【異世界の姫君/35話】

ちょうど時を同じくした頃、リネットは部屋からイネスを追い出して、アヤを入浴させている最中だった。恥ずかしそうに裸身をタオルで隠し、リネットに手を引かれながらおずおずと浴室に入る。

「ごめんね、リネット……。
目が見えていればこんな苦労はかけないのですけど」
「何をおっしゃいますやら。
見えていてもいなくても、わたしのお世話は変わりませんよっ!」

すまなそうに謝罪の言葉を口にするアヤの髪を梳きながら、リネットは明るい笑顔を向けた。

浴槽から湯を汲んで、自分の側に置くとタオルを湯に浸して、軽く絞る。

「アヤ様、体を洗いましょう! わたしお手伝いしますね?」
「だ、大丈夫! 自分で洗えるから、そこまでは……!」

恥ずかしがるアヤに、ダメですよと言って聞き入れないリネットは、半ば強引に実行した。

「うう、恥ずかしい……」
「まあまあ。楽にしてください~」

背中から洗いはじめて分かったことだが、姫の体つきも、あまり大きな方ではない。

リネットより身長もあったから、もうちょっとしっかりした身体つきなのかと思っていたのだ。

常に着替えを手伝っていたのによく見ていなかった、と思いながら、口を開く。

「……アヤ様が一体何をしようとしているのか、わたしにはわかりません……。
でも、ヒューバート様より『姫は重要なことをしているから邪魔しないように』と言われてますから……わたしには見守ることしかできないのが心苦しいです」

事情も知らぬリネットには、賓客であるはずのアヤが、どうしてこの国でひっそり行動するような事をしなければならないのかすら、わからない。

わたしができるのは、こういう身の回りのお世話しかなくて……と洗いながら話してくれるリネット。

「私……いろんな人に心配かけちゃってますね」

アヤは事情を説明できずにごめんなさいと謝罪して、小さく息をつく。

会話はなくなり、タオルで肌を優しくこする音だけが浴室に響く。

そういえば、レスターとヒューバートは練兵場でどうしているのだろう。

今から練習をするにしても、様子がなにか変だったし……怪我をしていなければいいのだが。

アヤはそこから連想したのか、レスターとの会話を思い出す。

数日で仲良くなれるはずはない、と言っていた。

彼自身がそう思っているのなら、やはり自分とレスターは、心を通わせることが難しいのだろうか……。

「ねえ、リネットとヒューバート様が付き合い始めたのはいつ頃?」

気が付けば、リネットへとそう訊いていた。

「えっ、わたし達の話ですか……? ええと……一年くらい前から……です」

当時の事を思い出して、リネットの顔はほころぶ。

「実は、わたしから告白したんです。ダメ元だったけど、『僕も好きだよ』って言ってくれたときは凄く嬉しかった……」

リネットの顔が見えないのはすごく残念だが、恐らく彼女は、今とても可愛い顔をしているのだろう。

「第一印象は、全然良くなかったんですけどね……」

思いもよらぬ言葉に、アヤはそうなの? と聞き返す。

「はい。今からは想像つかないでしょうけど、人を寄せ付けない雰囲気がありましたし……あいも変わらずモテ続けてますから、きっとナルシストで、女の子とっかえひっかえ遊んでいる軽薄な男なんだろうな。うわ、一番嫌いなタイプだ……って思っていました」

酷い言われようだが、知らない人から見れば致し方ないかもしれないな、とアヤも思う。

実際自分がこの世界の生まれで、騎士たちのことを何も知らなければ……ヒューバートや、まだ見ぬ騎士にも黄色い声を上げていたかもしれないのだ。

しかし、レスターでさえとても綺麗な顔をしているというのに、あれで平均クラスだとは恐ろしい世界である。

多分、アヤにはこの世界での美醜は分からないのではないかとも自覚しているし、こういう世界だから、自分の顔立ちがどの程度なのかも気になる。レスターは、綺麗だと言ってくれたが……世辞でなければ嬉しい。

