【異世界の姫君/47話】

アヤと連れ立って長い廊下を歩いていると、レスターはすれ違う兵士や騎士たちから『おめでとう』『今度メシおごってくださいよ』などとしきりに声をかけられ、同僚と思しきものには『うまくやりやがって裏切り者』とこづかれたり、なにかボソボソとアヤの聞こえないところで言われたりしていた。

その後はアヤにも丁寧な挨拶をしてくれるのだが、残念なことに顔が見えないので特徴がわからない。

名前も全部は覚えられないかもしれなかった。

しかも騎士に会うたび言われているので、その都度足を止めて数分立ち話をしている。

顔は見えないが、レスターの声や物言いから気分は決して悪くないのだと判ったアヤは、自分でも知らぬ間に嬉しそうな顔で微笑む。

幾度目かの騎士たちとの会話を終え、アヤが微笑んでいるのに気づいたレスターは、彼女の側に歩み寄って『どうしましたか』と優しく尋ねた。

「レスター様は、騎士の方々からも十分好かれているんだなって思ったら……ちょっと嬉しかっただけです」

アヤは本気でそう思っているようだったし、レスターは好かれているなどとは特に思ったことがないため、戸惑ったような表情を浮かべている。

「……好かれているかどうかはわかりませんが……他者から見れば、人の恋路は楽しいのかもしれませんね」

リネット殿もそうですし、とレスターは肩をすくめると、アヤの手をとって再び歩き始める。

彼の手は温かくて、握り方も優しかった。

その温もりすらも愛しく感じて、今日の目的も忘れて、このまま一緒にいたいと願ってしまいそうになるほどだ。

「人を好きになることって嬉しいですね。しかも好きな人が、自分を好きになってくれることも――凄い、素敵な事です」
「はい。わたしもそう思います」

アヤがこうして、自分に微笑んでくれているのだから。

「……あの……」

自分でも図々しい事を考えているなと呆れつつ、レスターは緩みそうになる口元を手で押さえ、視線を外して呟いた。

「……アヤは……いつから、わたしを……?」

突如聞かれたことに対して、アヤも『えっ!?』と動揺し顔を赤く染めつつ、はっきりはわかりませんが、と前置きして――

「私は、リスピアの騎士様の一部しか知らないのですけど……レスター様の印象は、私が知っていたものとぜんぜん違うものでした。こちらに来てから、初めて出会った実際のレスター様は……思っていたよりずっと格好良くて、 慣れないながらも私のことを気遣ってくれて……特に、笑ったお顔がすごく……好きです」

なんだか、とんでもないことを聞いてしまった気がする。

アヤも色白の肌を朱に染め恥ずかしそうにしているが、レスター様はどうなのですかと逆に尋ねられたレスターは口元を隠したまま、ううんと唸った。

「勿体無いお言葉を賜りました……わたしの言葉がうそ臭く感じられるかもしれませんが……初めて出会った日から、アヤに強く惹かれていたのです」

一目見た時、類稀なる美しさに溜息が漏れたのも事実だったが……

アヤがレスターを見つめる瞳は時に熱っぽく、あるときは寂しそうで彼の心を惹きつけるし、王族でありながら気位も高くないという親しみやすさもあったに違いない。

そして何より――ルエリア以外で、魔族だとか人間といった種族を問題としておらず、まっすぐ『レスター』という男を見てくれた女性でもあるからだ。

「ほ、本当ですか?」

アヤが照れつつも嬉しそうに、レスターに真意を聞くが、レスターは本当ですよと言って、アヤの頬に手のひらを当てて笑う。

「そうでなければ、何度も……その唇を狙ったりしていませんよ」

アヤは今更ハッとした顔をして、どう言葉をかけたらいいか思い迷った挙句……熱い顔を隠すように俯いて歩いている。

レスターもまた、ちょっと似合わないことを言ってしまったかと内省し、しばし気まずさはあっても不穏ではない程度に無言のまま、離宮に続く白い廊下へと足を踏み入れていた。

