【異世界の姫君/24話】

それから数分の後――……離宮の扉が軽快にノックされる。

「きっとレスター様ですよっ! ――はーい! 開いてます!」

ノックの音にビクリと体を震わせ、背筋をしゃんと伸ばしたアヤ。

対照的に鼻歌でも歌いそうなリネットがノックに応じて入るよう促した。

――レスター様はどういう反応を示すだろうか。何も感じなかったら、絶対許しませんからね……!

何故か着替えた本人以上に息巻くリネットは、扉を見つめ臨戦態勢に入っている。

扉がゆっくり開いて、最初に入ってきたのはイネスだった。

「あれっ?」

拍子抜けしたような声を出したリネットに、にやりとするイネス。

「おやおやリネットさん。どうしたんですかそんなに身構えて」
「あらあらイネスさん。どうやら考えは同じのようですね」

見つめ合って不敵な笑みを浮かべる二人。

どうやら、考えること――相手をノックダウンさせてやろう大作戦――は同じだったようだ。

両者の間に見えない火花が散っている。

イネスは、そうしてアヤに視線を移動させると『おお』と感嘆の声をあげ、感激したとみえて顔が明るくなる。

「これは……あ、わたくしの感想は聞いていないでしょうから後で……よし、レスター、おいで」

手招きするイネス。ドアの向こうで『犬じゃないんだぞ』と相変わらずの不機嫌さで答えたレスター。

「ふふ、あの短時間でどれだけ手が加えられたか、見せてもらいますよ」
「臨むところですよリネットさん。うちのレスターは凄いぞ?」

何がどうすごいのかは知らないが、どうやらイネスプロデュース第一弾は自信作らしい。

かつ、と、足音が聞こえて――人の姿が現れた。

結んであった髪は解かれ、下ろされていた。

天露(あまつゆ)のような銀髪は更に煌めき、風に揺れると目を惹きつける。

ネイビーブルーのジュストコールは、フロント部分に銀の糸で唐草模様の刺繍が丁寧に施してあり、優雅なものに見える。

ちらりと腰からサーベルの柄が覗いていたので、当然帯剣しているようだ。

ジュストコールの下には同色のベストを着用し、レザーの黒いパンツ。

ブーツは金属に覆われているものだったが、全体的に凛々しい感じで統一されている。

「…………」
「…………」

アヤはそんなレスターをじっと見つめ、レスターも室内に入ってアヤの姿を見つけると微動だにしない。

唯一平然としているのは、薄ら笑いを浮かべた使用人たちである。

これからどんな反応をするかと、ワクワクしながら二人の表情を眺めているのだ。

「あ、の」
「は、はいっ!?」

レスターから話しかけられ、アヤは緊張で声も裏返しながら投げかけられる言葉を待った。

「……とても」

とても!? さぁ言えと身を乗り出すリネット。

ふざけたことを言うつもりであれば、ただでは済まさない。

「とても……可愛らしい。よく似合っている、と思います」

そう言って、レスターは視線を背けた。

どうやらもう直視できないらしいし、感想も彼の最大限の努力だったようだ。

リネットも歳相応の少女の顔になって喜んでいる。

アヤはといえば、レスターに褒められて耳まで赤くなりながらも、ありがとうございますと礼を言って――スカートの上に両手をのせたまま、レスターを上目遣いでチラチラ見て――

