【異世界の姫君/33話】

練兵場へと連れてこられたレスターは、ヒューバートから刃をつけていない鉄の剣を受け取る。

壁には大剣や身の丈を超えるような槍がいくつも立てかけられており、傘立てのラックに似た箱には、片手で扱える剣が多数刺さっていた。

これらは鍛冶見習い達が作ったもので、刃の加工をしていない鍛冶修行用のものだ。バランス・形の悪くないものが同じく練習用の剣として、兵士達にも使われている。

「レスターもここ数日、身体をろくに動かしていないよね。少し手合わせでもしようか」
「……身に余る光栄です」

話があると言っていたが、こういう事だったのだろうか。

レスターが感謝の礼を取り、ヒューバートは目を細めて優しく微笑んだ。

「君のために練習――なんて、言うと思ったのかい? 話があるって言ったよね」

声は存外に冷たく、レスターは頭を下げた状態のまま、視線だけを向けてその意味を探る。

「率直に言おうか。『姫の護衛』という任を降りてもらいたい。もう君には任せられないんだ」
「……それは、陛下のご意向でしょうか」
「いいや。『まだ』僕の一存だよ。だけど、今までの功績……信頼や実力を評価していただいているならば、きっとこの提案は陛下も首を縦に振っていただけると思うけどね」

確かに、神格騎士であるヒューバートがそうするというのなら、ルエリアは余程のことがない限り認めるのだろう。不適任と下されるなら、レスターも頷くしかない。

「では、姫の護衛はどなたが」
「僕だよ。決まってるじゃないか」
「――……しかし、ヒューバート様は陛下の……」

ヒューバートは鼻で笑うと、レスターと僕、双方の護衛を少しの間変わってもらうんだよ、と言い放った。

「君の実力も陛下は評価しているんだ。
だから、護衛という任を与えたのだけど……少し荷が重かったようだね。
陛下のお側で、害なすものを排除する役目なら安心してできるんじゃないかな?」

何せ、ルエリアはああ見えてヒューバートよりも強い。

相手は神の血を継ぎし者である。持って生まれたポテンシャルが違うのだ。

だから、レスターが例えヘマをしたとしても……ルエリアは自分の身を守ることくらい容易にできる。

そう指摘したのだが、レスターはむっつりとしたまま『お言葉ですが』と返した。

「姫の護衛は、わたしが全うする任務です。陛下の御前で、必ずお守りすると誓いました」

命に代えても、と。

その時アヤが血相を変えて『死ぬなんて言わないでほしい』と止めたことも思い出した。

「……今も、その気持ちは変わりません。ですから――」

だったら、と、ヒューバートの声によってレスターの言葉は消される。

気がつけば空は暗く、風も先程より強くなっていた。まるでヒューバートの内心を表しているかのようだ。

「なぜ姫を傷つけているの? レスターは、姫のことをきちんと考えているのかい?」

無論です、と即答した刹那――ヒューバートの剣が何の予備動作もなく振られ、レスターが気づいた時には、既に喉元に剣が突きつけられていた。

「ッ……!?」

反射的に柄に手をやり、剣を握ろうとしたレスターの喉を剣先で押し、その動きを止めさせる。

今のヒューバートの眼に、いつものような優しさはない。

「練習用の剣じゃなかったら死んでいたね、レスター……?

もう一度だけ聞くよ。姫のことを守りたいと考えているなら――任を降りてくれるよね」

ヒューバートが本気で言っているのだと悟って、レスターは苦しげに顔を歪めた。

「……あなたなら、姫を傷つけないと仰るのですか?」
「君よりはずっと気が利くつもりだし、何より姫の側には四六時中リネットも居てくれるからね。僕としては君の立ち位置は非常に羨ましくもあったんだよ」
「そんな理由で……!」
「ん? 不純だ、とでもいいたいのかな?じゃあ、レスターこそどうなんだろうね。姫にちょっかい出してみたり、かといって突き放したり。
ここには姫の知人友人は居ないし、帰るところもない。挙句に目までしばらく見えなくなってしまって――それでも後悔されていないようだ。姫はね、今一番つらいんだよ。
泣きたいのを堪えてまで、自分の事を犠牲にする覚悟で、とある目的のために走り回っているんだ」

それなのに、どうして君は、何もかもはっきりしないんだ――と、話しているうちにふつふつと怒りが湧いてきたのだろう。

語気を荒げたヒューバートは剣を引いて、顔の正面に構えた。

「レスター・ルガーテの振る舞いたるや、聖騎士の名にあるまじき行為――それが僕の下した決断だ。
騎士の位剥奪とかまでは言わないよ……普段の君は別段失敗もないしね。
今回のことは厳重注意といったところかな。それも嫌だというなら――勝負は見えているけれど、僕に立ち向かってくるといい。病院で十日くらい寝ていてもらおうか」

それが一番円満に解決するんだろうけど、と言ってから、レスターの表情を伺っているヒューバート。

レスターとて、ヒューバートの言うことがわからないわけではない。

さっきも、アヤには酷いことばかりをしてしまった。

守りたいという気持ちはあるのに、時々その気持ちよりも違うものが膨れ上がって出てきてしまう。

否、時々――ではない。

今日はそんな日だった。

アヤの事ばかり見ている気がする。

そうすると、いけないことなのだと思いながらなぜだか彼女に触れたくなるのだ。

そしてアヤのよく変わる表情を見ていると、ますます知りたいとも思う。

それが、どういう感情なのかと考えないようにしているのもそろそろ限界のはずだ。

十分な間を与えてから、ヒューバートは『どうするの?』と聞いた。

「――聞かれるまでもありません」

そう答えたレスターは、同じように剣を握ると静かに告げる。

「あなたが護衛になれば……姫は大層喜ぶかもしれませんが……わたしにも意地があります」
「自分の気持ちには正直に向き合うべきだったのにね……全く……勘違いも甚だしいなあ」

