【異世界の姫君/22話】

部屋にぽつんと一人残されたアヤは、テーブルに置いた銀製の懐中時計――ルエリアから貰ったものだが――に手を伸ばして、飾り彫りがふんだんにあしらわれたハンターケースを開く。

文字盤も、やはりリスピア語で書かれているから数字でさえ読めなかったが、数字は十二あるし、アヤの世界でいう『時計回り』と同じ方式なので使うには差し支えない。

時刻はまだ午前九時を回ったところだ。行動しようとするなら、丁度いい頃かもしれない。

その前にアヤは先ほどの話と今までの事を、自分なりに整理してみることにした。

この世界の事は、書物で得た知識しか持ち合わせていない。

そして、実際に見聞きしてようやくわかったこともある。

あの本……『エルティア戦記』には幾つかの事実が記されているにしても――それに近いニュアンスで、言い当てられていない事も当然多い。

例として、レスターが自分の眼のことを説明したとき。

アヤの認識を『少し違う』と言った。

彼の目は書物に記されたように赤く光るわけではなく、実際は光を反射するだけ。

結果的には目が本当に発光する種もいるようだから、魔族の目は『光る』――ともいうのも、間違ってはいないのだろう。

そう、完全に当てはまるわけではないのだ。

ヒューバートは言った。

運命は二種類あって、ひとつは使命、もうひとつは自らが望んだ選択によって進んでいく生き方だと。

だから少なからず変えられることも、変えたことにより予測不能な反動が襲ってくることもある。しかし、変える事の出来ないものもあるのだと。

どうなるかわからないという恐怖は確かにある。だが、恐怖に負けてはいられない。

記されたものだけではない、自分の眼で見た『事実』を『真実』に変えるために行動するしかない――と誓ったところで、部屋の扉が遠慮がちにノックされる。

どうやらリネットかレスターが戻ってきたようだ。

「ようやく……解放されました……」

こってり叱られて、精神力をだいぶ消耗したらしいレスター。彼の表情に覇気はない。

アヤ以外部屋の中に誰もいないのを見て、ヒューバート達の事を尋ねられたが、皆仕事に行ったと伝えると困ったような顔をする。

「……イネスが戻ってくるまで、ちょっと外で待機を……」
「あの、この国の風習でそうしないといけないみたいですけど……そんなに気を遣わないでください」
「いえ、良からぬ噂が立つのは……」

互いのために良くないと言いたいのだろう。そこに気づいたアヤは、そうですね、と同意して軽く頷いた。

「ただいま戻りまし……んもう、レスター様、戸口に立たれては入れないじゃないですかっ」
「あ、ああ……すみません……」

レスターが部屋を出て行こうとしたところ、丁度良くリネットが空いた籠を持って帰ってきたため、彼は部屋の中央に押されるようにしてやってくる。

「っと、そういえば元気ないようですけど大丈夫……ですか?」
「はあ、リネット殿のおかげでかなり絞られました。
メイド長に目を付けられてはならない……騎士の間では評判です」

レスターが辟易しながら冗談を言ったつもりでもないようだが、メイド長という女性はどれだけ彼らに恐れられているのだろうか。そう尋ねると『ガルデル様の次くらいですね』と言ったレスターは肩をすくめた後、ぐるりと部屋を見渡し、何かブツブツ呟きながら異状がないかを確認している。

「……大丈夫ですね」

ほっとしたような表情を浮かべたレスターは、アヤに向かいへ座っていいかと断りを入れて、承諾の後椅子を引いて腰かける。

「お部屋の状態が変だとか、わかるんですか?」
「ああ、まぁ……ざっと見た感じで」

すごい、とアヤが称賛すれば、レスターは魔法の力ですよと種明かしをする。

「感知の魔法というものがありまして、その一種【危険感知】を使っただけです」
「……そういえば、騎士様って魔法が使えるんですね……武器戦闘だけかと思っていました」

使えないものもいますよ、と言いつつ、レスターは聖騎士になるため魔法も少し覚えたのだという。

「聖騎士や神格騎士になるには、魔法も必修なんですか? 大変ですね……」

興味を持ってくれたのが嬉しいのだろうか。

レスターは照れたように微笑み、予期せずしてその柔らかい微笑を再び見ることができたアヤは、再び心臓が高鳴るのを感じて、動揺を隠すためティーカップに手を伸ばすと淹れ直してもらった温かい紅茶を口に運んだ。

