【異世界の姫君/21話】

「どうして……それを……」
「陛下より聞き及んでおりますし、僕自身……ある程度ですが、人の心が読めるのです」

ヒューバートは何でもないことのように云いつつ、己の右目に触れた。

「右眼は元々こんな色ではなくて、左と同じ色でしたが、読心能力が発現したせいでこのように変化したのですよ」

そして、アヤにもう一度その目を向ける。先ほどと違って感情が伺えない瞳。

やはり邪なものを感じさせず、曇りのない美しさは変わらない。まるでガラス製の造形物みたいだった。

「実は、貴女が謁見にいらっしゃる時、僕は姿を隠して立ち会っています。初めてアヤ様が陛下とお会いした時も同じようにして、庭園におりました」

姿を隠して陛下の身辺を警護する役目ですから、と淡々と語り――小さく笑う。

「誠に勝手ながら、その時貴女の心も覗かせて頂きました。陛下も口先だけでは誤魔化されませんが、万が一も考慮し、念には念を入れてのことです。
結果貴女は陛下を騙そうと謀ることもなく、人を救いたいというお心にも嘘はなかった。陛下が見ていて面白い、という理由以外で自由にさせているのも、そんな貴女を気に入ったからでしょう。
まぁ、好きにさせているとはいっても……常に監視されているのと同じですけれどね」
「え……」

監視されて、いる。

当惑するアヤに、ご存知ではなかったですか、と、ヒューバートはそれこそ意外そうな顔をして答える。

「いつも貴女の側には、誰かがいる。レスターも陛下から任命された。
リネットも……まぁ、彼女は偶然みたいなものだから、範囲には入らないかもしれません。貴女が警戒しないように、わざとあてがっています。
レスターの任務は貴女を何かしらの危険から守ることですが、同時に監視もしています」

ヒューバートの言葉は、アヤの胸に痛みを伴う棘を打ち込むようだった。信用は、されていないに等しい――と感じると同時に、それもそうだと理解する。

あのルエリアが異邦人の言葉を信じ、いつまでも好き放題させているはずはない。

「アヤ様。こんな状態でも、貴女は運命を変えると……仰るのですか?」

ヒューバートは物悲しげな目を向ける。

やめたらどうだ、と。

「貴女を――誰も真に信用できていない。身分も素性も不明瞭で急に姿を見せた……予言の出来ると噂される存在を、誰が信頼すると思いますか。
道化のように踊らされて、見知らぬ土地で傷ついても構わないのですか?」

今手を引いても陛下はお咎めしないでしょう、とも告げた。

しかし、アヤは目を閉じると、首を横に振る。

止めないつもりらしい。

「遊びではないのですよ? 簡単にできるものでは――」
「勿論、それはわかっているつもりです。
人に信頼されていないのは……確かに悲しいですけど、私が落ちて来たのは昨日ですから、どうにもなりません。でも、信頼されたいからそうする訳ではないです。
ヒューバート様だって、人に認められたいから、騎士をしているわけではないのでしょう?」
「勿論です」

アヤはじっとヒューバートと視線を交わらせていたが、やがて『聞いていただけますか』と儚く微笑んだ。

「私、この世界に来たとき……とても嬉しかったです。大好きなお話の登場人物がいて、お話しできている。
本の続きが知りたいと思っていたから、夢を見ているみたいでした。一度仮眠を取らせてもらって、また目が覚めるまで。私はそういう気分だったんです。
だけど……ルエリア様は私にこの世界をお話ししてくれました。『本の中』ではなかった、リスピアの現実を」

夢などではない、本当の『世界』。

それは全然綺麗なものではなく、アヤの生きる世界と殆ど変わらない。

いや、更に悪かった。

「そこで、私は……ルエリア様に問われて、分かったんです。レスター様の事を気に入っているって言ってたのに、実際は……この世界を見たいだけだった。
彼の結末を知っているけど、自分はこの世界には関係ないから、あなたたちで彼を助けて欲しい――人任せにして、自分で何かをしようとは思っていなかったんだって気づいた。――すごく嫌な人間だと知ったんです。
最低だなって。自分でもそう思いました。きっと、ルエリア様は既に分かっていた。だから……うん。信頼されなくて、当然です」

アヤが吐露する心情を、ヒューバートは慰めるでもなく聞いていた。

そうしなかったのは、彼もそう思う部分があったのかもしれないし、アヤが慰めを望んでいるとは思えなかったからだ。

無暗に優しく接するだけが優しさではないと知っている。

「私に力や人望はなくても、レスター様には生きていて欲しいと思う気持ちだけは……嘘なんかじゃないです。
祈っていても変わらないなら、変える為の機会を見つけるしか無い……それだけです」

