【異世界の姫君/7話】

アヤの護衛に選ばれたのは、【白銀の騎士 レスター・ルガーテ】

その二つ名の通り、輝く白銀の鎧。

そんな彼は女王より直々に――『臨時の』とはいえ、アヤの護衛に任命されている。

謁見の間を出てすぐ、アヤはリネットの姿を探す。

ここに入って出るまで、どれ位の時間が経ったのかも感覚がない。

何せ緊張していたし、しかもレスターがやって来てからというもの、ルエリアが言った通り『舞い上がって』しまっていたのだろう。

手の甲にキスされたことと、彼が三日間の護衛に任命されたという程度しか良く覚えていない。

レスターは注意深く広い通路や周囲、高い天井を見渡し、安全を確認した後に振り返る。

「姫はどちらに滞在されておりますか?」
「はっ、はい!? ええと、リスピア王国です、ね?」

反射的に答えると、レスターが不可解だと言わんばかりの顔をする。

その表情にぎくりとしたアヤは、己の失態に気づいてアワアワと身動ぎしつつ、離宮だと答えた。

「水の離宮と月の離宮、どちらのほうでしょうか」

答えれば分かるかと思いきや、この宮殿の離宮は一つだけではないようだ。また次の質問をされてしまった。

「えっ……ど、どっちでしょう?」
「わたしに訊かれましても……陛下の離宮の場所は存じておりますが、全くと言っていいほど行くような事がございませんので、どう答えて良いか……」

レスターも、両方の場所を知っていても周りにどんなものがあるか、どういう場所か、などがすらすら出るほど詳しくは知らないらしい。

アヤに再び背を向け、両手を軽く掲げた。

「では、謁見の間へはどちらの通路から歩いてこられたのです?」

彼の挙げた腕は、嘆きのためではないようだ。それぞれの腕が、通路の方向を示している。

「右……いえ、左だった、かな? ごめんなさい、リネット、さん……がご一緒だったので、お任せっきりのままよく覚えていなくて……」

自分は歩き姿を綺麗に見せるという事に集中していたので、周りの景色や様子などの一切合切を気にかける余裕は無かった。 申し訳なさそうに肩を落としたアヤに、レスターは今度こそ手をこまねいて困ったような表情を浮かべる。

「わ、私、ルエリア様にもう一度尋ねてみます!」
「なっ、なりません! ここは勝手に入れるような場所では無いのです!」

許可もなく開けてはガルデル様に今度こそ叱られますと、把手を掴んだアヤの腕を慌てて握り、すんでのところで阻止したレスター。

そのまま力を込めて、把手から彼女の指を引き剥がす。

「姫君の居られた城とは違うのです。どうか此方の作法を理解されて――」
「……レスター様、あの、痛いです」

離してください、と。

アヤのか細い声が、懇願する。

咄嗟のことだったので振りほどかれぬよう、腕をしっかりと握っていたのだ。

「ああっ……、これはなんという無礼を!」

パッと手を離し、面目無いといった様子で頭を下げるレスター。跪いて謝罪しかねない。

「い、いいですから……そんな事。私こそごめんなさい。気をつけます」

腕を握っていた力はとても強くて、確かに痛かったのだが。

元はといえば自分の迂闊さが招いたことだからと説明し、レスターになるべく恥をかかせまいとした。

それでも、心苦しそうな顔で彼は再び謝罪すると、また左右の通路を見比べる。

「分からないのであれば、両方行ってみるしかないのですが……」

両方とも真逆なので、違った場合往復すれば結構遠いですよとも伝える。

「歩くのは慣れてますし……あっ……」

慣れているとはいえ、借り物のドレスとヒールだという事に思い至る。

ドレスは裾を踏みつけて痛めさえしなければいいのだろうが、問題は靴だ。

慣れないヒールで長時間歩けば、足も痛くなるだろう。

「わたしが姫を抱き上げて歩きましょう。さすれば足も痛みません」
「そっ、そんなの……恥ずかしいです」

レスターに重いと思われても嫌だが、恐らく無言で抱き上げられる自分を想像してしまい、アヤの頬もかぁっと紅潮する。

「…………」

恥ずかしいと言われたレスターは、所在なげに視線を彷徨わせている。

激しく気まずい。

そこへ、右の通路からパタパタと軽快な足音が近づいてくる。

目を向ければ、枯茶の髪と濃いダークグリーンの制服が揺れていた。

リネットだ。

「……あっ! アヤ様! 申し訳ありませんでしたっ!
メイド長様にちょっと事情をお伝えしに行っておりまし――きゃっ!?」

息を弾ませて近くまでやってきたリネットに、アヤも駆け寄って勢い良く抱きついた。

何事かとレスターを見つめ、そしてアヤの様子を伺う。

小さな子供のように心細そうな表情を浮かべ、リネットを見つめている。

そんなアヤを姉のように優しく見つめるリネット。

「広間で緊張されたのですね。さぞお疲れでしょう……さあ、お部屋にご案内いたします」

レスター様はもう職務にお戻りください、と笑顔で一礼したが、彼が『実は』と経緯を語る。

「……まぁ! レスター様が護衛に? それは安心です」

リネットは喜んでくれているようだが、離宮の場所が分からないということに関しては唇を尖らせた。

「アヤ様は兎も角としまして、レスター様がお分かりにならないなんて。
ちゃんと把握しておかないと、また怒られてしまいますよ」
「違っ……、場所は存じています。しかし、姫がどちらにご滞在かまでは……」

