【異世界の姫君/14話】

もう夜だというのに、城内は視界を補うに十分な明るさを持っていた。

「お城の中、すごく明るいんですね……」
「はい。ライトを使っていますから。光量の調節も利きます」

レスターは兵士から空のカンテラを受け取ると、アヤに参りましょうと声を掛ける。

説明を受ける前はこの世界に科学的な……発電供給設備があるのかと驚いたアヤなのだが、レスターが魔法の事を説明しつつ指先をカンテラに押し当てて呪文を唱えると、カンテラの中にポウッと光球が浮かぶ。

それをアヤに見せて、これです、と示した。

ライトとは魔法の名前だったようだ。

「結構重宝する魔法ですよ。効果時間も長いので、城内の灯はだいたいこれが使われています」

説明しながらアヤの表情を伺えば、彼女の目元は赤く、若干腫れている事に気づく。

(姫は涙を流されたようだ……なにやら辛いことがお有りだったのか……?)

鈍い鈍いと言われているレスターでも、流石に泣き腫らした目くらい見れば分かる。

そして確かに『辛いこと』があったと、ルエリアはアヤの状況をそうレスターに説明した。

もちそんその原因の一端はルエリアにあるのだが、そんな事までレスターが知るはずもない。

言葉が途切れたせいか、じっと見つめすぎたせいだろうか。

アヤは目でレスターにどうしたのかと訊いている。

ようやくレスターもハッと気づき、申し訳ありませんと詫びの言葉を告げて視線を正面の通路へ向けた。

「……この先は徐々に暗くなっていきますから、少々明るめに灯しておきましょう」
「もう、点けるんですか?」

まだ明るいし、暗くなってきてからでも大丈夫なのではないかとアヤは言うが、レスターの表情は逆に明るくない。

暗いと手元が見えづらいでしょう、と理由を説明するが、多くを語りたがらない。

そしてアヤはレスターのそうした理由を本文の記述――暗記していた特徴だが――を思い出し、頷いただけに留めておいた。

段差があるので足元にお気をつけ下さいと言いながら、レスターは片手をアヤへ伸ばす。

しかし、これもまた鈍いアヤは差し出された手のひらを覗き込み、動こうとしない。

レスターの掌には当然何も載せられていないのだが。

「姫……お手をどうぞ」

危ないからと手を差し出したはずなのに、アヤはいつまでも手を取らずに眺めているので、レスターは意図を伝えた。

すると、やはり分かっていなかった姫君は小さく声を上げて何度も頷く。

「それじゃあ、し、失礼します……」

差し出された手の上へ、おずおずとためらいがちに指先を置いた。

それを軽く握ってゆっくり引き寄せる。騎士の手はアヤのそれよりも大きく、少しゴツゴツしていて厚みもある。

「……レスター様の手は、温かいですね」

彼は今こうして生きている、という当たり前のことを実感し、つい数十分前のことを思い出す。

突然温かいとしみじみ言われたレスターは、その意味を深く理解することができず、訝しむような、当惑するような……なんとも妙な表情を浮かべる。

「姫の手が、少し冷えておられるのでしょう。このように細い指ですから……」

レスターはそう言いながら、己の手に添えられるように置かれたアヤの指先に目を落とす。

細く長い指先。爪は綺麗に整えられており、自分の手と違って柔らかくて滑らかだ。

握るために添えた親指は無意識のうちに、アヤの指先から爪の上をゆっくり滑る。

「えっ……?!」

突然の事に驚いたアヤ。指に一瞬力が込められたため、レスターも我に返って素早く顔を上げる。

「し、失礼致しました!! つい、指先が綺麗だと……自分とやはり違うものでしたので、決して良からぬ気を抱いたわけではありません……!」
「だ、大丈夫です。私こそ、ずっと見られて恥ずかしくなっちゃったから……」

双方は顔を赤らめながら誤解をして欲しくないと弁解しているが、この見ていて恥ずかしいやり取りを間近で見せつけられた見張りの兵たちは限界とばかりにわざと数回咳払いをする。

