【異世界の姫君/19話】

ルエリアに朝の予定を告げた後、戻って食事を終えたアヤはリネットの淹れた茶をありがたく戴きつつ、ぼんやりと物思いに耽っていた……といえば聞こえはいいが、具体的にどう動けばいいかと悩んでいるだけである。

リネットは食器を片づけて茶を淹れ、アヤの渡したリストを読み進めていくうちに困ったような顔をしていた。

「……本当に、使うの……ですか?」

そこには一般的な服、カラーチェンジアイテム、小銭、筆記用具……といった品で、如何にもどこか出掛けるのだ、と分かる品物ばかり。リネットの表情が曇るのも無理はなかった。

レスターもそれを覗きこもうとするが、アヤがすかさず中に入って阻止し、リネットの腕をとって寝室の扉を開けると中に引っ張る。

「な、どうしたんですかアヤ様!」

ばたん、と扉を閉めるアヤの様子は何か違う。

リネットも何かを感じとって身を固くする。

「しっ……あのね、リネット。お願いがあるの」
「……は、はい」

深呼吸すると、アヤは至極真面目な顔になって『それを持ってきたら、レスターには言わないで自分一人だけ行動させてほしい』と懇願する。

これにはリネットも眉を吊り上げてダメですときっぱり口にした。

「姫は、大事な大事なお方です! 何か御身にありましたら……レスター様に咎がありますし、わたしだって悲しいです……!」
「ルエリア様には許可を頂いてるし、私はそのために……ここに来たと思う。何かあっても私の判断で行ったことだから、咎なんてくるはずない」

そういう事だけじゃないんですっ、とリネットは首を振って、アヤの手をきゅっと握った。

「レスター様は頼りなさそうに見えますけど、とても真面目なお方です。姫が不慮の事故に巻き込まれてしまった場合、間違いなくご自身を責めるでしょう。
それだけではなくて、レスター様は生い立ちでよく意地悪されるんです……だから今回もいろいろ騎士たちから口さがない事を言われてるんじゃないかって……」
「あ……」

そうだ。魔族と人間の混血児なので、彼も特有の瞳を気にしていた時期があると言っていた。

アヤの護衛になったことは事実だし、謁見の間だけでなくどこへ行くのでさえ付き添うのだから、それを目撃した者たちから噂が広く流布している――と考えても差し支えない。

「……でも」
「デモもデマもないです。お一人での外出は禁止です」

絶対に譲りませんから、とリネットは語調を強める。

「……本当に?」

叱られてしょぼくれた子供のように、上目遣いでリネットを見つめるアヤ。

ちょっと情にほだされそうになったが、リネットは一定してダメだという姿勢は崩さない。

「だいたい、アヤ様文字が読めないと仰ってレスター様に読んでもらっていたじゃありませんか。なのに外に行っても標識ひとつ読めなかったら、危ないでしょう?
それに、こんなことを言いたくありませんが……街中にはいい人ばかりではありません。場所だって、治安の悪い部分もあるんです」
「うう……」

痛いところを突かれて、アヤは唸る。

だが、ここでスゴスゴ引き下がるわけにはいかなかった。

「じゃあ、リネットが一緒に来て! お願い!」
「ええっ!? ダ、ダメですよ! お部屋の掃除も、お召し物の洗濯もありますし……」
「そんなのはいいから……」
「何を仰いますか! いいわけありません!」

いけない、彼女の仕事の一部を否定してしまったらしい。

ぷんぷんと怒るリネット。しかも一緒に行ってくれないようだ。

「……じゃあ、レスター様と一緒だったらいいの? ちゃんと頼んだもの持ってきてくれる?」
「いい、と大手を振るわけではありませんが……その条件でしたら、お持ちします」

問題はありません、と背筋を伸ばしてすまし顔をするリネット。

「レスター様と一緒じゃないとダメ?」
「ダメといいますか……アヤ様のお知り合いで他にどなたがいらっしゃるんですか? いたとしても、アヤ様もわたしも信頼できる方ですよ?」
「……いません……」
「ですよね。だからレスター様じゃないとダメです」