「レスター様は、なんだか、すごく……」

すごく!? よし来い! と興奮するイネス。

その興奮は馬券を握りしめて当たり馬に願掛けするオッチャンとよく似ている。

「凄く素敵です……。いつも以上に格好良いですよ? 王子様みたい」
「姫……」

褒められたレスターの前に、イネスが沈んだ。

壁に向かって突っ伏し、ブルブル震えている。

「姫はいい子だなぁ……! 王子様みたいだってウチの子!」
「凄い褒めてますね~」

そんなイネスとリネットは、ハイタッチで喜びを分かち合っている。

が、リネットは背丈がやや小さいので、背伸びしながらである。

そして褒められた当の本人はといえば、恐縮ですと言いつつ、じわじわ顔を赤くしていった。

「……もうちょっと、なんかないかねアイツは……」
「ううん……イネス様が先に喜びすぎたから、インパクトが薄いですね……」

さっきから外野席がうるさい。

しかし、アヤとレスターにはあまり聞こえていないようだった。

「姫、そして早速ですが、外出を所望とのことでしたね。どこか見たいところはございますか?」

近場で分かるところなのであればお連れ致します、と頼もしい事を言いながらもレスターは若干ぎこちない所作で近づいてくる。

「はい。ええと……まず城下町の様子が見たいです。
どんなものがあるのか、気になりますし……『セルテステの洞窟』も――」
「セル……一体どこからそれを……」

レスターの顔が急に引き締まる。

まずいことを言ってしまったかと思うアヤだが、ばつの悪そうな顔をして『どうしても行きたいんです』と頼む。

「一応観光名所だったところだからね。いいんじゃないか、レスター? お前聖騎士だろ」
「何を適当に……! 姫を曰くのある立ち入り禁止区域にお連れするわけにはいかない!」
「その危険を遠ざけるのがお前の役割だろ!!」

ふざけるなとばかりに声を荒らげたレスターだったが、イネスはそれ以上の迫力でレスターを叱りつけた。

レスターはハッとしたままイネスを凝視し、実の兄は『しっかりしろよ』と声を優しく落として微笑んだ。

「騎士なんてのはな、沢山守る必要はないんだ。君主と愛した人さえ守れれば本懐なんだそうだし」
「……弱き民を守るのも務めだ」
「それはそうだけど、義務だ」

ぽん、とレスターの肩を叩いて、イネスは励ます。

「怖がるな。お前にしかできないことを、陛下は託されたんだ」

肩に置かれた手を見つめ、レスターはぐっと何かを押し殺すような顔をする。

それがいいものなのか悪いものなのか、ハラハラした顔で見つめているアヤにはわからない。

ただ、レスターに重い覚悟を背負わせてしまったのではないか、という危惧ばかりが募った。

「――わかりました。では、セルテステにも行かれるということで、宜しいですね」
「わがままを言ってばかりでごめんなさい。お願いします。どうしても、そこには……」

不安そうにまつげを震わせながらしょげてしまったアヤに、魔物は出ないらしいから大丈夫ですよとリネットが声をかけた。

それにはレスターもややあって頷き、彼が同意したことで、アヤも少しは安心したような表情を浮かべる。

卓上の時計を手に取り、もう一度時間を確認すると……アヤは椅子を引いて席を立ち、革製の小さなウェストポーチを受け取って腰に巻く。

「私の準備は――……あ、いけない。このままじゃ……」

つけたばかりのポーチに手を入れ、ユリの彫金を施したイヤーカフスを取り出すと左耳につけた。

すると、アヤの髪と眼の色が飴色に変わっていく――!

「うわ、勿体無いねぇ」

イネスが思わずそう零すと、黒のままでは目立ってしまうようですから、とアヤが申し訳なさそうな顔で告げる。しかもこのイヤーカフス、カラーリング配合は魔術師に頼むらしい。