「わたしの場合、幸いな事に少々魔力もありましたので、自分でもあれば便利だと思い、学んだだけです。ですが、やはり本職……魔術師には劣ります。

それに、ヒューバート様も魔法をお使いになられます。あの方くらいになりますと、剣の腕は恐ろしいほど強いので……補助魔法以外はあまり使われることもないでしょう」

魔法に興味があるのかと聞かれたため、アヤは首を傾げ天井付近に視線をやりつつ考える。

「小さいときは、お花屋さんとか……大人に変身して活躍する魔法少女に憧れましたね……」
「花屋はともかく、変身する魔法は存在していますが……大人になって何をするんですか? 姫は成人でない……?」

皆目わからんといった顔のまま、レスターは話に乗ってくれるのだが、これがこの世界における普通の反応なのだろうか……。

「私の国では、二十歳が成人の年齢なんです」

そうして自分の国の話をすると、リネットが驚いた様子で食いついてくる。

「えっ。二十歳……じゃあ、結婚などはすぐに?」
「結婚も……早い人は早いんでしょうけど、今は仕事も自由な生き方も尊重されてるし、適齢期っていうのが三十歳前くらいなんじゃないでしょうか」

すると、二人とも三十、と絶句する。

「リスピアでは、なかなか考えにくい話です……」
「え、そうなの?」
「ヴォレン大陸の成人は、おおよそ十五歳なんです。成人してすぐ結婚するのが割と多くて、それ以前に結婚して子供がいるのも珍しくないですよ」

リネットの説明にうんうんと頷くレスター。成人前、つまり未成年で、という事にびっくりしたのはアヤのほうだった。

「そんな……十四歳とかで結婚って、えっ……た、確かに私の国とか、昔はそういうのもあったでしょうけど……二ヶ月くらいこっちは少ないし……」

いろいろと戦争があったりする時代は、子を成し血筋を伝える事などは重要視されているのだろう。

カルチャーショックを受けつつも苦笑いし、先ほどの魔法の話の続きを思い出す。

「そ……それはそれとして、さっきの話。魔法……私たちは魔法が使えないので、魔法自体に憧れもあるんですよ」
「そうなのですか? 魔法は使えなくとも、霊的存在は身近にあります」
「えーと、そうじゃなくて……魔法『が』存在しないんです。そのかわり、科学は発達しているので便利なこともあります」

白魔法だの黒魔法だの、悪魔召喚術だの降霊術だのといったものは確かにある。だが、幻想世界のように発動や効果が第三者に可視出来るものではないのだ。

しかし、今度はレスターが驚く番だった。目を二度三度瞬かせ、魔法がない? と繰り返した。

「では、どうやって生活しているのですか? 灯りをつけるのにも不便でしょう」
「ううーん……説明しづらいですね。電気っていう、エネルギーの一種がありまして……それが生活の大半に使われています。あ、雷とかも、電気の一種です」

