【異世界の姫君/17話】

月の離宮で、ようやく朝昼夜兼の食事にありついたレスターだったが、真っ直ぐ前に座る人物を見ることが出来なかった。なぜなら彼の前にはアヤが座っていたし、彼女もどこか恥ずかしそうにしているからだ。

「……余程お腹を空かせていらっしゃったんですね、レスター様。もうちょっと量を貰えたら良かったんですけどね~……夜も遅いとコックもあまりいなくてですね」

リネットが何度か話を振ってくれるものの、彼はいつも以上に硬い声音で短い返答ばかり。

メイド的にアヤの方に対してはさすがに御行儀よく食べている、と満足そうであるのに対し、レスターには『空腹で機嫌が悪い』という印象を抱いているらしい……。

「レスター様。私の分、よければ召し上がってください……」
「要りません、それは姫の召し上がるものです! こうしてわたしなどが姫とご一緒に食事を頂戴していることでさえ不相応なのですから、そこまでされては困ります!」

アヤがパンを半分千切って差し出すと、レスターは凄い剣幕でそれを懸命に押し留め、腹は膨れましたからと取ってつけた理由も添える。

さすがにそこまで言われては、アヤも渋々収めるしか無かったようだ。

が、レスターと視線が絡むと、そっと目を伏せる。

レスターもその仕草に先ほどのマント事件を思い出し、視線を彷徨わせた。

「……?」

先程から何度も見かけるぎこちない二人の様子に、小首を傾げたリネット。

アヤの顔を暫くじろじろと観察し、レスターと目が合うと、彼の顔が強張るのを見て取って――ニタリと顔を歪めた。

「っ、リネット殿……なんですか、その笑い方は」
「え~、わたし笑いました? 気のせいじゃないですか?」

笑ってますよとレスターが不満気に言えば、リネットはオカシイですね~と妙に間延びする口調で……明らかに、レスターをからかっている。

「あ、そうだ、リネット……」
「はい?」

アヤは用件を思い出して、後ろに立っているリネットへ振り返ると、瞬時にリネットの顔はいつもの優しいそれへと戻って対応している。

どうやら、猫を被っているというか……アヤには従順に接しているようだ。

「明日、朝何時頃謁見に行けばいいのか、分かる?」
「大臣様方へのご挨拶が終わってから、ですね。
だいたい……八時くらいで良いかと」
(リネット殿……もしやカマをかけて……? いや、女の勘、というやつか?)

そういえば午前中にもこんな事があったなと、遠い目をしながら長く感じる今日を振り返ってみるレスター。

「……そうだ、アヤ様、ご入浴の準備を致しましょう。レスター様はどうなさいます? これから入ります?」
「わ、わたしはっ……! 男ですから……」
「ですから、共同浴場に行かれるのか、今日は入らないのかって訊いているんですけどぉ?」

男だって風呂に入りますよね、と可愛く言っているが……とても楽しそうだ。

「それは、入ります、けれど……」

言い返せないままギリギリと歯噛みするレスター。

「はい、ではレスター様、お風呂に行くよりアヤ様のご入浴のほうが先です。終わるまでお風呂に行かず、護衛なんですからお外で待機ですよ」

リネットは気にした風もなく空いた食器をワゴンに片付け、レスターを部屋から追いだすため立たせた。

しかし、彼の背中を押しながら『何があったか後で教えてくださいね』と意地悪く言った。

「リネッ……!」
「はい、では後程!」

いい加減にしてください――と言いかけたレスターのすぐ後ろで、扉が素早く閉められる。

ガチャリと施錠の音も聞こえ、文句のやり場を失ったレスターは小さく悪態をついた。

(女性というのは、やはりそういう話題がお好きなようだな……)

レスターが知っている女性にも、妙に誰々と何々がどうもいい雰囲気、と逐一チェックしているような者もいる。

尾ひれを付けてリネットが誰かに漏らさないことを願う他無い。

それに、マント事件もアヤの事を好きだからそうしたくなった、というわけ――ではないはずだ。

だからといって好きでもないのにそうしたいのは、騎士として、男としていささか軽薄ではないかとも思う。

(イネスなら絶対やりかねないが、わたしはイネスとは違うんだ……)

あの男の常にヘラヘラ笑っているように見える軽薄な顔を思うと腹立たしく、アヤの側には絶対に寄らせたくないと強く思う。

軽薄なのだが、愛想も良くて立ち回りも上手い。

レスターから見てもバカな奴に見えるのだが、そこに女性は母性をくすぐられるらしい。

なぜそんなダメ人間を愛してしまうのか? 恋愛も遠ざけていたレスターには理解し難い所だった。

(流石に姫は、そういう男には引っかからないだろうな。しっかり国で――……)