そういった美容術でもあるのだろうか。

「染まっちゃうのかな、これ」
「ご心配なく。外せばすぐ元に戻りますから」
「そうなんだ……じゃあ、つけている間はこのままなのね?」

確認をとると、リネットも試したことがあるので心配要りませんと力強く頷いた。

「よし……じゃあ、レスター様、行きまし――」
「ダメ! ダメです! まだ言ってないことが!」

行きましょうというアヤの言葉を途中で無理やり遮り、イネスは胸を張った。

「髪まで隠してのお出かけは、一応隠密……なんですよね、姫さま?」
「ええと……そう、なりますね」

だったら、と一瞬意地悪く歪んだイネスの表情をリネットは見逃さない。

そして、執事の考えを看破して――この悪いメイドもニヤリと微笑んだ。

「敬称を付けず、名前で呼んでもらわないと」
「えっ!?」

予期せぬ提案に大きな声をあげ、アヤは驚きを体全体で示す。

だが、レスターは構いませんよと平然としていた。

しかし、この余裕は、そんな提案ごときで終わるような生易しい二人ではない、というのをまだ分かっていないからこそ出来る態度であった。

「何言ってるんですか。レスター様にも呼んでもらうんですよ」
「なん……」

当然でしょう、とリネットは腰に手を当てたままくるりと後ろを向く。コイツ絶対笑ってるんだろうな、と思ったイネスは後を引き継いだ。

「恋人みたいにするんだろ?」
「し、しないですよ!」

隠密なんでしょ、と言われてても、アヤはしないと否定する。

だが、照れているだけで本当に嫌がっているわけではないのは……彼女の態度と、またリンゴのように赤くなる顔が物語っている。

「姫は楽しいですねぇ……見ていて飽きません」

うんうん、とイネスは顎に手を当てたまま満足気に数度頷き、じゃあ頑張ってください、まずは練習ですねーとにこやかに笑った。

「……どうしても、しないとダメですか?」
「そう言われると困りますね~。ルエリア様なら『やれ』って仰るんじゃないですかね」

確かに言いそうだ。

アヤは逡巡し、レスターに困ったような視線を送る。

珍しくその意味を推し量ったレスターは、返事をしていいものか迷って――使用人どものニヤニヤを振り切り、口を開いた。

「……アヤが良いなら」

そっぽを向いてそっけなく答えたレスター。

アヤは自分の名を呼ばれたことに驚き、レスターを瞠目した。

使用人たちは『言った、こいつやりおった』と言いたげなニヤニヤを貼りつけたままレスターを凝視している。

「…………」

微妙な間に、レスターはようやくちらりと眼だけを彼らに向けた。

びっくりした顔のアヤと、気持ち悪く笑っている二人の使用人を視界に収めて――急に恥ずかしさが襲いかかり、立っていられず屈んでしまった。

「わたしのようなものが何という無礼……申し訳、ありませんッ……! 厳しい課題です……!」
「あー、レスター沈んだ」
「恥ずかしくて死にそうなんですねぇ」

楽しくて仕方がなさそうな使用人ズ。

そうはやし立てられて、アヤも真っ赤な顔を隠すように両手で覆って、恥ずかしさを堪えていたが――レスターの言葉を思い出して、やはり死にそうになっている。

「お、お前たちはっ! 人が平然と言ったのになんで笑ってるんだ!」

恥ずかしさを怒りに変換するという荒業を身につけたレスターは勢い良く立ち上がり、イネスに指を向ける。

「だって、急に『アヤが良いなら』だって言うんだもん」
「真似するな! あと、お前が呼び捨てにするな!」

あらやだー、呼び捨てにしていいのは俺だけみたいなアピールですわよー、とイネスは手のひらを頬に添え、リネットとヒソヒソ会話をする。

それに対して、レスターは足を踏み鳴らしてそんなんじゃないと怒っていた。

「と、とにかく、行きましょう……レスター様」

ぐいっと袖を引っ張り、アヤが一刻も早く出たがる。

それにレスターも賛同し、アヤの背を押すようにして半ば駆け足で離宮を後にした。

こんな小学生のような反応を返す大人に付き合っている暇はない。

扉が閉まると、イネスはふぅと肩をすくめた。

「少し、悪乗りしすぎたかな」
「だいぶ……しましたね」

そんな熱気で満ちた部屋に、一陣の風が吹き込む。

「――でも……楽しかったですねぇ」

リネットはかなり満足したのだろう。

幸せのため息を吐いて、清々しい顔をしている。

「んー……しっかしレスター、もしかして自分で気づいてないんだろうな」

まぁ、いいかと笑うイネスに、なになに、なんですかとリネットが食いついてきた。

「あいつね、ああ見えて嫌なら嫌ってはっきり言うんだ。ほんと嫌なら俺の言葉に従ったりなんかしないんですよね。嫌だって突っぱねなかったのは、割とこれは喜ばしいなと」

不器用な弟を思い、兄は嬉しそうに言うのだった。


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