苦笑していたヒューバートは、始めようかと言って表情を消すと――瞬きの猶予も与えぬまま、既にレスターの懐へと踏み出していた。

「くッ……!」

咄嗟に剣を引き、胸元から薙いで距離をとろうと振ったが、ヒューバートは手首を返して下からレスターの剣を跳ね上げ、彼の左胸を的確に突いた。

金属のこすれる音と衝撃が、レスターの体に届く。刃のない剣だとしても、その衝撃は強い。

「また死んじゃったね。後四回チャンスをあげるよ。
その間に、僕の身体へ君の攻撃を当てることができたら、今回の件は不問にしよう」

だいぶ機会を与えてくれたようだが、逆に言えばそれだけ、レスターの剣には当たらない自信があるということだ。

その余裕ある発言の通り、涼しげな顔でレスターの剣をことごとく躱していくヒューバート。

三度までは躱したが、四度目のレスターからの踏み込みには、足払いをかけてバランスを崩させたところで腹部に剣を当てる。

「……後三回ね。焦りで足さばきがおろそかになっているよ。本当の戦いになったら、ルールなんて無いのは君だって知ってるだろう?」

まるで子供と遊ぶように翻弄されているが、決してレスターが弱いわけでも、剣が特別遅いわけではない。

ヒューバートが強すぎるのだ。

「ねえ、レスター? 君がこの程度の実力しかないのだったら、姫は必ず数日のうちに後悔と喪失に苛まれて、止まることがないくらいに涙を流すよ。君は、姫が泣いてもいいの?」
「いいわけが……ありません」

剣を払うと跳ね起きて、レスターはヒューバートをキッと睨む。

その眼は鷹のように鋭く、僅かな隙がないかと探っていた。

「姫……アヤが辛いのであれば、その心を少しでも癒して差し上げたい。だが――わたしにはどうしていいのか、わからないのです」
「どうしてわからないの? 姫がどんな顔をして、君のそばにいるかすら――気にしていないのか?」

迫りくる鉄剣を難なく受け止め、レスターの目を覗き込みながらヒューバートは逆に問う。

「それは……」

レスターの赤い瞳は、ヒューバートの言葉に揺れる。

アヤの嬉しそうな顔は、見ているだけで心も暖かくしてくれた。

先ほどの悲しそうな態度だけでも、レスターの心に言いようのない悲しさを落とす。

「……わたしの事を、悪く思っていない……というのはわかります。だが、彼女には大事な方が――」

そうして苦しそうな顔をするレスターは、ヒューバートをその眼で見ようとして……拳で殴り倒された。

ざざっと砂を散らしながら倒れこむレスター。

痛みに顔をしかめ、上半身を起こしつつ口元を拭う。

ぬるりとした感触と血が手に付着し、口内で鉄の味はとろとろと広がっており、中が切れたのだと理解した。

「――……!」

ぐっと心の中にわき出すものを堪えるかのように苦い顔をするレスター。

一方、殴ったままの体勢から、ゆっくり身体を戻したヒューバートは、情けない、と吐き捨てる。

「……そんなにレスターは僕が羨ましい? だったら、君の願望に沿おうか?
僕は姫を幸せにはしてあげられないけど、側においてあげる事はできるからね」
「な……?」

真意を図りかねるというような顔をしてヒューバートを見つめたまま、のろのろ立ち上がった。

そこでヒューバートはわざと大仰な身振りで話を続ける。

「だって、僕はリネットさえいてくれたらいい。
姫の事は嫌いじゃないけれど、だからって愛しているわけじゃない。恋人には当然しない。でも、ちょっと遊ぶくらいなら、自慢になるし楽しいだろうね」

確かに、いつ死ぬか分からないこの時勢では、子孫を残すという名目で自身に配偶者がいても他の女性に手を出す戦士達もいると聞く。レスターはヒューバートがそういう輩ではないと思っているのだが、目の前でこう堂々と言われては、反論したくもなる。

「リネット殿に、申し訳ないとは思わないのですか」
「もちろんリネットとは結婚するよ。幸せに暮らしたいし、彼女のことを誰よりも大事にしたい。でも、相手が姫なら……一度くらいは許してくれるかもしれないだろう?」
「そんな発想は身勝手でしかない! それに……姫は道具などではないッ……恥を知るがいい!」

怒りのあまり、敬語すら忘れてレスターはヒューバートに食って掛かる。

――だって、レスターがそう望んだんじゃないか。僕は別に姫を欲しいなんて思ってない。

顔色ひとつ変えずヒューバートはそう言った。

剣を杖がわりにして体を支え、レスターの顔を覗きこむと……くすくす笑って、恐ろしいことを口にする。

「姫に飽きたら、誰かに紹介してもいいしね――ああ、そうしたら貸そうか?」
「……貴様あぁッ!」

ついに逆上したレスターは、拳を振り上げた。


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