【異世界の姫君/23話】

アヤが清水の舞台から飛び下りるような気持ちで言ったというのに、レスターは表情一つ変化がない。

「構いませんが……どちらに?」

至極冷静に切り返すレスター。

しかし、この(アヤにとって)緊迫した空間は、突如終わりを迎えた。

「レスタァァーッッ! このバカ! お兄ちゃんは悲しい!」
「本当です! アヤ様が勇気を絞ってお誘いしたのに! なんでそうなるんですか?!」

ドアをバターンと勢い良く開き、イネスが駆け込むようにして入ってきた。

その足でツカツカずんずん進み、レスターの側まで来るとリネットも許せないという顔でレスターに詰め寄る。左右に展開して騎士を囲む執事とメイド。

かたやレスターはといえば、嫌そうにイネスを押しのけ、何を言っているのですか、と若干呆れた顔のままリネットをあしらっていた。

――どこからかわからないけど、なんか私リネット達に誤解されてる……!

アヤは恥ずかしさに耐え切れず、顔を両手で覆って下を向いてしまう始末。

それを見たリネットが、ほらアヤ様も悲しんでいますとレスターの側から駆け寄って、アヤの肩や背を優しくさすってくれるのだが、まさか悲しみをもたらしている原因が自分にもあったとは露にも思っていないようだ。

「レスターはどうしてこんなに鈍いんだろうなぁ。
姫がお前なんかを誘ってくれてるのに、何が『どちらに?』だ。まずはニコッと笑って、わたしは嬉しく思いますとか何とか口上が始まるだろ!」

そして、どうやら立ち聞きしていたらしいイネスはレスターの頭を上からぐいぐいと押して、くどくど文句をたれ流している。

「ああっ、もう! なんだいきなり……!」

煩わしそうに声を上げたレスターは、頭を押し続けるイネスの腕をバシッと払いのけ、いい加減にしろと不愉快そうに顔を歪めた。

「さっきから何をわけのわからんことを……! 姫はただ一緒に来いといっただけだ」

アヤの背をぽんぽん叩いているリネットは、でもですよ、これってデートのお誘いじゃないですか――と非難めいた口調でレスターを責める。

「年頃の男女が一定の時間、二人っきりで外出するんですよ」

そう言われたレスターは、あまりの事に声も出せないままリネットの意見に耳を傾け、口元を押さえる。

「……その、そういう意味で……姫は?」
「や、違……」

思わず顔を上げたアヤ。デートじゃないです、と言おうとする前に、すかさずリネットが抱きついてきて『女の子にそんな事聞かないでください!』と邪魔……いや、お膳立てをする。

「リネット……」
「アヤ様、ここはリネットにお任せ下さい。レスター様を連れ出す口実を自然に作ればいいのですよッ!」

ヒソヒソと耳打ちしたリネットは、水を得た魚のように生き生きしている。

本当にこういうのが大好きなのだろう。

もう早くヒューバートと結婚して、恋愛仲介の仕事にでも就いたほうが良いのではないだろうか。

レスターはレスターで、嫌がるのかと思いきや……様子がおかしい。

極力平静を装っているものの、頬を赤らめてイネスの腕を乱暴に掴むとこちらに背を向けたままぴったりと肩をつけ、何やら相談している。

「イネス、どうしたら」
「どうもこうもあるかよ……いいから着替えてこい」
「わたしは護衛だぞ? 着替えてしまったら防具がないだろう」
「じゃあレザージャケットでも羽織ってろ。フツーに見えりゃいいんだ、フツーに」
――我が弟なのに、本当に女性との接点がなかったんだなぁ……

反面教師としてやりすぎただろうか、と、今更イネスは己の女性遍歴を振り返る。

それを見て育ったレスターが、迷惑を被ってきたのだろう。

誤解を招きたくなくて女性を遠ざけてきたのもいわば当然な気がする。

戸惑うさまも微笑ましいといえばそうなのだが、もうレスターだって成人して数年経っているので、さすがにこのままではマズい。

「いいか、変な格好してくるなよ。姫が恥をかくんだからな」
「わ、わかった」

素直に頷くレスターに、何だコイツ可愛いところもあるんだなと感じたイネス。

もともと面倒見も良い方なのと、年に一度あるかないかのお兄ちゃん魂に火がついたようだ。

「姫、少しレスターを借ります! 着替えさせてきますから!」
「あ……」
「心配要りません! 今より幾らかマシに見せるよう努力します!」

何か言おうとするアヤを遮って一気にまくし立てると、自力での行動が不能になったレスターを引っ張って、部屋を出ていく執事だったが……メイドはメイドで、アヤの服装の見立てに燃えてしまったようだった。

