通すと、ふんわりと香る彼女の匂いが優しかった。
動きやすさを重視したミニスカートだったが、アンジェラはレギンスやスパッツのような下履きをつけていないのだろうかと、自分のことよりもアンジェラの下履きに関する勝手な心配までしている。
「あまり綺麗な服ではなくて申し訳ありません。アンジェラはすまなそうにそう言ってくれたが、会話が漏れている以上、うかつなことを喋ってはいけない気がしたからアヤは小さく微笑むだけに留めた。
服を交換し終えると、リネットはアヤが昨日つけていたイヤーカフスをエプロンのポケットから取り出した。
それを耳につけようとする前に、アンジェラは二人を制止させて口の中でブツブツと呪文を唱える。
するとどうだろう。
彼女の姿は、たちまちのうちに変化してアヤと寸分違わぬ姿になったが、髪色までは黒にならないようだ。
「アンジェラは、変化の呪文が使えるんです」驚いたアヤに、執事服姿のイネス……ではなく、レスターがそっと耳打ちしてライトの光量を再び調節する。
黒く見せるように影になった部分にアンジェラが立ち、大丈夫だと頷いた。
アヤの姿をしたアンジェラは、くすくすと可愛らしく笑ってから自分の姿はどうだ、というような態度をレスターに見せた。
彼は無言で頷いたきりで、アヤの手のひらにあったイヤーカフスを指でつまむとアヤの左耳につけて、アンジェラとは逆に、黒から飴色に変わる色の変化を眺めていた。
「……じゃ、準備しなくちゃね。窓、危ないから張っておくわ」相手に警戒させるためなのか、アンジェラは窓に向かって手をかざすと、リネットの持っている宝珠よりも強い結界を張る。
「これで少しは時間が稼げるといいけど……あまり当てにしないでね。じゃ、あたしはもう行くから」レスターもそう言って――自分の鎧を着ているイネスと視線を交わらせると、頷いた。
しかし、イネスは『忘れ物だよ』と、レスターの髪を指している。
「……そうだったな」残念そうに呟いたレスターは剣を抜いた。
苦笑いを浮かべながら束ねた髪を掴むと、首の後から剣を差し入れ、紐ごとばっさりと髪を断ち切る。
「レ……」思わず声を上げかけたアヤの口に、アンジェラが手のひらを押し当てて叫びを消す。
髪の束をイネスに向かって放り投げると、肩に散った髪を払いのけ、アヤに行こうと戸口を示す。
どうやら、イネスの作戦というのは――
アンジェラがアヤの身代わりを務め、イネスがレスターの代わりとなっている間に、リネットを連れてここを出ていく、というものらしい。
ただ、万が一襲撃された場合には……アンジェラは戦うのだろう。
部屋の外には見張りがいるかもしれないので、アヤにはバレないよう目元まで覆うアンジェラの兜をつけてもらう。
それで誤魔化すというのだ。
レスターとイネスは双子なので、慣れていないとどちらがどうなのか特定するのは難しいだろう。
つまり、アンジェラがイネスとリネットを連れて帰るついでに、部屋に術を施してやった、という筋書きのようだ。
どうせ相手には声しか聞こえていないのだから、アンジェラやイネスが小芝居をしたところで中がどうなっているかなど、分厚いカーテン越しではわからないだろう。
「リネットさん、アンジェラの言うことちゃんと聞いてね」悲しそうな演技もお手の物なのか、声には実感がこもっている。
「り、リネット……こそ、どうか無事で。アンジェラ様も……どうかイネスさんとリネットをよろしくお願いします」演劇をやっていたのに演技は素人に毛が生えたようなものだったが、アンジェラにお願いした事は本心だった。
それが分かったのか、アンジェラも強く頷く。
「承知しました。でもあたしたちに、そんなに頭を下げないでくださいね? これくらい当然のことですから」じゃあ、行くわよとアンジェラは言って――アヤの代わりに頭を垂れた。
扉を開き、アヤは『また襲われたら』という恐怖を抱きつつ一歩外に出る。
きょろきょろとあたりを探ってみたが、誰かがいる気配はない。
すると、肩に手を回して抱きついてくるレスター。
「レ――」レスターがどうかしてしまったのかと挙動不審になるアヤに、レスターはこっそり、かつ手早く耳打ちした。
「わたし達は今『レスター』や『アヤ』ではない。それだけ告げるとレスターはそっと離れ、嫌がること無いのに、と悪態をついている。兄のせいで嫌な思いをしていたせいか、妙にイネスの真似が上手い。
(……せっかくイネスさんも、アンジェラさんも手を貸してくれてるんだから……でも私、アンジェラさんよく知らないよ、どうしよう……)悩んだが、無理に話すとボロが出るならあまり喋らない、という方向性を取ったようだ。
「フン。こんな時にバカじゃないの? まっすぐ歩きなさいよ」できる限り冷たい反応を返し、アヤはスタスタと廊下を歩く。
途中、ひどいなと言ったレスターの顔は、割と本気でショックを受けているようにも見えたのだが……。
リネットはといえば、俯き加減に歩いている。
怖がっているようにも見えるが、真一文字に結ばれた唇は、決して開かぬようにと閉ざされている。
どうやら……笑いを堪えているようだ。
しかし、てくてく歩いていたアヤは、何処へ向かって歩けばいいのかを聞いていない。
「……っ、イネス。と、リネットをアヤの隣にさせ、ニコニコと微笑みながらレスターは肩を並べる。
「アンジェラ様、わたしまだ怖いので手を握らせてください……」眼が見えづらいアヤを気遣ってくれたのだろう。
リネットがそっと手を握って、気持ち歩幅を早くしてアヤを引っ張ってくれている。
その優しさに感謝しつつ、アヤはレスターの案内する方向――王宮内の客室へと向かっていったのだった。