……勿論、そこまで気が回るような男だとは、残念ながらアヤですら思えなかったけれど。

アヤの体へ、かけ湯をしてから立ち上がらせると浴槽まで手を引いた。

身体を覆うタオルが邪魔なので引っ張って取ろうとすると、アヤは恥ずかしさのあまりそれを嫌がって抵抗したが、結局はぎ取られてしまい、胸や大事なところを手で隠したまま湯に浸かっている。

「女同士ですから、隠すことはありませんのに」
「だって……なんだか、リネットがずっと見てる気がするから……」

あ、わかりますかと思わず口に出してしまったリネット。

どうやら見えなくても視線は感じていたらしい。

「わたしだって、浴場に行っても女性の裸はつい見てしまいます。
女同士でさえそうなのですから、男の人にとっては、たまらなく見たいものなんでしょうね……」

深いなー、と、呟くリネット。

何が深いのかさっぱりわからないのだが、アヤは思わず視線から逃れるように体の向きを変えた。

「……アヤ様、好きな人はいらっしゃるんですか?」

大体わかっているのだが、リネットはあえてそう訊いた。

慌てるアヤも可愛らしかったし、何より本人の口から聞いてみたいと思ったのだ。

「す、好きかどうかは……」

まだわからないと言おうとしたが、レスターの顔が浮かんでくると……胸がきゅぅっと苦しくなった。

レスターの事は心配だし、いつも世話になっている。

リネットと同様、アヤにとってはとても身近な人でもある。

勿論ルエリアには大変世話になっているが、生まれも育ちも恐れ多くて身近……とは言ってはいけない気がするのだ。

「……私……レスター様に嫌われてしまったかもしれません」
「それは、絶対無いと思いますよ……ていうか、やっぱり気にしてるんですね」

リネットからの指摘に、思わずはっとしてうろたえた後、耳まで赤くなっていく。

あれでレスターが意識されていなかったなら、アヤの知っている男なんてヒューバートかイネス――あとはガルデルとトリスのおっさん――しかいないのである。

「レスター様は、アヤ様の事を好きだと思うんですよ。キスまでしてたじゃないですか」
「あっ……、でもそれは、たまたま……」

え、とリネットは大仰に驚く。

「アヤ様は『たまたま』で、キスできるんですか!?」
「できません! ていうか私には分からなかったですし!」

でも抵抗しないのは好きだからでしょう、と言われて、アヤははっきりしないような返事をする。

「……わからないんです。
私がリスピアに来て、リネットやレスター様とずっと一緒にいるから……懐くような『好き』なのか、それとも……甘えさせてくれる人だから、嫌われないようにしたいっていう気持ちなのか、うまく判断できないの」
――もっとひどく言ってしまえば、レスターに対する何らかの……たとえば、助けてあげられないかもしれないという申し訳なさからくる同情のようなものだってありうるのだ。

軽い自己嫌悪に陥っているアヤの側で、リネットも濡れていないタイルの上に膝を抱えて屈む。

「例えば、イネス様に恋人ができたら、どう思いますか?」
「それは、とても素敵なことだと思います」

ですよね、と言って『じゃあ、レスター様に恋人ができたらどう思いますか』と聞いた。

すると、アヤはイネスの時のように即答できなかった。

「……喜ばしい事だから、おめでとうって言ってあげたいです」
「心の底からお祝いできますか? あ、悩みましたね。本当は気が進まないのでしょう?

