レスターは言葉を失い、辛そうな顔をしているアヤを見つめたまま、次にかけるべき言葉を考えていた。
しかし言葉は出てこず、アヤの話も信じたくはなかった。
だが、彼女が嘘をつくはずはない。
そう思っていても、自国に降る厄災というのは一つでも少ないほうがいい。
「……それは、明日必ず起こるのですか」しかし、アヤはどっちともつかぬ返事をした。
「私が見たものはそうだったというだけで、必ず起こるのかは私にも断言できません。本の中ではそうなった。
だから本の通りなら起こるかも――というだけである。
しかし、それをいってしまうのはいたずらに危機感を煽るだけだし、今でさえレスターは怒っているような顔をしているので、言い出せないというのもあった。
「……アヤの予知が当たった事はありましたか?」そう言われ、アヤは口元に手を当てて記憶を遡る。
アヤがこちらに来てから、本の通りになったことはあるのだろうか。
23日には何があったらだろうか。
その日が思い出せないなら次の24日は?
「……レスター様は、24日から私と行動されていたので訓練には出て……おられない?」レスターの言葉にアヤは大きく頷いて、本の記述と比べてみる。
出番はそんなに多くはないにしろ、レスターの行動だけを文面から拾っていった事もあったので、記憶に残っている部分はいくつかある。
その24日は、朝の訓練が終わった後に、食堂で同僚と話しているはずだ。
だが実際アヤがこの身で体験したのはリネットに起こされた時、レスターが血相変えて駆け込んだ事だった。
それにレスターの朝食はどうだったのかといえば、ルエリアの謁見の際にも食堂には行かず、
結局アヤと一緒に摂っていたので兵士たちが集まる場所には……恐らく風呂にしか行っていない。
レスターだけでなくヒューバートはどうだったかとも考えてみたが、彼の場合は朝の訓練も出ているし、
恐らくレティシスにも一日一度は会っているのだろう。
記述とあまり変わったところは――……。
「あ。ヒューバート様は、昨日私と話した後にお出かけになってましたね。天気も荒れているのかもしれない。
違うと感じたことを次々あげていくと、レスターの顔から険しさが消えたのはいいのだが、逆に疑わしかったのか眉根が寄せられていた。
「あまり気にすることではないものが違っているようですが……その程度の相違点しか無いのであれば、そこまで行動する必要などないのでは?」レスターが事もなげに言ったので、アヤは思わず声を荒げてしまった。
「だって、もしかしたらレスター様が……大怪我をしてしまうかもしれないんですよ。怖いといった瞬間、ぼろっとアヤは大粒の涙を零した。
レスターははっとした顔でアヤの頬に手を置いて、すまないと謝った。
「イネスさんやルエリア様がそうなっちゃったら、レスター様だったらどうするんですか。両腕でアヤを包み込むと、背中をポンポンと叩いた。
腕の中でアヤはぐすぐすと鼻をすすっている。
「考えを押し付けたりしたくないですけど……、たとえ調査をして何ひとつ変わらなくても、安全点検くらいにはなるんじゃないでしょうか」気も回らなくて、なおかつ辛くあたってしまったのを詫びるレスター。
しかし、彼らが佇む城壁には、もっと厄介な男の姿があったのだ。
(ふぅん……。壁の影に隠れながら聴力を向上させる魔法を使って、彼らの会話を聴いていたロベルトは、気配を消しながらそっとその場から離れる。
しかも、夜襲が起こるかもしれないなど馬鹿げたことを言って、レスターも情にほだされて正確な判断ができないようになっているのだと思ったロベルトは、だからアイツは信用ならないんだと心の中で罵り嘲笑した。
(……まあ考えによっちゃ、あの女を数日どこかに閉じ込めておけば、捜索するため勝手にレスターはあちこち動くだろう。夜襲なんざあるわけがない。数日経って何事もなければ、女を陛下の前に引きずり出して罪を引っかぶせることも出来るな)レスターの信頼も、アヤの能力も否定できるのであれば願ったり叶ったりだ。
思わずニヤリと口元を歪めたロベルト。
今後の計画を想像しながら踵を返して宮殿に向かって歩き出したが、長く伸びる紫の髪は、蛇を思い起こさせるように妖しく風に揺らめいていた。