【異世界の姫君/30話】

ハークレイの眼は、吉報ばかりを見せたのではなく――見たくないものまで見通し、凶事に為す術もなかったのは、さぞ苦悶に満ちた日々だったのだろう。

それが己の身にも振りかかるかもしれない……そう思うと、アヤの胸には重く、息苦しいものが溜まっていく。しかしアヤは深呼吸すると顔を上げ、ルエリアがいるであろう方向を見つめた。

「……私は、ハークレイ様と同じ道には進めません」

裏返ること無く発せられた声はとても落ち着いていて、彼女の強い意思が伺える。

もしも眼を覆う包帯がなければ、アヤの瞳には絶望の色ではなく希望の光が宿っていたことだろう。

「ほう?」

ルエリアはそれを感じ取り、ではどうするのだ、と問う。

納得できるような答えを期待しているようだ。

「私は、ルエリア様にレスター様を助けるのかと問われてからずっと、どうしたら助けてあげられるのかと考えていました。これといった取り柄もない私に、何か出来ることがあるのか、と……相変わらず何もありません。
でも、運命は変えられると信じたい……ハークレイ様はそれを願って、諍いを止めるために剣を振るう道を選んだのでしょう。私にはそういった事は出来ません。
だけど、被害を小さくする事は出来るかもしれない……そう思うんです」
「ふむ。起こったことは変えられぬが、傷を浅くするというのか」

ぱちん、とルエリアは扇を広げる。

白蝶貝の扇骨は光を受けて虹色に揺らめき、アヤの希望を映すような色だった。

「犠牲を出すことなく救えるのなら、それが一番幸せです。でも、犠牲は血を流すことだけが被害じゃない。

だから、様々な『傷』を受けても酷くならないように守ってあげたい……そう思います」
「立派なことだ。だが、その考えはおまえを疲弊させる。
害に巻き込まれ、大事なものを失った者からは恨み言が飛ぶだろう。そして心弱き者や性根が汚いものは、おまえにすがりつき、骨も残さぬ。
救った者からおまえに与えられるのは、救済という名の滅びだよ」

ましてやおまえには、後ろ盾すら無いのだから――ルエリアは広げた扇に視線を落とし、再びたたむ。

アヤは湧いてくる不安をぐっと押さえつけようとしているようで、口をつぐんでしまった。

「急に黙るな。おまえをいじめているような気分になるだろう……泣かれるとレスターがうるさそうだ。
提供する義理はないが、特別に教えてやろう。
セルテステに行って、湖を光らせたのはハークレイとおまえだけではないのだよ」
「え……?」
「……十年ほど昔にも一人いて、それとは別で、おまえにその情報を教えた男もまた世界に選ばれているのだ」

――だから。ヒューバート様も湖の秘密を知っていた。

思わぬ事実に息を呑むアヤは、でも、と早口で告げる。

「でも、ヒューバート様は……あの人は眼で見つめれば、人の心が分かるのだと言っていました。ハークレイ様のような力とは違うのでは……!」
「そうだ。ヒューバートは人の心が視える。
心に浮かんだものを即座に知り、反応を返すこと・流すことが出来る理知と判断力も兼ね備えているし、運動神経も抜群にいい。
頭の回転も悪くはないから、あの男は数多の人の心を視ても強く在ることができる。湖の恩恵を得たとはいえ、ハークレイやヒューバートのように、誰しも同じ力が宿るとは言えぬ。
独自の力……言い換えるなら、おまえがここで必要とする力が宿ったかもしれぬということだ」

いざ必要になった時に開花が間に合えば、の話だな――そう言って、ルエリアは能力の発現が夜襲までの間に起こればいいなと示唆する。

「もう話は終いだ。夜の謁見はもう要らぬゆえ、今日はゆっくり休め」

ルエリアは話を切ると、椅子の脇へ立てかけてある黄金の杖を手に取って、玉座の禄を数度叩く。

すると大扉が開き、トリスとレスターが一礼して広間に進んできた。

「レスター、姫は疲れているようだ。休ませてやれ」
「はっ」

アヤの腕を取ってゆっくり立ち上がらせると、別れの挨拶の後ルエリアから遠ざかっていく二人。

ルエリアは次の予定をトリスから聞きつつ、アヤを気遣い、寄り添うレスターの様子を眺めていた。

「……レスター」

急にルエリアが己の名を呼んだため、反射的に返事をして振り返ったレスター。

彼の主人は、玉座の肘掛けに頬杖をついて、探るように聞いた。

「随分おまえ、軽々しくアヤの身体に触れていないか? 手を取って歩くのは分かるが、肩まで抱く必要はなかろう。アヤ、おまえもそんなに身を寄せては、レスターに良からぬ考えをまた起こさせるぞ」
「……!」

指摘されてお互い気づいたようで、レスターははっとした顔をすると慌ててアヤの肩から手を外す。

アヤもまた恥ずかしくなったため、さっと身を引いた。

「へ……陛下。そのような事を申されますな。わたしはそのような考えなど、もう……」
「ああ、そうか……『もう』ということは一度か二度は何かしたのか。忠告が遅れたようだ」
「まだ何もしておりません……!」

どんどんボロが出てくるレスター。

おまえはバカで可愛げがあるな、と大笑いしたいのを堪えたルエリアと対照的に、トリスがごほんと咳払いする。

「……レスター。姫は心身ともに清いお方だ……いいか? くれぐれも……く・れ・ぐ・れ・も、邪な考えを抱かず、行動は慎みを持ちなさい」
「はっ。無論、胸に刻みます」

左胸に手を当て、レスターは折り目正しい礼をしてみせると、トリスは深く頷いた。

そうして『ルエリア様は、ひとの事よりまず早く御身に相応しい婿を頂きたいですな』と苦言を並べた。

「年を取ると説教をしたくなるようだな。そもそも、余に似合う男などリスピアにいるはずもない。いれば、とうにおまえたちが連れてきただろうよ」

と言ってから……ルエリアはアヤを見つめる。

「おまえが男であれば、少々考えてやっても良かったかもしれぬが」

反応を見るかのようにレスターを一瞥すれば、レスターは困っているようでもあり、不機嫌そうでもある表情を浮かべている。

くどくどと右で口うるさいトリスの言葉を聞き流しながら、レスターたちに行けと命じ、ルエリアはふっと笑った。

「真面目な男ほど、のめり込みやすいくせにハッキリしないからな……面倒くさいやつだ」
「ルエリア様」

トリスは聞いていらっしゃいませんねとため息をつく。

「レスターと姫様のことを気にされるのは、無粋というものです。恋というのは、本人でも止められない。
こうして周りがどうこう言ったとて無駄なこと。なるようにしかなりません……」

わたしも若い頃は、と語り始めたトリスを無視して、ルエリアは玉座の間……調光窓の外に目を向ける。

まだ夕方にはなっていないが、朝出かけたヒューバートは戻っていない。

(難しいことはなかろうに、何をしているのやら……)

戻ったところで、ずっと玉座の近くに潜んでいるだけなのだから面白くもないだろうが――誰も居ない時には話し相手にもなる。

今いれば、面白い意見が聞けたかもしれぬと考え、ルエリアは退屈だな、と零した。


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