本当はレスターを巻き込みたくないのだが、リネットが譲らないのだからアヤが折れるしかない。

「では、レスター様にお願――」

その時。

『帰れ!!』

居間のほうで、レスターの厳しい声が木霊する。

驚きと恐怖にびくりと肩を震わせ、何事かと閉ざされたドアの向こうを心配そうに見つめるアヤ。

リネットは不安げな姫の体を抱きしめ、大丈夫ですとあやすように叩く。

『迷惑だから帰れと言っている!』

レスターは誰かに怒鳴りつけているが、いったい何が起こっているのだろう。

アヤはおそるおそるドアノブに手をかけて、回しながら押し開き――顔をそろりと覗かせた。

「いいだろ、別に。レスターがお世話になってる姫様にご挨拶くらい」
「貴様がここまで図々しいとは思わなかった。今すぐここから出ていけ。さもなくば力ずくで追い出す!」

レスターの顔は嫌悪に歪み、正面に立って涼しげな顔をしている銀髪の男を睨みつけている。

しかし、その男の顔は――レスターと殆ど同じ顔だった。

違うところは、銀の髪は短く切りそろえられていて、後ろに撫でつけてある。

燕尾服姿であるのと、幾分その男の表情が柔和だという事も違いの一つだが。

「えっ? レスター……さま?」

思わず声を出してしまったアヤ。騎士レスターと、扉の前にいる偽レスターを見比べる。

はっとした顔でアヤのほうを振り返るレスターと……瓜二つの男も同じく扉のほうへ顔を向けた。

アヤと目が合うと、燕尾服姿の偽レスターは恭しく頭を垂れて優しそうな笑みを浮かべる。

「お聞き苦しい男の声で驚かせてしまいまして、誠に申し訳ございません。
初めまして、黒髪黒瞳の美しきお姫さま。わたくしはレスターの双子の兄、イネス・ルガーテと申します。姫君の執事を命じられ、宮殿よりやって参りました。どうぞ自分の家族と思って、なんなりとお気軽に申し付けてください」

至極丁寧な自己紹介に、部屋から出てきたアヤも『よろしくお願いします』とドレスの裾を軽く持ち上げながら膝を曲げて挨拶をした。

何度もあの講師にダメ出しをされるくらいやらされたため、成果としてちゃんと見れるようには仕上がっている。

微笑の執事とは違い、仏頂面の騎士は非常に面白くない様子だ。

「必要ない。リネット殿がいる。貴様の薄っぺらい愛想笑いなど見たくもない」
「レスターに会いに来たわけじゃないから、お前に見せるのは薄くていいんだよ。それに、これは我らが敬愛する陛下直々の勅令だぞ?
それともなにか、我が弟は女王の意向に逆らうのか? 騎士なのにそんな事はしないよな、レスター?」
「くっ……嘘だ、そんなこと……」
「嘘ならどうしてこれがあるのかなあ。勅令なんだけどなあ」

ぺらりと見せた紙には、なにやらさらさらと書き込まれている。そして捺印は、先ほどアヤがトリスから受け取ったものと同じもののように見える。

言い返せず悔しげな表情を浮かべたレスターを眺め、ふふんと勝ち誇った笑みを見せるイネス。

しかしリネットにもイネスにも、この騎士はいいようにあしらわれている。

アヤは目を丸くしたまま二人を見つめた。レスターに兄がいるという事実は昨日知ったばかりだし、名前や容姿までは教えてもらっていないので当然初見だ。

聞いた限りでは、ほんの少しイネスのほうが声は高めな気がする。

が、気がするだけで同じくらいかもしれない。

目を閉じて聞き比べてもわからないだろう。

しかし、だ。

この離宮にわざわざ執事がやってきたという事は、リネットとあまり会えなくなるのでは――アヤは後ろに立っているリネットを振り返る。

彼女もまた、不安そうな顔をしてアヤとイネスを見つめており、聞かされていなかったのだろう。

やはりアヤが思ったことと同じような形で危惧しているようだ。

「あ……リネットさんには、姫のお側で今までどおりだよ。男ではできぬことも多くあるでしょうし、何より姫が悲しみますから」

心を読んだわけでもあるまいに、イネスはアヤの心配を払拭する。ほっと胸を撫で下ろすアヤと、顔に明るさが戻ったリネット。

執事だという男は微笑みを浮かべて二人を見ていたが、すぐさまじろりと顔の向きを変えてレスターを睨む。その顔は執事ではなく、家族の厳しさがある顔だ。

「レスター。家に使いも出せないほど毎日忙しそうで大変だなぁ。こっちも連絡がないから、何してるかと心配してみれば……こんな美しい姫の護衛だそうだ。あまりの出世に俺はびっくりだよ。
そして噂に聞くはお恥ずかしい振る舞いばかり。女性に恥ずかしい思いをさせて何が騎士だ。俺なら姫に悲しい気持ちはさせないがなあ……」

