【異世界の姫君/32話】

「うう……アヤ様がこんな事になるなんて……わたしどうしたら……」

離宮に着いても、リネットはまだしゃくりあげて泣いていた。

そんなリネットを隣に座らせて、アヤは背中をさすってあげている。

泣き止んでほしくもあったし、少女が自分の代わりに泣いてくれているようにも思えて、その気持ちはありがたくもあった。

「大丈夫。お医者さんも、ルエリア様も数日くらいで良くなると思う、と仰っていたので……」

もう見えなくなるわけじゃないから、とアヤが宥め続けていると、本当ですよね? と何度も聴き返し確認し、リネットの嗚咽は少しずつゆっくりになってきた。

どうやら落ち着いてきたようだ。

「リネットさんも紅茶でも飲んで、気持ち切り替えな。泣きすぎると頭痛くなりますよ」

暖めていたカップを二つ取り出し、イネスから女性たちに紅茶が差し出される。

白地に青い花の描かれたカップより立ちのぼる芳香は、ささくれた気持ちを癒してくれるように胸に深く入っていき、ようやくアヤも安堵の息を吐くことができたように感じた。

「……美味しいです」
「それはそれは。ありがたき幸せ」

慇懃な礼をして、イネスはさっそく果物でも剥きましょうか、と――籠にどっさり積まれた、あの紫色の果実『マルー』を手に取った。

「たくさん届きすぎだろ、これ……」

美味いけどさぁー、いくつあんだよコレ、と言いながらシャリシャリと皮を剥いていくイネス。

実は先ほどのリネットの悲鳴を聞きつけ、敵が現れたのかと血相変えて走ってきた騎士たちは、そこで噂の姫君を発見した。

顔の半分近くが包帯に覆われていたため、その顔を見ることはかなわなかったが、離宮に戻ってしばらくの後、見舞いの品が続々と届く。

一番最初にマルーを持ってきた騎士が『あの紫色の果物ですか!? 嬉しい……すごく食べたかったんです! ありがとうございます!』とアヤに喜ばれたことを自慢げに話したのだろう。

