セルテステの洞窟は、ハークレイの街から西へ向かったところにあるという。
にぎやかな街を抜け、ゆるやかな傾斜がついた道を進んで林の中へと分け入っていく。
道は開けていて見通しも良かったが、アヤの歩幅なども留意しながら、レスターが注意深く歩を進める事二十分弱。
鬱蒼と茂る木々の間に、荒々しい岩肌が見えた。
サワサワと草や枝がこすれる音に混じって、唸るような風音が聞こえてくる。
「……あれが入り口だ」レスターが示した場所には――岩肌にぽっかりと口を開け、誰かがやってくるのを待っているような、地底へ誘う入口が見える。
青葉の間から溢れる陽射しも、暗い洞窟の中までは照らせないらしく、闇が広がっていた。
「ここが、セルテステ……。誰も来ないところなんですか?」時折度胸試しに使われているようだが、とレスターも渋い顔をして、入り口に申し訳程度に張ってあるロープに手をかけた。
アヤを振り返り、空いている手を彼女に向かって伸ばす。
「離れないよう、手を」レスターが差し出した手をしっかりと握り、アヤは湧いてくる不安を押し隠すように闇を見つめる。
「よろしくお願いしますね……」立ち入りを禁止するように張られたロープをくぐり、二人は洞窟内部へと足を踏み入れた。
入り口は階段状の段差がついており、それを降りていくと……湿っぽさと肌寒さを感じる。
「少し気温が低いのかな……」平気だとアヤが言えば、レスターは寒かったら上着を貸すといってくれた。
きっとリネットがこの辺りの気遣いを聞いていたら、大いに喜んで、余計な口出しをしたかもしれない。
レスターはライトの魔法を使い、洞窟内部を照らす。
奥まで照らすならば十分とは言えぬ光量だったが、少し離れた場所までの視界が確保できるという点では、非常に頼りになるものだった。
明るくして初めて分かったのだが、壁や地面はしっとりと濡れていた。
雨水が流れこんできたのか、適度な湿気がそうさせているのかまでは不明だ。
しかし、レスターは気にした風もなく『滑らないように』とだけ注意して先に進む。
勇者が才能を開花させたとヒューバートは話していたが、こんな物悲しい場所で何をしたというのだろうか。
「レスター様……この洞窟に縁のある勇者様は、一体どのような力を持っていらしたのですか?」天井まで立ち上った湿気が雫となって落ち、地面の小さな水溜まりへ飛び込み、ぴちゃんという音を立てた。
「勇者ハークレイは、その場にいながらにして遠くの街や国で起こっていることを知ることが出来た……と言われている」その能力は『真実の眼』と呼ばれていたらしいが、レスターも調べた訳ではないので詳しくは知らないようだ。
(真実の眼……だから、ヒューバート様は私にここを教えてくれたの……?)伝説に近いものゆえその効力を知ることはできないにしろ、そのような力があれば、危機の幾許かを知ることが出来るかもしれない。
細く長い通路を進むうちに、さらさらと水が流れるような音がする。
床には数本細い裂け目のようなものがあり、その内側で水がちょろちょろと流れていた。
「水かさが増して、洞窟中に満たされてしまうことは……ありませんよね?」そこは心配しなくて大丈夫だと思う、とレスターが付け加え、通路の段差で立ち止まると、アヤが足を踏み外さないように注意しながら手元に引っ張ってくれた。
着地の足元がよろめいて、レスターに抱きかかえるような形で受け止められた時には、体がすっぽり入るくらい体格も違うというのをアヤ自身が実感し、妙にドキッとさせられた。
そのまま顔を上げれば、レスターの視線も彼女を捉えていて、なぜだか強く彼のことを意識してしまう。
「ご、ごめんなさい……運動神経、あまり良くなくって……」慌てて視線を外し、密着したままの身体を離す。
気恥ずかしさと心の動揺のあまりレスターを直視できず、俯いたままのアヤ。
それを暫し眺めていたレスターだったが、再び前方へ体ごと向き直ると、行こうと声をかける。
どちらとも無言のまま、道なりに進んでいき――やがて大きく開けた場所へとたどり着いた。
「ここが、この洞窟の一番奥まった場所……『天稟の場』という」静かに言ったレスターの声が部屋に反響する。
アヤも、急に広くなった通路をぐるりと見渡す。
天井は先程よりも高くなっており、鍾乳石のようなものが下へ向かって伸びている。
落ちてきたら嫌だなと思いながら、アヤはようやく、自分たちの前方に――地底湖が広がっていると気づいた。
ライトは僅かなものしか照らしてはくれないが、湖の透明度は極めて高く、湖底まで濁ること無く見通せる。
「レスター様は、勇者様の逸話というのを……なにかご存知ですか?」ルエリアは統治者だから、なにか勇者にまつわることを知っているのだろうか? しかし、アヤがここに来たのは勇者に興味があるからではない。
何か……そう、未来を変えるための何か手がかりが欲しかったから、ここに来たのだ。
「レスター様に……大事な人って、いらっしゃいますか?」ぽつりと呟いたアヤを見つめて、レスターは『何を聞いてるんだ』という顔をする。
「いつも思うが、質問が唐突すぎないか?」体の前で指を組み、小さく頭を下げたアヤ。
しかしレスターも特に驚いたりはしなかった。
なぜなら、もっと唐突な男がいるし、慣れてくると言いたいことがだいたいわかる……ような気がするのだ。
そして、レスターはアヤから問い掛けられたことに関して、ふぅむと唸る。
「……大切な人、というのは一般的に……男女問わず、でいいのか?」この流れでそれ以外に何があるのか。
やはり、レスターは少し読み違えているようだった。
だが、アヤは指摘せずにこくりと素直に頷いて、じっとレスターの返事を待っている。
大切、好意か……、と呟いたレスターは、眉根を寄せてかなり考えていたが……やがて、消え入りそうな声で答えた。