女神エリスを交えての密談が行われた後、ルエリアは母神と別れ、沈痛な表情を浮かべたままのアヤと共に神殿を去っていく。
通路を歩きながら、ルエリアは押し黙ったままのアヤを一瞥した。
「アヤ、いつまでもそんな情けない顔をするものではない。この場所から出れば、もう宮殿に繋がるのだぞ」返事があったものの、まだ人生経験も少ないアヤにとって、先程の言葉は想像以上の効果があったようだ。
「おまえは繊細だな……というよりも、クヨクヨしすぎだ。言ってしまったことや過ぎてしまったことは悩んでも致し方あるまい。どうせ悩むなら、先のことを考えろ。そうして歴戦の猛者や、根性の悪い奴らにつけ込まれぬため、この女王ルエリアは生きてきたのだろうか。
辛い時にもそれを出してはいけないなんて、純情路線のアイドルのようだ……と、テレビの前で明るく振る舞う人気アイドルたちの顔を思い浮かべるアヤ。
しかし、アヤはそういったアイドルでもなく、本当の姫でもない。
「望まぬ立場を与えたと思うが、暫くは異国の姫君だ。嫌がろうとも、おまえの美貌は人を引き寄せるのだよ。ルエリアはまるでアヤの心を読んでいるかのように諭すので、アヤは僅かに唇を噛んだ。
――リネット。アヤの事を、親身に面倒みてくれるメイドの少女。
あの可愛らしい顔を、いらない事で不安に曇らせたくはなかった。
「そうですね……リネットには迷惑をかけてばかりですから」余に一番迷惑をかけているだろう、とルエリアは呆れた顔で言うのだが、別段腹を立てているわけではないようだ。
謁見の間と神殿を隔てている白い扉にルエリアは自分の掌をかざし、開く。
薄暗い通路に宮殿内の灯が伸びるように入ってきたため、光量は大したことがないのに眩しい。
「一日は長いようで短いものだ……今日はもう休め。明日も少し付き合って貰う必要があるからな」そうしてルエリアは玉座に近づくと肘掛けに手を置き、座る前に思い出したように言った。
「そうか、下がれと言っても、一人ではいかんな……」誰かおらぬか、と、ルエリアは扉へ向かって声を張り上げる。
言い終わるか終わらないかというタイミングで扉が開かれた。
扉を両手で押し開いたのは、なんとレスターである。
失礼致しますと礼を取って室内に入ってくると、二人がいる壇の前で跪く。
「陛下。このレスターが」軽い冗談のつもりでルエリアは茶化してやったのだが、何故かレスターは困惑し、隠そうとしてか恥ずかしいのか、視線をルエリアから逸らして彷徨わせた。
「……何故お分かりに」バカと言われたレスターは、ぐぅの音も出ないまま眉根を寄せて下を向いた。
「ここに入ってからアヤは余と一緒にいたのだから、安全だというのくらい分かっておろう。心配して食事が喉を通らなかったわけでもあるまい?」そう尋ねられても、レスターは喉の奥で声にならぬ音を短く発し、言葉を飲み込む。
「……もう良い。アヤ、部屋に戻って食事を二人分作ってもらうよう、リネットから厨房へ伝えてもらえ」急に話を振られたアヤは、声を上ずらせつつ返事をした数秒後、ハッと気づく。
「ふ、二人分……ですか?」面倒くさそうに手の甲をひらつかせ、出て行けという仕草をとるルエリア。
「いや……待て、レスター。話がある」去りゆく二人の背を玉座から見ていたルエリアは、人差し指をクイクイと曲げて、彼だけを呼ぶ。
壇上にまで来させ、緊張しているレスターに『耳を貸せ』と小声で命令した。
「……? 失礼致します」言うとおりにルエリアへ耳を近づければ、アヤから唇の動きが見えぬよう、手で自分の口元を覆った女王陛下は、こう告げた。
「アヤにとって大変辛い出来事があった。健気にそれを出さぬよう振舞っているから、おまえがしっかり元気づけてやれ」思わず詳細を問おうとしたレスターを睨みつけると、強い口調で『行け』と命じ、ルエリアは彼の身体を押しやる。ルエリアとアヤを交互に見比べた後レスターは何があったのか聞きたがったが、そのタイミングでルエリアに『ここでモタモタするな』と叱られたので、事情を飲み込めぬまま、アヤを伴って謁見の間を後にするしか無かった。
扉が重たい音を立てて閉じられると、ルエリアは髪をかき上げた。
「……世話の焼ける事だ……」そう零しているが、ルエリアの表情はちょっと――いや、割と楽しそうであった。
しかし、その表情もすぐに消え、先ほどの神殿でのやりとりに思いを馳せていた。
黒髪の人物。歴史書。そして……運命への挑戦。
「つくづく……リスピアは厄介事と縁があるようだな」