今まで外で応対を続けていたレスターが辟易した顔で室内に入ってくると、腕の中いっぱいにマルーが抱えられていた。

うわぁ、とイネスのげんなりした声が室内に響く。

「またマルーかよ。こんなに食えるわけないだろ!? いい加減断れ!」
「断ったが……我々ではなく姫に差し上げるものだからと拒否された」

籠に積んでいくが、もう入りきらない。

積みすぎると崩れるため、仕方なくワゴンの上に並べて置くレスター。

ちらりとアヤの様子を盗み見るように伺えば、あまり変わりがないようにも見える。

再びコツコツと扉がノックされ、レスターはまたか、と思い、その直後の事も考えず面倒くさそうに『誰だ』と問いかけた。

「レスター? 僕だよ。ヒューバートだけど」

その声を聞いた途端、レスターの顔から表情が落ちる。

帰還したらしいヒューバートが、ここにやってきた――。

アヤが、待っている人。

ぎしりと心が軋んで、息が詰まる。

この扉を開けたくないような気持ちにもなり、腕は上がらない。

「……レスター様。ヒューバート様がお見えになったようですが……?」

アヤにも聞こえていたらしい。

席から立ち上がって、耳を傾けているようだった。

「レスター。どうかした?」

しかしレスターから何も返事がなかったので、もう一度向こうから扉が叩かれる。

「申し訳ございません……今、開きます」

平静を装いながら錠を回し開けて、レスターは扉を押し開く。

すぐ目に入ったのは、ヒューバートの黒衣ではなく……うつむき加減だった自分の顔をのぞき込む浅葱の瞳だった。

僅かだが長い沈黙。

ヒューバートはじっと彼の表情を見つめてからゆっくり目を閉じ、もう一度開くと『姫に会いたいんだけど、入っていいかな』と静かに聞いた。

レスターが横に退いて通路を開け、ヒューバートはかつかつとブーツを鳴らしながらアヤの前に跪いた。

「姫様、ヒューバートです。今しがた戻りました」
「おかえりなさい……ご無事でしたか」

無論傷一つありませんし、雨にも降られませんでしたという返事に、アヤは良かったと言ってくすりと笑う。

そして、ヒューバートも笑顔の後……アヤの包帯姿を悔いるように見つめて、貴女もでしたか、と寂しそうに漏らす。

「……そうみたいですね。でも、痛くないですよ」

そう言って肩をすくめたアヤ。そうして、不安から泣いているらしいリネット。

ヒューバートはいたたまれない、という表情をしてから、何かを思ったらしく目を閉じたまま俯いた。

どれ位経った後だったか。

ヒューバートが再び顔を上げると、そこには先程の悲痛な色はない。

いつもの穏やかなそれに戻っており、転がっているマルーをひとつ手にとって微笑んだ。

「随分……マルーが沢山ありますね。お好きですか?」
「はい。これは騎士の皆様が、私のお見舞いにと下さいました。いっぱいあるので、よろしければ一緒に食べていってください」
「すぐにでもそうしたい気持ちは山々ですけども……ちょっとやることが増えました。それを片づけてからご一緒させていただきます」

立ち上がって、アヤの横で泣いているリネットに優しく声をかけ、頬を伝う涙を拭ってやり、ヒューバートはマントを翻して戸口を振り返る。

そこにいるのは、複雑そうな表情で彼らを見つめていた白銀の騎士。

「レスター、ちょっと練兵場まで付き合ってくれるかな? 勿論嫌だと言っても――無理だけど」
「……承知致しました」

ヒューバートの優美な微笑には怒りのようなものも見て取れて、マルー剥きのイネスは『レスターが何か……?』と心配そうな声を出す。

「イネスさんは、レスターの心配よりマルーを沢山剥いて待っていて。戻ったら食べるから」

よろしく――と笑うその微笑はなんだか怖い。

イネスはそれ以上追及できず、ハイと微妙なニュアンスの返事をしたきり口を開かず、マルーを剥く作業に戻る。

二人に声を掛けようか迷っていたアヤの事を感じ取って、姫も一人になる時間がほしいでしょう、と言った。

「リネット、あまり泣いていないで。姫はとてもお疲れなんだよ。湯浴みの準備をして差し上げて」
「はっ……、はい! 今すぐにっ!」

名を呼ばれ、弾かれたように立ち上がったリネットは、準備のため奥の部屋へと駆け出していく。

「ヒューバート様がそこまでご指示なさらずとも……」

レスターがそう漏らせば、言われたヒューバートは僕もそう思うんだけどね、と苦笑する。

「だってレスターじゃ、そこまで気が付かなかったでしょ?」
「――……ッ、確かに。申し訳……ありません……」

思わず目を鋭くさせたレスターに、ヒューバートは挑戦的に微笑んだ。

「言いたいこともあるんだろうし、じゃあ行こうか」

と促されるまま、レスターとヒューバートは連れ立って去っていく。

ここに残されたのは、イネスとアヤだけだ。

「……ていうか、わたくしずっとマルー剥くんですかねえ……」

一体幾つやればいいんだろう、ていうか厨房でやってもらえば良かった、などととぼやきながら中の種を取出し、皿へ盛るとアヤに『どうぞ』と言いかけてワゴンから銀製のフォークを取り出すと剥いたマルーに突き刺す。

「姫。マルー剥きました。あーん、してくださればお口に運びますよ」

と、期待を込めてにっこり笑った。まぁ、その笑顔はアヤには見えないのだが。

「え、どこにあるんですか?」
「あー、待って待って、手を出さないで。わたくし、今ナイフ持っていますし何しろ手がベッタベタなんです。マルーの果汁だらけなんですよ」

その手で掴んだフォークもベッタベタのはずだが、アヤはイネスにフォークを握らされて、ようやく口に運ぶ。

甘みと香りは、先ほど食べたものよりも強く感じる。

「美味しい……です」
「たくさん食べてくださいね」

確かにマルーはとても美味しかったのだが……なんだか、二人のことが気になって、それ以上は食もほとんど進まなかった。


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