「……レスター様」
「はい?」

まだ赤い顔をしているアヤは、繋いだままの手をきゅっと握り直し、くるりと勢い良くレスターの方へ向き直る。

アヤの動きを追うように、ドレスの裾がわずかに床から離れて翻った。

「――えいっ!」

誰もいない事を確認し、アヤは意を決した声を上げ、レスターの胸に勢い良く飛び込んできた。

「アヤ?!」

思わず受け止めてその身体を抱きしめると、彼の胸に手を置いて、アヤは想い人の赤い瞳を覗きこむ。

彼女の瞳も熱っぽく潤んでいて、レスターは見つめ合うだけで頭の芯が甘く痺れるように感じ、目眩がするかのようにくらくらしてしまう。

「……この間、レスター様は私に無理やりキスしましたね」
「う……はい、確かに……」

あの時を思い出すと、レスターは情けないのと同時にヒューバートに殴られた痛みも思い出す。

この数日で、マント事件に続く黒歴史がまた増えてしまったようだ。

それを頭の片隅へと追いやりながら、レスターは『でも謝りません』と言い放った。

「昨日も申しましたが、アヤが意地悪だったからだ」
「あっ、開き直った! でも、レスター様だって私に『数日で仲良くなんてなれない』って酷いこと言いましたよ。
あのままじゃ私納得できませんから、あの事を水に流すという交換条件で、レスター様にはとある事を提示していいですか?」

緊張した面持ちだったので、またレティシスに会わせろというのではないかとヒヤヒヤしながら、レスターも同じように緊張しつつ『なんでしょうか……』と尋ねた。

すると、アヤは彼の胸に額をコツンと当ててから……自分を奮い立たせたのだろう。

再び顔を上げる。

「……ちゃんと好きって言って、キスをしてください。そしたら、私許します」

男の人とキスしたの初めてだったんですから、と後から早口で言ったのは、もうレスターに聞こえていない。

なぜなら既にアヤの頬に手を添えており、ゆっくりと顔を近づけていたから。

「わたしの人生に色を与えてくれた女性。その熱い眼差しも、声も、全てが愛しい……恋に落ちるのに時間は関係なかった。わたしは誰よりもアヤが好きだ」

そうして――アヤが満足そうに微笑んだ後……眼を閉じたのを見て、優しく口付けた。

胸に添えられていたアヤの手は、おずおずと遠慮がちな仕草で彼の首へゆっくり回され、その指先をさらりとした騎士の銀髪が撫でていく。

遠くで鳥の鳴き声や誰かの声が聞こえたが、今はお互いの感触と熱しかわからない。

名残惜しそうに唇を離したレスターは、そのままぎゅっと強くアヤを抱きしめ、愛していますと耳元で囁く。

アヤも幸せな気分にうっとりと浸っていたところ、レスターはバッと身を離して深呼吸をしてから、アヤに向き直る。

「……アヤ。これ以上抱きしめていると、朝から何もかもどうでも良くなってしまう。休暇でもないのにそのような不道徳はよろしくありません。それに、アヤにはやるべきことがあるのでしょう」

急にまくし立ててくるレスターに、照れることも忘れてぽかーんと口を半開きにしたままのアヤ。

やることはあるのですけど、と働かない頭のまま言ったアヤだが、ハッと気づいてしまった。

きちんと周囲を確認したはずなのだがレスターのすぐ後ろ……列柱の影から、こちらを伺うメイドと執事の姿に!!

アヤは日本人でありながら、どこにでも隠れてこちらの動向を伺う技能を持つ家政婦たちの存在を見落としていたのだ!!

目はきちんと見えなくとも、アヤには毎度怪しげな態度でわかってしまった。

「ちょっと、リネット! イネスさん! なんでいつも見てるんですか!」
「いや、たまたまですって! 昼のメニューを確認してから帰ってきたら、前でいちゃつき出したから邪魔できなくて!」
「わ、わたしもですっ! ほ、ほら、新しい茶葉と綺麗なティーカップをお持ちしようとしたんです!」

自分たちはあくまで偶然だと言い張っている。

しかし、リネットとイネスの顔はニヤついていて、怒ったレスターはイネスのネクタイをギリギリ締めていく。

「ああ、そうか。よく解ったからしばらく黙っていてくれ。なんなら手伝う」
「ちょ、苦しい、レスター。恥ずかしいからってこれのほうが不道徳だろ」

目の前が暗くなっていく危機感からレスターの手を振りほどき、つまりですね、とイネスは口を開いた。

「姫様。レスターはですね、きっと手が早いと思うんです――」
「黙れ! さっさと死ね!」

顔を赤くしたレスターが、ヘッドロックをかけて締め上げている。

情けない悲鳴が聞こえているが、リネットはさわやかな笑みを向けたまま、アヤに『じゃあお部屋に戻りましょう』と、彼女の前に立って何事もなかったように歩き始めていた。


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