【異世界の姫君/29話】

「泉の水を飲んだ途端、洞窟中が輝いた。どれほどの光なのかは知らぬが、ハークレイ曰く『時代に選ばれし者よ、闇を打ち払う真実の力を授けよう』と声が聞こえたそうだ。
ああ……勇者ハークレイと、邪竜の戦いがあったことは知っているか?」
「はい、レスター様がさわりだけ教えて下さいました。童話でも語られているとか」

まぁそうだ、と興味がなさそうな口調でルエリアも応じる。

「自慢に聞こえるだろうが、ここリスピアは自然豊かな所。森も水も豊富であり、行き交う人も多い。
それはハークレイが生きた時代も同じ。
――ところがある日、闇を纏う赤き邪竜が現れ、リスピアを漆黒と恐怖に貶めた。暗闇はリスピア一面を覆い、太陽と月の光を遮り――エリスの力すら弱めたのだ」

月の女神の力を弱めるとは、邪竜というのは随分と力を蓄えていたようだ。

しかし、神様を初めて見たばかりのアヤには、エリスの恩恵を受けたにもかかわらず、どの程度の実力なのかすらわかっていない。

人間よりももっと凄いのだろう程度の認識しか浮かばないのだ。

「……ルエリア様、竜というのは、そんなにも凄いものなのですか?」

この世界の住人であるならば絶対にしない質問を、あろうことか女王に向けてしまったアヤ。当然ルエリアは物凄く嫌そうな顔をしてアヤを見つめた。

ルエリアの凛とした表情がこのように歪められるさまなどそうそう見ることはないのだが、見えてしまえば自分の無知がどれほどのものか、嫌というほど味わうことが出来たはずだ。

「そうだったな。おまえはこの世界の住人でも、当時を識るものでもなかった。邪竜の脅威を知らぬとはつくづく幸せなことよ……」
「えっ。当時、ルエリア様はお生まれになっていたのですか?」
「そんなわけがあるか」
「はあ……すみません……」

ルエリアに否定されつつも、じゃあルエリア様だって邪竜の事分からないじゃないですか。とは言えなかった。

「百年程度生きたのドラゴンなどは大きいだけでさしたる問題ではない。人と心を通わせれば心強くあり頼りにもなるが、ドラゴンは長寿。永い月日をかけて成長していく。
体だけではない、知能もつけて魔法すら覚える。聖域などに居を構え、魔力を吸い上げていけば――硬い鱗は剣を通さず、魔法は魔力を帯びた皮膚に遮られ、竜の炎や酸といった『ブレス』を吐かれ、当たればほぼ即死。
特殊な防具やかなり高等の魔術師でもいなければ助からん……魔力を帯びたドラゴンは恐ろしい存在になるのだよ」

だいたい竜の恐ろしさについては分かったのだが、なぜ神の力でさえも太刀打ちできないのか……。

そこをまた尋ねると、ルエリアは『今後は歴史の講師も必要か?』と足を組み直してその質問にも答えてやる。

「人間にも戦いが得意なもの、そうでないものがいるだろう。神々も同じだ。戦いが得意な神はあえて姿を見せなかった。
そして、そう簡単に神々は人間の国へ介入できない……昔に起きた事件から、神は人々の前に姿を見せる事などほとんど無くなった……とある神を除いては。
当時のエリスもまだ天界で暮らしていたし、リスピアにはあまり愛着はなかったろうな。そこに住まうものたちへ課す試練としても、神は邪竜討伐に手を貸してはならなかったのだよ」

つまり、神々は見物していた。ということらしい。

そして、ハークレイの生きていた年代には、まだルエリアは生まれていなかったということかと考え、当たり前だなとひとり納得する。

エリスの娘とはいえ、ルエリアはとても美しく、三十前半程度にしか見えない。

「現在もエリスや太陽神は、役目として地上へ己の力……魔力のようなものを僅かに降らせている。太陽は恵みを呼び、月は安らぎを与える。それにより人々は豊穣を願い、夜は心安らかに眠る。
しかし、魔力の壁に覆われてしまえば力は地上に届かない。作物は枯れ、人の心は荒み、邪竜は生贄と称してその腹を満たす。
庶民は様々な負の感情を膨張させ、諸侯や王族を罵り、気に入らぬ者を捕まえては生贄へと差し出していた。無論、貴族も庶民もなく、だ」

目を覆い、耳を塞ぎたくなるような地獄じみた光景がアヤの脳裏に浮かぶ。

恐ろしさにふるふると頭を振って、搾り出すような弱々しい声音で『そんなひどい事が……』というのがやっとだった。

「おまえも見なかったか? リスピアには処々、その爪痕が残っている場所はいくつかあるぞ」

――そういえば。

アヤは急に自分のベッドから空に投げ出された時を思い出す。

上空から見た、丘の焼け焦げたような跡。

あれはその時のものだったのだろうか……それにしては、鮮明すぎる気もするのだが。

曖昧に頷くアヤ。

ルエリアは痕跡を見たのだなと言って、続きを語った。

「神々は冷たいように見えるだろうが、そういうわけでもない。
当然エリスにも情や血は通っている。民たちが空を見上げて悲痛な叫びと祈りを捧げる毎日に胸を痛め、人間に姿を変えリスピアに降り立った。
しかしエリスは心の貧しくなった人間の恐ろしさを知らない。人間に姿を変えてはろくに身を守れまい。
身も心も憔悴しているときに、見知らぬ美しい女が小綺麗な格好のまま、珍しそうに歩いているのは不自然極まりなく、目に留まりやすい。すぐ民に捕まり、邪竜の生贄に捧げられる事になったのだ。
そんなエリスを不憫に思った一人の男が、仲間と共に夜中こっそりエリスを助け、セルテステに逃げたのだよ」
「じゃあ、もしかしてそれが――」

