アヤが自分を見つめる視線は切なくて、レスターは彼女の憂いを払拭してやりたいと思った。
「姫……わたしから質問させて頂いてよろしいでしょうか」レスターは、列柱の間から中庭のほうへと顔を向ける。
単に彼自身がそう感じただけなのかもしれないが――アヤはきっと、答えを求めているような気がした。
「はい」屋根のない向こう側は、まるで別世界のように青白い月光で照らされている。
「姫は、何か……知識がないことを恥じておられますか?」なぜそう思われますか、と静かに問われて、アヤはしばし返答に困る。
「だって……知っていれば、困ることも減ります。知識ひとつで助かることも……大げさに言ってしまえば、危険を回避できることもあると思うんです」そうですね、とレスターは頷いてから――向き直り、自分はこう思います、と、否定の形にならないように気を遣いながら続けた。
「重役達との会談の場では、さまざまな話を交えて進行していくわけですから、確かに知識、教養は問われるのでしょう。ですが、最初からそれを持っている人間などおりません。レスターがそこで一旦言葉を切ると、ざあ、という音と共に柔らかい風が吹いた。
それは中庭の草花を撫でていき、散った無数の花弁がはらはらと緩やかに流され、床へ落ちる。
通路に流れ込んできた風は甘い花の香りを乗せて、二人の髪や服を揺らして去っていく。
その間も、二人はずっと見つめあったままだった。
「うまく言えませんが……知識は、学べば誰でも身についてくるものです。記憶力に長けたものがいたとしても、知識に天賦の才能は関係ありません。レスターの言葉は、納得するところが多くてするりとアヤの心に染みこんでいく。
「何が言いたいかといいますと……わたしは、姫に色々なことを知ってほしいと思います。たとえ身にならないものでも、思い出や経験にはなりましょう」何一つ無駄なことなどありませんよ、と言いながらアヤの様子を伺う。
「ありがとうございます、レスター様……私にあるのは少しの時間だけですが、その間に……たくさんの事を知ることって、出来るでしょうか」少しの、と聞いて、そういえばアヤの護衛として三日の期限を与えられたのだったと気づかされるレスター。
三日経てばアヤはどこかに行ってしまうか、あるいは護衛役が別の騎士に変わるのだろう。
「必ずや今よりも多くのものを、吸収できると思いますよ。帰国されても、リスピアの事を知りたいと思ってくだされば……きっと情報も入るでしょう」しかし、アヤは『帰る』という単語に反応すると、やや低めの声で呟いた。
「それが、私には……帰るところなんて、もう無いんです」これは流石に無視できず、レスターは不審に思って聞き返す。
なぜなら、彼女は一国の王女なのだろう。どこぞの国が滅んだという話はついぞ聞いていない。帰るところがないというのは――変だ。
「さっきルエリア様と一緒にいた時、特別にエリス様も呼んで頂いてご相談したんです。そうしたら、私はもう戻れないってことを教えられました。二人でそう仰るから、間違いはないと思います。変ですよね、とアヤは肩をすくめて微笑んだ。
重い話を相手の負担にならないように話すには、そうするしか浮かばなかったのだ。
アヤが泣いていたのは、帰るところが無くなってしまったというだけではない――とレスターは仮定している。
他に何か、話せないと言っていたこともあった。そこに関係があるのだろう、と。
「でも、たぶん……明後日くらいまでは、ルエリア様とのお約束でこうしていられます」夜襲が起こらなければ、アヤには何かしらの罰が下る。
夜襲があれば、アヤは処罰されることはないのだろうが――……眼の前に居る騎士が、居なくなってしまう。
「では、三日後まではあなたの護衛として、わたしもお側に」必ずお護り致します、とレスターは慇懃丁重に礼をする。
その拍子に、持っていたカンテラが揺れ、レスターの眼は灯りを反射して紅く光る。
「あ、今、眼が――」恐ろしいものでも見た時ように、レスターの表情が険しくなったと思ったのも束の間。
アヤの手を振りほどくようにして離すと、素早く目を覆って背を向けた。
「……レスター様……?」アヤが声をかけても、レスターは返事をしない。
手元で、ゆらゆらと揺れるカンテラが彼の心情を現しているようだった。
「……わたしは、魔族と人間の混血児なんです……」暫しの間を置いて、観念したように出自を明かした。
「暗い場所で光を当てられると魔族はこうして目が光るようになっています。一部では今も忌み嫌われるものです。わたしが魔族だと知って、さぞ恐ろしく感じたでしょう……無理もありません。ルエリアをはじめ、他の兵士たちもレスターの眼の事や出自を当然知っている。
既に今まで幾度も気味悪がられてきたし、その視線にも投げられる言葉にも慣れているのに――レスターはアヤから顔を背けた。
アヤが自分に恐怖を覚える瞬間を見たくなかったのだ。
出来る限りこれを隠していたくて、早いうちからカンテラの光量をわざと大きくしていたのも、そのせいだ。
さぞかし、強い恐怖を感じているのだろう――やり切れない気持ちで、レスターは眼を覆っていたその手を外した。
もう、隠す必要はない。悲鳴も罵りも受けよう。
「……レスター様。私、少し勘違いをしていました」その言葉が、胸を抉るように刺さる。
――ああ、やはり、この方もわたしを恐れるのだろう。レスターの心中に悲しみが広がっていくが、アヤは何でもないことのように自分の思いを伝えた。
「暗い所で目が光るのは知っています。でも、私……レスター様の眼が、勝手に発光するのだと思っていました。ふふ、猫の目と一緒ですね。レスター様の眼は光っているわけじゃない。そう言って、アヤはレスターの眼をしっかり覗き込んでくる。
呆然としたのはレスターのほうだ。
「……え、ええ……あの、赤いのを怖いと、思ったり……?」だとすれば、この目を見て気味悪がった人間に、アヤが怖いと言うものを見せたら卒倒するのではないだろうか。
「姫の知っている『怖いもの』とは、どんな方が居るのですか?」眼球が飛び出るのは確かに嫌だろうが、他はただの特技ではないのだろうか、とレスターは言い淀む。
「……それが怖くて、光る眼は怖くないと仰るのですか?」はっきりこの女性は言い切っている。
――なんて人だ。レスターから表情が消え、アヤをじっと見据えていた。
「あっ……ご気分を害しましたか?! ごめんなさい、そういうつもりじゃなくて……照らす光が多いと、もっと眩しいのかなって思たりしたけど、でも便利だなって……!」しどろもどろに言い繕おうとするのだが、余計おかしな事になってしまっている。
「人を……なんだと……」レスターの肩が震えているので、烈火の如く叱られると思ったアヤは、打ち首メーターがオンになったのだと思って、眼をきゅっと閉じると肩を縮こませる。