……じゃあ、レスター様から好きだ! って言われたらどうします? 断ります?」
「えっ……? そんなことレスター様から言われたらどうしよう……!
だからって断るなんてこともしたくない……、ううん、がっかりされたくない、のかな……」

急に照れ始めたアヤを見て、かわいいなあ、ギューってしてしまいたいなと思いつつニヤニヤした笑みを浮かべているリネット。

「気になる人には好かれたいと思うのも、当然ですよ。
わたしも、ヒューバート様の事をそっと見ていた時は、好きという気持ちよりも、相手に好かれたいって思ってたほうがあった気もしますし。
目が合うだけで、ドキドキが止まらなかったです」

それはアヤにもわかる。

つい目で追ってしまったり、目が合いそうになるとサッと視線を外したりする。

名前を呼ばれたり、身体にちょっと触れられただけでも嬉し――……。

そこまで思ったアヤは、今自分がまさに『そういう』状態なのに気づく。

「……私、レスター様を……好き――なのかな」

絶対好きなんだと思いますけど。

とリネットも口に出しそうになったが、ここはぐっと堪えた。

アヤ本人がそう実感しなくてはいけないのだから、後押ししすぎては逆効果だ。

「焦らず感じてみてください。でも……もし、好きだって言うなら教えて下さいね。全力で応援します」

と、リネットはウィンクしてみせた。

気づかないのは仕方がないとして、本気のリネットは一体どのようなことをするのか。それを想像したアヤは、思わず頬をひくつかせつつ『その時は、協力を頼みに行きますね』と濁した。

「ところで、今日はもうゆっくりされますよね……? また出かけたりなさいませんよね?」

リネットの心配そうな声が耳に届く。

彼女なりに、心配してくれているようだ。

「目が見えていたら、もっとやりたかったんだけど……ルエリア様にも休んでいいと言われたし、お腹も空いたので夕方くらいまではゆっくりしたいなぁ……」
「任せてください! 湯浴みとお着替えを終えたら、アヤ様はマルーを召し上がりながら待っていてください! また食事を作ってもらってきますね!」

リネットはいい子だな、としみじみ思ったアヤは、湯船から腕を上げて、手探りでリネットの掌を探す。

「アヤ様……? リネットはこちらにおります」

そっと手を握ってくれた感触を、慈しむように両手で包みこむ。

「リネット、側にいてくれてありがとう……本当に、感謝しきれません」

これからもよろしく、と素直に伝え、そっと手を離す。

「もうお風呂から出ないと、のぼせ――」
「アヤ様あああー!」

立ち上がった拍子に、感極まったリネットが身体に抱きついてきた。

「きゃっ!?」
「アヤ様の為に頑張りますっ! だからわたしこそ、よろしくお願いします!!」

それはいいのだが、急に抱きつかれたものだから、アヤも動揺を隠しきれず身を引いた。

だが……飛びついてきたリネットも、ぐらりとバランスを崩してしまう。

「あ、アヤさ……」

咄嗟のことで、支えきれなかったリネットが落ちてきた。

大きな水音が浴室に反響し、アヤは水しぶきを頭から引っ被ってしまう。

「……ぷはっ! アヤ様、申し訳ありません!! わたし嬉しすぎてつい……!」

メイド服のまま飛び込んでしまったので、リネットも上から下までずぶ濡れだ。

そして、アヤの包帯が濡れてしまったことにやや青ざめつつ、何度も申し訳ないと謝罪している。

「これは……またお医者様に巻いてもらえば大丈夫だと思います。病気じゃなさそうなので、必要ではないかもしれませんし……」

勝手に判断はできないが、濡れたものを巻いていてもよくないだろう。

包帯をたどたどしく解いてみたが、見た目には異状があるか分からない。やはりアヤの眼は室内や人物の顔を何ひとつ映そうとしないらしい。

「とにかく、リネットも早く着替えないといけないでしょう? もう出て、一緒に着替えをしようね」
「……はい……」

ざばりと湯船から上がったリネットは濡れ鼠状態で、水を滴らせつつ、アヤの身体を拭くためのタオルを手に取って戻ってくる。

しかし、やはりアヤもリネットを不憫に感じたのだろう。

先にリネットが出て、タオルをもう一つ持ってきて欲しいといったのだ。

スカートの水気を雑巾のように絞って、リネットは『すぐ持ってきます』と急いで浴室を出ていった。

――だが、そこにはまた例の間の悪い男がいたのだ。

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