期待半分に尋ねれば、ああ、とルエリアは答える。

「まだ、何の力も持っていなかったハークレイだ。
エリスを連れて洞窟へ逃げたはいいが、見つかるのも時間の問題。
しかし、走り続けた後に水辺を見れば、喉の渇きも覚えよう。おまえが手を差し入れたあの湖……当時は今よりももっと強い力があったのだ。
口に含むと不思議と力がみなぎって、疲れた身体も癒された。
エリスは自分を救ってくれた男とその仲間のために、泉の魔力を凝縮して自らの力と血液を注ぎ、八種の創造宝具を作って分け与えたのだ」

それを持って、彼らは邪竜を倒したというわけだと、ようやく長い長い昔話を終えた。

「……それが、実際の歴史……。エリス様、本当に凄い方だったんですね」

しかし、アヤはまた疑問に首を傾げる。

それを見て取ったルエリアは、なんだ、と聞いてくれた。

「そうなると、真に讃えられるのはエリス様では……。
あ、でも、ルエリア様がこの国に居らっしゃるということは……エリス様の国でもあって……あれ? ハークレイ様はどうなっちゃったのですか?」

その質問に、ルエリアは吐き捨てるように『本当に、鈍いなおまえは』と額に手を置く。

「大量に魔力と血液を使ったエリスは、天界に戻るための力すら消耗したためリスピアで身体を休めていた。
国を救ったハークレイらは勇者として尊敬され、周囲の後押しもあって王になれとまで言われた。情けないことに、当時のリスピア王は器の小さい男でな。
国民から命を狙われる恐怖に耐えかね、国をハークレイに押し付けて捨てたのだよ。
そうして国を治めたハークレイは、弱ったエリスの世話を手厚く焼いているうちに愛情を抱いた。エリスもハークレイを愛しく思ったのだな。二人はそうして子を設けた。
――もうここまで説明してやったのなら分かるだろう。ハークレイは前王であり、余の父親だ」
「えっ!? 本当ですか!? すごい……! ルエリア様は勇者様と女神様のお嬢さんだったんですね……!」

興奮したのか口に手を当て、多大に驚くアヤ。

『何が凄いものか、お嬢さんはやめろ』とルエリアは言うのだが、その微笑みはとても優しい。
「余談だが、エリスの作った武具はそれぞれリスピアを守る忠実な騎士たちに今も受け継がれている。ヒューバートの宝剣も、レスターのクウェンレリックもそのうちの一つだ」

では、まだその宝具を持った者が六人いるのだろう。

「まあそんなことはいい。
で、目のことだったな。
ハークレイの瞳は確かに遠くの町や国で起こっていることを、まるでその場にいるかのように感じることが出来た。アヤ、それは良いことだと思うか?」
「…………良いことばかりは、ないはずです……」

そうだ、とルエリアも肯定して、遠い日を思うかのような視線はアヤを突き抜ける。

「ハークレイは悲しんだ。寝ても覚めても、様々な事柄が視えてしまう。しかし、もうそれは目だけの話ではない。己の身体に、不思議な力が宿ってしまったのだ。
目を潰そうが、今と変わらず視えてしまうはずだと――エリスも告げたが、ハークレイは救えぬ民にも心を痛めていった。
そして、ある日……宝具四つを携え、ハークレイは旅に出た」

暫くはその武勇もリスピアやエリスにも届いていたが、やがてそれは一切届かなくなった。

そして、事の終わりは突然だった。ある日エリスのもとに傷ついた銀雀がやってきた。優しく拾い上げた彼女の手の中に収まると、小さく一声鳴いて息絶えたという。

エリスはハークレイが死んだことを悟って涙を流し、リスピアをまだ若いルエリアに任せて神界に戻ったのだ。しかしハークレイとこのリスピアを愛したエリスは、未だに満月の夜に呼びかければ、あの神殿に来てくれるのだという。

「長々古い話をしたが、アヤ。おまえの目もそうなるかもしれぬ。そうなってしまった所で憂慮しようが、どうにもならぬが……」

何か見えているのか、と聞かれても、アヤは特に何かが見えることはないと答えて首を横に振る。

「……ハークレイ様が『真実の眼』で見たものは……必ず今起こっていること、だったのですか?」

そう投げかけた言葉を否定して欲しい気持ちで問うたのだが、ルエリアは『ぴたりと当てたぞ』と答えた。

「だから、おまえも同じ目を持ってしまえば……見たくないものが映るかもしれん」

ルエリアの冷静な指摘に、アヤはぐっと唇を噛んだ。


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