しみじみ言うイネスに、苛だちを隠せないレスター。

「一緒に住んでいるわけもないのだから報告の義務もない。それに貴様のような男に何を言われようが、わたしには何も……!」
「怒ってんじゃん」
「いちいちうるさいからだっ!」

口を尖らせて文句を言うイネスに、だんだん語調が荒くなるレスター。

たまらずアヤが喧嘩はよくありません、と口を挟む。

「大丈夫ですよ……それに喧嘩ではありません」

とアヤを安心させようと試みるが、表情は曇ったままだ。

「ばか。姫にお前の怖い顔なんかずっと見せるな。美しい姫のお顔を間近で見ても微笑みが出ないなんて、どれだけ男として騎士として機能してないんだ? ポンコツか?」

イネスはどこから出したのか、銀のトレンチをレスターの頭上に打ち下ろす。

ガンと中々いい音が響いた。

ついもう一度叩いたところで今度は完全に睨みつけているレスターがトレンチを掴んで止める。

「食器用のトレンチで人の頭を何度も叩くほうがバカだろう! 仕事道具をぞんざいに扱うな!
……いいかイネス、お前に関わったら女性はろくな事がない。ついでに間違われるわたしもだ。
先日も間違われて、もう一度やり直してと泣きつかれたぞ。遊び半分で口説いてすぐ別れて……手癖と態度が悪すぎる! 改めろ!」
「はっ。それが誰だか知らないが、俺は愛を教えただけさ。俺は騎士じゃないから剣を捧げたりしない。この身で与える悦楽と、囁く愛で満足してもらう以外、世の中男女に何がある?」

アヤが恥ずかしそうに視線をそらすと、さすがに鈍いレスターもイネスの襟首を掴んで抗議しながら揺する。

「こら! ひ、姫の前でなんて破廉恥な言葉をべらべらと……!!
お前は歩く猥褻生物だ! いいから庭の手入れでも延々していてくれ! 姫に何かしたら、お前を殺してわたしも死んで詫びてやる!」
「そんなにキミは俺が好きだったのか。兄弟で無理心中とは聞いた事ないな?
それに卑猥生物の弟も同じ生物っぽいから危ないじゃないか。夜這いでもしてしまうかもな」

余計なくらいどうでもいい事を言ってしまうイネスに、レスターは余程殴ってやろうかと思ったが……

「バカはあなたがたです! これ以上この場所で汚れた会話をすると、立ち入り禁止にしますからね!」

イネスとレスターが握っていたトレンチを奪い、ぴょんと飛び上がりながら二人の頭を強打するリネットによって、それは実行することなく終わった。

あまりの痛さにうずくまる卑猥生物たちを冷たい眼で見下ろし、リネットは赤くなってしまったアヤを抱きしめる。

「姫、怖くありませんよ。大丈夫ですから。ちゃんとヒューバート様とメイド長にいい付けておきます。生物たちは反省して教会で懺悔でも草むしりでもなさってください」

小さい身体で迫力は凄まじいリネット。

卑猥生物たちは逆らわずに小さく返事をすると、お互い『お前のせいで』とばかりに睨みあえば、また始まりそうな雰囲気を感じたリネットが、眉をつり上げてトレンチを構える。

ビクッと身を震わせて謝罪するルガーテ兄弟。

その様子が面白くて、アヤは声をあげて笑ってしまった。

「あ、もう……おかしい……! あまり笑わせないでください。レスターさまも、イネスさんと一緒だと凄い面白い……!」

おなかを抱えて笑うアヤに、イネスは苦笑いするとレスターを肘で小突いた。

「よほどお前、つまらないんだな。もう少しなんとかならないのか?」
「……すまない」

アヤがこんなに笑っているのは喜ばしい事なのに、それが普段から出来ない事と――イネスのお陰でもあることが悔やまれた。

どういう顔や言葉をかけたらいいか戸惑っている様子のレスターを見て、イネスは心の中で溜め息をつく。

(俺の半分でも、この会話術を学んでもらいたいもんだよ、ほんと)

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