はぁ、と、レスターがよく分からないといった感じ丸出しの返事をする。

「どうやら互いに、あまり馴染みのない文化のようですね。そういえば、姫のお国はどちらにあるのですか?」

その質問には答えられませんとドギマギしながら告げると、意外にもレスターはすぐに『失礼致しました』と引き下がる。

ヒューバートとは違って、何も聞いていないと思うのだが……。

「――では、わたしが知っている国でいいますと……魔法をほとんど使用しない国、アルガレス帝国と国の感覚が近いのでしょうか……。鉄鋼業が盛んな軍事国家です」

アルガレス帝国。アヤの知らない国。

だが、もしかするとその国とアヤたちの世界は似ているところがあるかもしれない。

「私はその国の出身でもないのですが、興味深いです。いつか、その国に行ってみたいですね……」

自らの希望を乗せて呟いてみれば、レスターは厳しい顔をして『それはなりません』と強い口調で断ち切る。

「わたしが勝手に話したのにこう言っては何ですが……あの国は、中立を除いた多数の国家と――当然このリスピアを含め、敵対関係にあります」

多数の国家と敵対関係。世界情勢は緊迫しているのかもしれない。

「……凄い、ですね。大きな戦争にならなければいいですけど……」

アヤもそこまで思慮したが、あれ、と声を上げてレスターに『ちょっといいですか』と確認がてらの質問を投げる。

「リスピアは、確か古い時代から魔族と争っていますよね」
「よくご存知ですね」
――うわ。しまった。

口を滑らせてしまったと思ったアヤは、日本人特有の愛想笑いで誤魔化してから……他の国とも争っているのですかと訊ねる。

「アルガレス帝国がどのような国かは分かりませんが、多数の国家が協力すれば、経済制裁やら何やらで抑えきれるのでは……?」

なにせ、本にはリスピアの歴史や経済、他国との状況は詳しい描写などなかったのだ。

すると、リネットはそんなことありませんと首を横に振る。

「あの国に手出しをすれば……大変な事になりますから」

不安そうな表情を浮かべるリネット。どうやら軍事国家というだけあって、武力的な影響力はとても強いのだろう。

「とにかく――アルガレス帝国と魔族がリスピア当面の敵でしょうか。勿論リスピアは同盟国もありますが、どの国も互いに出方を牽制し合っている緊張状態ともいえます」

魔族は、一体どこから現れたのだろうか……? それをレスターに聞いてしまうのも申し訳ない気がするので、もし自分が自由になったときにでもルエリアに尋ねてみよう――……

「あ。そういえば、イネス様……は?」
「様付けなんてするほどの男では無いので、奴に敬称など要りませんが……あれはまだ説教中です。一日中叱っても足りません」

どうやら、レスターはアヤの護衛騎士だという事と、普段そういう騒ぎを起こすことはなかったので先に見逃してもらえたようだ。

窓を開けているため、爽やかな風が室内に入り込んで心地よい。

「……我々のせいで、気疲れされているのかとも思います。重ね重ね申し訳ございません」
「そんな事ないです。漫才みたいで楽しかったですよ?」

漫才というのがどういうものか分からないため、褒められているのかどうかも判断できず、ますます難しい顔をするレスター。

ただ、アヤの表情は穏やかだったため、多分、悪い意味で言ったようではない――という判断を下した。

「姫、今日のご予定は……? また講師殿が居らっしゃるのでしょうか」

尋ねてくるものの、あの講師にはあまり会いたくなさそうだ。

安心させるように、今日は来ないので大丈夫ですよと優しく告げ、レスターもほっとしたように硬かった表情を和ませた。

そう、今日は外出するとレスターに言わなければいけないのだが……どうにも言い出しにくい。

「あの……今日、レスター様のご予定は……」
「? 可能な限りあなたのお側におりますが……」

至極当然といった顔のまま、レスターは即答する。

それだけなのに、アヤは気恥ずかしくなって頬を両手で押さえる。

赤くなっていなければいいけどと願ってみたものの、その願いは無駄に終わり、顔は少しずつ紅潮していく。

「姫……わたしは何かおかしな事を申したのでしょうか」
「ち、違います。ヘンじゃないです。大丈夫です!」

眉根を寄せ、胡乱げな表情を浮かべているレスターに慌てて弁解すると、深呼吸を繰り返す。

――アヤ様、がんばって……!

リネットは固唾をのんで二人のやりとりを見つめていた。

「……あの」
「はい」

そんなに真剣に聞いてくれなくとも良いのだが、真面目な顔をしてじっとアヤを見つめるレスター。

「今日、は……大丈夫、ですか?」

――何について、大丈夫なのだろうか。

当然のごとくレスターはそう思ったようで意味を探っているが、訊いたアヤでさえ何を言っているのか分からなくなってきた。

「姫、もう少し具体的にお話して頂きたいのですが……」
「そ、そうですよね。わからないですよね!?」

何故こんなに恥ずかしがる必要があるのか。

ただ、一緒に行こうと言うだけだ。

きゅっとドレスを握りこみ、赤い顔を隠すように俯いた。

(変なことを言う訳じゃないから、大丈夫……普通に言えばいいんだから!)

物怖じする自分自身を叱咤し、もう一度深く息を吸い込んで……顔を真っ直ぐ上げ、耳まで赤くしながら大きな声でレスターに言い放つ。

「外へ出かけたいので、私とご一緒してください!」


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