何せ後三日と考えた所で――アヤはその後どうなってしまうのかわからないと言っていた。

帰るところがない、とも。

国から供も連れてきておらず、一人で放り出されてしまうのは辛いことだろう。

(何か、わたしが姫のために出来る事はないだろうか……)

ルエリアに陳情すれば、あの女王なら『なんだ、女一人くらいおまえが養ってやれ』と言わないとも限らない。

よしんばそうしたとして、王族が突如平民の暮らしなどできるだろうか。

だが、アヤは人目につきすぎる。

レスターが居ないときに何者かが拉致しにくる可能性や、姫目当てに騎士たちが押し寄せることも考えられる。

(ああ、ダメだ。それは良くない――こんな妄想自体、おかしいのだ)

冷静に考えれば、国賓を女王が無責任に放り出す事もないのだから。

こんな事を考え始めるとは少々疲れているのかもしれない、と理由を付加して頭を振り、妄想を追い出した。

しかし……長く(とはいえ十年にも満たないが)一人暮らしをしていたレスターには、自分の家にアヤがいて、微笑んでくれるなら――なんだか幸せな家庭みたいだな、と思った。

「……さっきから何を考えているんだ、わたしは……」
「あら? もう変なこと考えてるんですか? すごいですね」

突如後方からリネットの声が響いて、心ここにあらずだったレスターは『うわ!!』と大きな声を出すほど驚いてしまっていた。

「アヤ様の入浴が無事終わりましたので、レスター様は今日はもうお休みになられて大丈夫です」

まぁ、何か有ったとしても、今の様子だと駆けつけるの遅くなりそうでしたね、しっかりしてくださいとなじり始めたメイド少女。

何気に毒舌である。

しかし湯浴みが終わるほど長い時間ボーっとしていたと知って、レスターは恥じ入る。

「申し訳ない……集中していなかったことは認めます。何事も無くて本当に良かったですが、今後このようなことの無い様、気を引き締めます」
「うん、宜しいです」

何を言う。

ちっとも宜しくない――そう思っていると、リネットの肩に手を置いて、湯上りのアヤがそっと顔を覘かせた。

「レスター様、今日はありがとうございました……迷惑ばかり掛けていたので、疲れたでしょう?」

申し訳なさそうな顔をするアヤ。

まだ濡れている髪をひとまとめにして、タオルで雫が床に滴るのを押さえていた。

温まってほんのり上気した肌は桜色で、頬にも赤みがさしていて妙な色香が漂う。

服装も先程よりずっと緩く、勿論寝間着も着用しているのだろうが……薄手のローブを羽織っていた。

リネットでだいぶ隠されているにしても、これは、男所帯で生活しているレスターにとって――緊急事態に近いものであった。

彼の人生経験では、この場合どう対処すべきかというマニュアルめいた答えがないのである。

普通の男ならそれなりに眼福であろうこの瞬間も、この朴念仁には目の毒でしかない。

「迷惑ではありませんが、これで失礼させて頂きます! 何かありましたらお呼び下さい!」

と、目の前の小部屋を指さし、後ろを振り返らずにその部屋のドアノブに手をかける。

「レスター様っ、あの」
「失礼致します!」

ドアを開けるのももどかしいのか、身体を隙間にねじ込むようにして部屋の中へ消えていったレスター。

ちなみにこの部屋は、護衛の騎士が仮眠や着替えを行う小部屋である。

「ううん……ちょっとまだレスター様には早かったですかね。もう少し何かあるでしょうに……」

リネットは至極不服そうに呟き、アヤはお休みなさいと言えなかったことに対して残念そうだった。

髪を乾かし、リネットに丁寧な礼を告げてベッドに潜り込んだアヤは、今日をゆっくり振り返る。

異世界に迷い込み、ルエリアやリネットと出会って、レスターの事も少しわかった。

(……明日もまた会えるけど……私は、残された時間で何をどうしたらいいんだろう……)

家に帰るという選択肢はないのだから、自分がこの世界でどうするべきかを考えるだけだ。

未だ何をすればいいか見通しが立たない状態から、手がかりが見つかることを――……否、探すしか無い。

不安と僅かな期待がアヤの心に渦を巻く。

『月の女神エリスの加護を与えましょう。あなたの助けになりますように……』

ふと、エリスのたおやかな微笑を思い出す。

そうだ、本物の女神から直接そんな事を言われるなんて、元の世界では一生に一度あるわけもない凄いことなのだ。

不思議と心に落ち着きが生まれ、アヤは肩までシーツをかけ直すと目を閉じる。

(私には何も不思議な力や能力なんてないけど、出来る限り頑張ってみますね、エリス様……)

だから、どうか見守っていて下さい――お願いします。

指を組み、そう何度も女神への祈りを捧げながら、アヤの意識は沈んでいった。


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