「レスター様、お早くそちらを降りていただかないと、どなたかが呼ばれた場合通れませんので……」

夜も遅い。余程のことがない限りルエリアも誰も呼ばないが、そうでも言わなければ後数分、兵士たちはこのイライラするほど羨ましい状況を傍観しなければならなかったのだ。

レスターは指摘され、ようやく真面目な顔をして『そうだな』と言い、無事に段差を降りたアヤの手を離す。

「あっ……」

その行動が意外そうなアヤの声に、思わず動きが止まる。

言ったアヤ本人でさえ戸惑い、その手を胸元へ押し付けるように引っ込めた。

「ずっと、握ってくださるのかと思っていたので……」
「……そ、そのほうが良かったのでしょうか?」

声を上ずらせてアヤに聞いてしまうレスター。

期待してそう聞いたのではなく、実際残念なくらい女の扱いを知らぬだけなのである。

アヤはアヤで、聞かれたのならきちんと答えなくてはいけない、と思い……俯き加減のまま、よく見ていないと見逃してしまうほど――小さく頷いた。

もう一度その手を取り、レスターとアヤはその場を去っていく。

見たくなくとも見送るハメになった兵士達の表情は般若の如き面に変貌し、もうイライラも最高潮だと判る。

手を握って連れ立ったレスターが後ろを振り返らなかったのは、懸命な判断だったようだ。

通路の向こうからすれ違う人々は、そんな二人の事など興味が無い――というような素知らぬ顔をしつつも、すれ違いざまチラチラと見ていく。

レスターもアヤも、その視線は心苦しかった。

双方とも、自分と相手がどう見ても不釣り合いであることは承知だからだ。

それがアヤにとっては美形と映る騎士レスターで、レスターやこの国の人々にとっては世界に二人と居ないであろう美しさを誇る、異国の姫と称されるアヤ。

二人共『自分では釣り合わない相手と、手を握って歩いてもらっている』という認識だ。

「レスター様は……当然恥ずかしいですよね……ごめんなさい。わがままを言ってしまって」
「姫が良いと仰るのであれば、わたしに気遣いは無用です」

きっと、姫は深く傷ついているのだからこれくらい――と、まだそう信じて疑わないレスター。

アヤも、レスターとルエリアの密談内容は知らないので、彼がどう思ってこうしているのかまでは掴めない。

先程から何も言わないのは、この状況が恥ずかしいからだと思っている。

月の離宮に向かう通路で、床に反響する足音を聞きながらも、二人は黙したまま歩く。

城内よりも、設置数が極端に少なくなったライト。

確かにレスターがカンテラを持っていなければ、この先は見えづらかっただろう。

揺れる灯に照らされる銀色の髪を見つめていると、申し訳ない気持ちばかりがアヤの胸に湧き上がる。

こうして彼は生きているのに、戦いは起こらないほうがいいと思っているのに、先ほどのルエリアの言葉が離れない。

『レスターをどうしたい?』

どうしたいと聞かれてもわからない。

ただ、死んでほしくない。

その思いだけが、彼に対する自分の気持ちなのか?

一番気に入っているという評価は、結局最期を美しく飾ったからか――?

正しい答えなどない。だが、間違っているばかりでもない。

何も分からず、悲しくて、いたたまれなくて、目の前のレスターが急にどこかへ行ってしまいそうで――引きとめようとアヤは手に力を込めた。

「……姫?」

握る力が強くなったので、レスターはアヤが何か(つまづ)いたのかと思ったため立ち止まり、カンテラをアヤの足元へ向ける。

しかし、裾を踏んだわけでもないようだ。そして、彼女の表情に悲しみが浮かぶさまを見てしまい、緊張で息の詰まる思いがした。

「私、さっき……ルエリア様に失礼なことをしてしまいました……」

アヤは独り言のようにぽつりと漏らす。

「わたしも、常々陛下の期待に応えられぬばかりです」

レスターなりに慰めようとしているのだろう。それが分かって、アヤはそうではないと否定の意で首を振る。

「私はリスピアの事をただ『知っていた』だけ。それなのに、この国のだいたいを知っているような気に……なっていたんです。ここに来たことも……どこか観光気分が入っていたんです」

でも、本当は何も知らない――アヤはそう言ってレスターを見上げる。


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