【異世界の姫君/11話】

ルエリアの先導の元、いくつも分かれ道が存在する細い通路を通り抜けて、アヤはようやく広い室内に出たが――そこは部屋ではなく神殿だった。

静謐せいひつな場所には清浄なる空気が流れ、穢れの無い白い壁は奥へと続く。

立ち並ぶ白い円柱には細かくルーンのような不思議な文字が施してある。

神殿内の台座には綺麗に磨かれた小さな鏡と、大きな楕円形の月長石(ムーンストーン)が並べてある。

「そこで待て。月の女神エリスを呼ぶ」

ルエリアはアヤを手で制すると、その場に留まらせて鏡と月長石の前へ立つ。

神殿の天窓から入り込む満月の光が鏡に当たるよう、その位置を調節していた。

「え……エリス様を呼ぶことができてしまうんですか!?」
「いつでも、というわけでもない。満月の日限定だが……なんだ、それほど驚かなくてもいいだろうに。
女神といえど母親でもあるし、エリスにとって余は大事な子でもあるはずだ」

鏡の反射光が月長石にも照らされるように微調整しながらルエリアは言う。

そしてアヤも、自分の母親のことを思った。

大騒ぎになっていなければいいけれど、もう会えないかもしれないとも考えると、胸に悲しさと寂しさがこみ上げる。

そんなアヤの心中を気づいているのかいないのか、ルエリアは台座の前に(かしず)き、胸前で手を組んで祈るような恰好をした。

(エリス様……まさか、そんなすごい女神様を拝見できるなんて……)

場所が場所であるし、形式も大事なのだろう。後方に控えていたアヤも、自分からルエリアと同じ姿勢をとる。

「――偉大なる月の女神エリスよ。汝を母に持つルエリアが言葉聞き願い給え。
その智慧、その御力、その御姿。我が前に慈悲とともに現れることを願わん」

ルエリアが呪文のような宣言を唱え始めた。

唱え終わってしばらくすると、月の光を受ける月長石がぼうっと光り――輝きはだんだん強くなっていく。

ルエリアは依然として前を向いたままだから、後ろのアヤからは彼女が目を開けているのか、どんな表情なのかもわからない。

しかしとうとう、アヤには目も開けていられないほどのまばゆい輝きが、神殿を満たす!

「こんばんは、ルエリア」

澄んでいて耳に心地よい声。どちらかというと身内に話すような言い方ではなく、事務的な冷たさにも聞こえた。

淡い光を全身に纏っているせいで、銀なのか白なのかよく見分けのつかぬ髪の色。

しかし、緩やかにウェーブがかった太腿まである長い髪は、ルエリアのそれとよく似ている。

白蝶貝のような石を中央にあしらった金のサークレット。

光の当たる角度によって色が変わり、虹色の光沢を見せる。

まっすぐに二人を見つめる深い蒼の瞳は静かな色を湛えているが、感情も深く隠されているようだった。

この神秘的な女性が、女神エリス。

彫像や絵画ではない、本物の神様を見てしまったアヤは、言葉も瞬きも忘れて食い入るように見つめたまま。

ちょっとした感動と感激に陥っているのだが、傍の高貴な方々には、そんな心境はわからないだろう。

「あなたのほうからわたくしをお呼びするのは珍しい事ですね。今度はどうされましたか?」

ルエリアはエリスの返事にああ、と答えて、ぼぅっとしている(ように端からは見える)アヤを横目で見た。

「母よ、あなたはそこにいる異世界の娘を、この世界に送ったのか?」

エリスはゆっくりとアヤのほうへ視線を移動させ、彼女の顔をじっと見つめる。

「いいえ、わたくしは何もしておりません」

エリスの唇から紡がれる言葉は、予期せぬものだった。

ルエリアの目がきつく細められ、アヤは事が重大な方向に進んでいるのをようやく理解する。

「何も……? では、なぜ異世界の娘がやってきた?」
「本日、異世界の扉が一瞬開いてしまった……というのは知っています。
だいいち、異世界の扉を開くことができるのはわたくしの他は太陽神、そして――我らが主たる創造神……ですが、神力の解放は感じられませんでした。
扉の開放など、大変な魔力の流れと時空の歪みを生じさせます。一瞬といえど創造神でさえ……神々の何者かにも気取られずにできることではないはず」

エリスはそこで言葉を切り、考えを整理するかのように眼を閉じる。

ルエリアもアヤも、黙ってエリスの言葉の続きを待った。エリスはゆっくり双眸を開いた。

「一番有力であるのが……異世界からの強い強い願望を、形のない意識の集合が受け取ってしまい『呼ぶに整った場』を生んだのでしょう」

それがあなたを引っ張ったのではないか……と説明され、ルエリアは余もそう思っていると頷くが、アヤには何の事かさっぱり解らない。

知識と理解が乏しくて申し訳ないので説明してほしいと、恥を忍んでルエリアに尋ねてみた。

「そうだな……。瞬間移動……いや、召喚、か。まず、瞬間移動の原理はわかるか?」

ルエリアが逆に質問すると、アヤはなんとなくわかります、と答える。

「それなら説明は省くか。つまり端的に言えば……おまえ自身がいた位置と、こちらの世界の魔力の塊、あるいは物質の場が入れ替わった。持っていた本が世界を繋ぐ媒体を果たしたのだろう」

ルエリアが言う、なにやら科学めいたような事はわかる。

だが、ゲームの世界のような単語が次々に出てくる。召喚といわれてなんとなく理解したものの、原理は分からない。理屈ではないのに、理論はあるのだ。

ルエリアは大人しく聞いているアヤが、話を理解しているのだと思って続きを話す。

「だが、媒体だけでは呼べぬ。
魔法には発動するに至り、正確な呪文詠唱が必要だ。モノによっては魔法陣などの準備もな。
瞬時に己の力だけで異界を開けるものはない……神の創造宝具(クリーチャー)があっても、まあ無理だろう……と思うのだが、そうするとおまえがやってきた事の説明がつかない」

また変な単語が出てきた。

クリーチャーと言われると、アヤの脳内にはモンスターじみた怪物しか出てこない。

エリスは微動だにせずルエリアを見つめたまま彼女の説明を聞いていた。

何も言わないという事は、どうやら訂正や補足する事はないらしい。

申し訳ない事に、アヤには次元が違いすぎてそろそろわからなくなってきている。

今更ながらファンタジー小説を読みはじめる時期や、他のジャンルもたくさん読んでおけばよかったと悔やみはじめた。そうしたところで、この状況が覆るものでもないようだが。

「つまり、その……?」

困り顔のアヤを見かねたのか、エリスが口を挟む。

「この世界にも、魔力の溜る場所というものがあります。その溜った力は時として、何者かの精神と呼応し、一瞬であろうと神をも凌ぐ力となるような爆発力を有することがあるのです。
それらは聖域などと称して我々や代行者が監視していますが、まだ見つかっていない場所もいくつか。
……アヤ、といいましたか。あなたはそういった場所のひとつと繋がったのでしょう」
「アヤは空から降ってきたぞ」

エリスは少し驚いたのか、まぁ、と小さい声を漏らす。

「……そうなのですか。空に魔力が溜ることも、きっとありましょう。怪我をせず無事で良かった」

そうして微笑んだエリスの顔。

それは先程『感情が見えない』と表わした事を否定せざるをえないほど、慈しみ深い表情だった。

とても母性的な表情に見惚れていたが、アヤもハッと気付いて、本のことを切り出す。


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