【異世界の姫君/34話】

ヒューバートも避けずに掌で受け止めたが、怒りに身を任せたレスターの一撃は想像よりも重く、衝撃でヒューバートのマントがなびく。

「僕、レスターよりも年齢と階級は上なんだけど……」
「だから何だ!」

鳩尾を狙うレスターの膝蹴りを腕で払い退け、右手から左手に持ち替えた剣の柄で、レスターの肩を押す。

「年長者と上級騎士には敬意を払うように、という教えは受けてるはずだろう?」
「普段はそうかもしれないが、今の貴様に敬意を払う価値などない!」

それはお互い様だよ――最後まで聞かせるような間もなく、目にも留まらぬヒューバートの蹴りがレスターの胸を捉えた。

壁際まで蹴り飛ばされたレスターに、ヒューバートはさっき殴り飛ばしたぶんもカウントするから、チャンスは後一度だけだね、と告げてやった。

壁に手をついたまま咳き込んだレスターは、瞳に燃えるような怒りを湛え、ヒューバートを睨みつけていた。

この顔から、まだ勝負を諦めていない様子なのも見て取れる。

「あと一回も要らないかな? まあ、約束だから付き合うよ」
「ふざけるなっ!」

レスターはそう叫びながら砂を蹴って、余裕たっぷりのヒューバートへと駆ける。

――結局、チャンスを与えてもダメだったかな。

失望によって寂しげな顔をしたヒューバートは、そのまま目を閉じた。

「残念だよ、レスター……」

繰り出されたレスターの拳を、目を閉じたまま腕で受け止めるヒューバート。

しかし、その威力は片手で受け止められるものではなかったのだ。

ヒューバートの髪が――拳圧にあおられ、数本散らされた。

受け止めた腕は大きく弾かれ、ヒューバートの身体をがら空きにする。

(……しまった!)

思わず刮目して身構えると、危険を回避すべく本能的に瞳の『力』を使った。

「もし――……!」

レスターが低い声でヒューバートへ語りかける。

「もしもアヤに良からぬ考えを持って触れてみろ……! ましてや不幸になどさせたら、わたしが貴様を八つ裂きにしてやる!」

必ずだ、といったレスターの唇と、心の声は同じだった。

「……レスターにとって、姫ってそんなに必要?」
「当たり前だ! わたしはアヤを……誰よりも大事に思っている!」
「ふぅん……それって、要するに好きってこと?」

興味がなさそうな顔のまま尋ねるヒューバートに、レスターはやや戸惑う様子を見せたが『そうだ』とはっきり答えた。

レスターの返事を聞いて、軽く頷いたヒューバートは『それなら……』と、拳を受け止めたまま、左手の剣をフェイントに使って再び懐に背面から滑りこむ。

密着すると身体を深く沈め、右手を捕まえたまま前方に投げた。

要するに一本背負いである。

「――誰よりも姫を好いているなら、自分の気持ちと、素直に向き合わなくちゃだめだよ」

暗い空が映るレスターの視界で、ヒューバートは先ほどの恐ろしさを微塵も感じさせず……にこりと微笑んでいた。

何を言っているのか分からず、きょとん、とした顔で、レスターはその表情を眺めている。

「ちょっといじめすぎたかと思ったんだけど、レスターがこれで怒らなかったら、とんでもないヘタレ野郎だったんじゃないか……と思ったから、心配したよ」

勝手にしろとか逆ギレされたりしても困ったし、と言いながらレスターの手を離して、落ちている鉄剣を拾い上げた。

「……ヒューバート様、つまり……わたしを試しておられた?」
「そういうことになるかな。
まぁ、リネットと一緒なのは嬉しいから、本当に代わっても良かったけど」

剣をしまい、レスターを振り返ったヒューバートは、割と演技上手だっただろう? とほくそ笑む。

レスターはだんだん気恥かしくなり、『本当に騙されました』と口元を押さえて視線を逸らした。

「本音も入っているから騙したわけじゃないよ? ……やろうと思えばいつでもそうできる――というのは覚えていて」

神妙な顔でレスターは了承の返事をし、ヒューバートは今回の件と、敬語に関しては不問ということにしてくれた。

「もうひとつ、よろしいですか」
「ん? 何?」
「最後拳を受け止めた時……大きく身体を崩されましたが、あれも……芝居ですか?」

そうであれば、残念ですと告げたレスター。

そんな彼を見つめたヒューバートは悪戯っぽく目を細め、

「さて。どうだったかな……」

と、これも試すような仕草で言った。

実際の所、あれは芝居ではない――いや、少しばかりは慢心もあったのだろう。

その時にならないと、人間の力は出し切れない。

それを改めて理解したヒューバートは、不服そうな顔をしたままのレスターに問いかけた。

「ところで……どうしてレスターは、姫が僕の事を好きだと勘違いしているの?」

本当に不思議そうな顔で聞いてくるのだが、アヤがヒューバートの事をここに来る前から知っていたこと、

出かけた時に気になる人がいると話していたことや、伝えたいことがいっぱいあると嬉しそうに語っていたことなど……レスター自身がそう思った顛末を伝えて聴かせる。

真面目に聞いていたヒューバートの眉はだんだん下がっていき、しまいには『あーもーダメだコイツ』と言いたそうな、困り果てた顔になっていた。

「……期待に添えず申し訳ないけど、僕のことなんて姫は一度だって『お会いできて嬉しい』とか『気に入っている』といってくれた試しはないよ。
名前くらいは聞いた事があるような、その程度の反応だったしね。
姫自身も、まだ自分の本当の気持ちに気づいてないみたいだし。その人と話すときの表情なんて、もう『好きだ』って言ってるようなものなのにね……ああもう、双方そろってもどかしい……」

やれやれ、と肩をすくめた矢先、ぽつりと雨粒が顔にかかる。

「ついに降ってきたみたいだ。レスター、早く戻ろう。びしょ濡れになったらリネットから部屋に入れてもらえない」

扉まで駆け足で近づき、宮殿内へと入る。

肩についた雨を弾き飛ばすように手で払っていると、その横ではレスターが不安そうな顔で呟く。

「ヒューバート様でないとすれば、姫の気になる人というのは……どのような男なのだろう……」

レスターがあまりにしおらしい態度で言っているので、ヒューバートは思わず足を止め、難解な絵画への評価を頼まれた時のように、レスターの表情をじっくり見つめてしまった。

「……レスターって、本当にバカだね」
「なっ……」

しみじみと言われたレスターのショックは大きかったようだが、ここまで体を張ってあげたヒューバートにしてみれば、まだわからないのかと悲しくもなった。

見てれば分かるじゃないか、ああそうか、レスターにとって客観的には見えてないのか……とちくちく言われている。

「相手のことを知っているのですか? 知っているのであれば、是非教えていただきたいのですが」
「……もう疲れるから、姫の想い人の話はしたくないな……」

まだ食い下がるレスターを嫌そうな顔で躱しながら、二人は月の離宮に向かっていったのだった。


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