話していたアヤは、涙で潤む目を手で擦った後、はにかむように笑った。

「もうそろそろ、レスター様やリネットが戻って来るかもしれませんね。泣いてたらビックリさせちゃいます」

こっちに来てから泣いてばかりですが、本当は泣き虫なんかじゃないんですよ、と、アヤは椅子から立ち上がる。

それを目で追ったヒューバートは、マントが椅子に引っかからないよう軽く持ち上げながら同じように席を立った。

「僕は、貴女に手を貸すことはできません。陛下のご意向を尊重しなくてはなりませんから、貴女の手腕をただ拝見するだけです」

一呼吸置いたヒューバートは、更に衝撃的な言葉を重ねる。

「――運命は、変えようと努力すれば変えられることもあります。そこを偶然と取るか必然と取るかは、未だに学者の解釈が分かれますが」

運命は、変えることができる――……そう訊いたアヤは、思わずぐっと拳を握って胸に添えた。

「貴重なご意見をありがとうございます……変えることができると聞いて、希望が見えました」

しかしご注意を、とヒューバートはアヤに呼びかけた。

「どんなことも力をかければ曲がる。運命も同じです。大きな反動として、変えようと動いた貴女に襲い掛かるかもしれません」

最悪貴女が代わりに命を落とす事も考えられる。それでもやるつもりですか、とまた問いかけた。

「私、死ぬつもりはないです。ちゃんと生きて……運命を変えるつもりです」
「それは――」

アヤは、きゅっと眉を吊り上げ、ヒューバートに向き直る。

「ダメだから諦める……なら、やらないのと同じです。たとえ身にならなくたって、何一つ無駄にはならないと、レスター様は私に仰いました。
それに、エリス様も私に加護を授けて下さいました。神様直々の加護なんて普通はありませんよね……?
だから、怖いけど……怪我したって構いません。やるだけのことはやってみます」

生意気なことを言ってごめんなさい、と頭を下げたアヤ。

当然死ぬのは嫌に決まっている。

だが、それ相応の覚悟がなければ成し遂げられぬことだ。

ヒューバートはアヤにどうしてですかと静かに問う。

「あなたにとって、この世界で命を懸ける必要があるのですか? 気に入っているとはいえど……そこまでレスターを想っているわけではないでしょう?」

好きか嫌いかと問われれば好きだが、恋愛的な意味ではないだろう、とはアヤも一瞬思った。

「…………確かに、私はそういう意味で好いているわけでは……ないと思います。今はそう思うけれど……いないと寂しいです。
ここにいないというだけで寂しいと感じているのに、本当にいなくなったら――」
――その時の事は想像したくないが、今よりもずっとずっと悲しいはずだ――。

アヤはそう言って、目を閉じた。

再び静寂が室内を支配し、ヒューバートは扉に目をやり、そろそろ時間ですねと呟く。

「もうお気を変えられることはない……のですね。僕は貴女がご無事で戻られる事を祈ります」

と、扉の方へ歩み寄ってから――唐突に振り向いた。

「貴女の世界にも『ルフティガルド戦記』という書物は……ありましたか?」
「ルフティガルド……? ごめんなさい。分からないです。どんな本ですか?」
「そうですか。いえ、分からないのならそれで全く構いません。ただ、共通しているものがあるのかと思っただけです」

ただの興味から伺っただけですよと彼は笑う。

「……貴女も……『セルテステの洞窟』に行ってみると良いでしょう。かつて、勇者と呼ばれた男が潜在的な能力を開花させたといわれる場所です。
ただし、魔物も出没することがあるので、お一人では行かないように」

セルテステの洞窟、と口の中でアヤも呟いてから……不安げに頷く。

「あと、そうだ。人の言葉を、そんな簡単に信用されてはいけません。僕はさっき嘘をついているんですから」

嘘? と聞き返せば、ヒューバートは本当に困った人だと目を細める。

「考えてもみてください――陛下が信用ならない人間のために……わざわざ時間を割いて秘密の神殿へ続く扉を開け、ご自分の母親に会わせてまで、元の世界に帰してやろうと思いますか?」
「……え、と」
「レスターも貴女を監視をするだけなら、もっと割り切って行動できたでしょうし」

ちょっと分かり難い。アヤは言葉の意味をよく考え、やがて到達した答えに不満を抱いたらしく、ヒューバートをジト目で見やる。

「……試してたんですね」
「お許しを」

その場に跪き、左手を胸にあてて深く頭を垂れるヒューバート。

「これは、陛下に命令されたことではありません。貴女の意志がどの程度なのか、純粋に僕が知りたかった。
そして貴女の意思は固く、見た目に寄らず言い出したら聞かないのも理解しました」

だけど安心しました、と晴れやかに笑ったヒューバートは再び姿勢を正すと『レスターをよろしくお願いします』と言って、扉を開ける。

「すぐに帰って来られると思いますが……僕は所用で出かけます。良いですか、洞窟内で強い光を感じたら、眼にお気をつけ下さい……どうにかなるものではないかもしれないけれど」

そう言い残して今度こそ、ヒューバートは去っていった。


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