「さあ、アヤ様も身支度ですよ! 何にしましょう……」
「リネット、服はもう決まってますよね? 頼んだものは動きやすい服装のはずで……」
「勿論です……でも、二つあるうちのどちらがいいかで迷っています」

イネスと突撃してきた時に床に投げ出した麻袋を拾い上げ、

その大きな袋から衣服をするりと出してアヤの目の前で広げた。

「これが候補1だったんですけど……」

白いロングチュニック……だったが、アヤはよく知らないようだ。

彼女が思ったのは、マタニティドレスみたいだな……ということであり、現代風に言えばゆったりしている、脛くらいまでの長さのワンピース。

その上に羽織るための赤いベスト。

「わ、可愛い……胸元にお花の刺繍も」

と、手に取って……胸元の開きが広いため、アヤはそれを嫌がってリネットにしまってくださいと返した。

なぜなら――……前屈みになれば、下着が見えてしまいそうだったからだ。

この世界には下着もきちんと存在しているが、あえてそれが見えるような服を着ることはない。

それに、見えてしまえばレスターがまた困るだろう。

「お似合いですのに……レスター様もさぞ喜ぶかと」
「ただでさえ誤解されているみたいなのに、もっとねじれたら困りますっ!」
「レスター様は、普通の男じゃないので刺激を強くしないとダメだと思いますよ」
「刺激は要らないので、普通のをお願い」

リネットは残念そうだったが、どうやらレスターを困らせたいらしい。

そうして次に取り出したのは、起毛素材で出来たワインレッドの長袖ジャケットと、白いプリーツスカートのセットだ。裾の所に金糸の直線が一本入っており、清楚な中にも高級感がある。

「これも可愛い! どこかの制服みたいだけど……」

お嬢様学校で、こんな感じのものはありそうだ。

ジャケットの下にはシャツを着てくださいと、ヒラヒラした襟のついた麻製のシャツを渡される。

「……靴下とか、ある?」
「ありますよ。でも、長さはどうでしょう……」

ゴソゴソと袋を漁るリネットだが、袋の中に随分入っている。

何処かのクローゼットと繋がっているのかと覗き込んでみたが、何の変哲もない普通の袋だった。

「あ、長いのと短いのがありましたよ!」

黒いロングソックスと、足首程度のいわゆる普通の靴下。

さすがにストッキングやカラータイツなどはない。

アヤはドレス姿のままスカートを鏡の前で当ててみて、やはり長いソックスだろうなと思う。

「……リネット、ペチコート……っていうかはわからないけど、そういう下着を見えないように隠すもの、ある?」
「ないですよ」

ないの!? と聞き返すアヤに、しれっとリネットはありませんと口にした。

なんだか怪しい。

「ほんとにない? ……意地悪してる?」
「そんな……! わたしレスター様には意地悪しますけど、アヤ様にはしてません!」

うるっと涙ぐみそうなリネット。慌てながら悪いことを言ってしまったと、謝るアヤ。

あえて言ってしまえば、ペチコートは存在している。

しかしリネットはレスターを狼狽させることがマイブーム状態なので、そこに巧妙な罠があることをアヤは気づかない。

スカートがめくれたら当然見えてしまうのだが、アヤに教えることはしない。悪いメイドだ。

そんなレスターを陥れる罠にも気づかず、アヤはソックスを履き、ドレスを脱がせてもらうとシャツとスカートを身につける。

一日ぶりの『洋服』が懐かしく思えて、ほっとする。

ワインレッドの上着は、あつらえたようにアヤの体に馴染んだ。

きっと、リネットが一生懸命探してくれたり、幅を広げたり詰めたりしてくれたのだろう。

焦茶色のロングブーツに足を通し首に大きめの紫水晶がついたチョーカーをつけ、鏡の前に立ってみる。

「……うん、なんか、いいかも」

くるりと回ると、やや短めのスカートが早速ふわりと揺れた。

「よくお似合いですよ!」

リネットの見立てが良かったんですよと告げれば、そのリネットは『アヤ様のためです』とくすぐったそうに笑う。

アヤを椅子に座らせ、軽く化粧を施し――準備完了、と言ってリネットは戸口を振り返る。

「早くレスター様、いらっしゃらないかな……」

その瞳は、アヤという罠を仕掛けてレスターという兎を待つ、狩人のようだった――……


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