月の離宮ですよ、とリネットは即答し、アヤの手を握って戻りましょうと促した。

「中庭……わたしとアヤ様が最初にお会いした場所です。
そこから白い廊下を左に渡って……この本殿に入る事が出来ます」

月の離宮に行くには中庭から右、列柱が並ぶ通路を通るようだ。

そう言われてみれば、立ち並ぶ柱が多かった気が、とアヤは思い至る。

しかし、レスターはレスターで『そういう説明もありましたね』と、己の機転の利かなさを恥じているようだ。 そうして心強いリネットと、後方からレスターが付いて来る状態で、アヤは離宮へと戻ってきた。

「今すぐお茶を淹れますね? あ、レスター様もどうですか?」
「わたしは結構です。職務中ですから」
「職務でもお茶をご一緒される騎士様も居らっしゃいますよ」

レスターにはやんわり断られたが、リネットは茶棚を開き、カップをひとつ取り出すと――茶箱が入っていないのに気づいて、すぐに取ってきますと言い残して部屋を出ていった。

再び二人だけになってしまった。

先程の件もあり、レスターは自分のことをよく分からない変わった女だと思っているに違いない。

そっとレスターのほうを伺えば、騎士もまたアヤの方を見つめていた。

目が合うと、アヤはすぐに視線を逸らして、何かないのかと会話の糸口を考えた。

だが、出会ってからそう時間も経っていないし、その間もあまり――好感触となるようなモノがない。

リネットが早く戻って来てくれればいいのに、と彼女の存在をあてにしつつ、座り心地が非常に良い猫足の椅子に腰掛け、戸口ではなく窓の外を見つめていた。

何故かといえば、レスターが戸口に立っているため、そちらの方を向くのに心の準備が必要だからだ。

(違うの、これはファン心理であって恋じゃないの。落ち着いて、レスターが気味悪がっちゃうじゃない)

そうして自分を励まし、これから数日もいるのだから少しでも好印象を! と思っているのだが、先ほどの失態が尾を引いてしまい、うまく言葉が出てこない。

レスターからしてみれば、嫌われているのではないかと思えるほどアヤは何も言わないし、こちらを見ない。

こちらを向いたかと思えばだんだん目つきが細められて睨まれているようにすら感じてしまう。

(もしや、姫君は男嫌いなのだろうか……)

そう思ったのには、リネットとの態度の差である。

いくら女性同士だとしても、あれほどぴったりくっついていなくても良いのではないだろうか。

きっと、リネットが来るのを今か今かと待っているのだろう、とレスターなりに予測する。

予想は間違っていないのだが、過程が違っている。

しかし、それを今指摘してやる人物も、面白く観察する人物も居ない。

レスターも、アヤも重たい空気に困っている。

時間が経てば経つほどに、この雰囲気で話しかけるのは躊躇われた。

『あの』

レスターもアヤも示しあわせることなく意を決し、同時に言葉を発した。

『なんでしょう?』

そして、その次も。

「……姫からどうぞ」
「いえ、レスター……様から、どうぞ」

お互い譲り合う。

数回譲り合った結果、レスターがそれでは、と無駄に咳払いした。

「もし、わたし……がお気に召さなければご遠慮なく仰ってください。
護衛を変更する事も、可能かもしれません」

わたしの事が不快ならば特にです、と済まなそうな顔で言うレスターを見たとき、アヤの心がぎしりと痛んだ。 レスターは自分が悪いものだと思ってしまって気を遣っている。

慌ててアヤは首を横に振り、椅子から立ち上がるとレスターの側へ数歩近づく。

まだ、レスターを真っ直ぐ見つめるには恥ずかしさが残ったが、その態度が彼を傷つけていた。

だから、誤解を解くときはきちんとした真面目な態度で接さなければ、これから先も誤解され続けるだろう。

アヤは自分の両手の指同士を絡めてぎゅっと握り、口を開いた。

「違うんです、私がきちんとしていないからです。だから、その……さっきだって、今だって。
レスター様は悪くないんです。私が、落ち着きなくて勝手に……浮かれているというか……」
「浮かれて……?」

言葉の意味が良くわからず問い掛けるレスターに、アヤは熱を帯びる顔を見られたくなくて、俯き……それでは駄目だと自分を叱咤して顔を上げた。

「私、あなたを一方的に気に入っていましたので、実際にお会いできて嬉しいと……はい、ルエリア様が仰ったのはだいたい当たっています。だからどうしていいか、分からなくて……落ち着かなくて」

初めて出会った異国の姫の唇から、告白にも似た言葉が飛び出してきて―― 一時的にレスターの思考を奪う。

なぜ自分を知っているのかという事もだが、よりによってこのように美しい娘が、平凡な部類の自分を気に入ってくれているのか。

「な、ぜ、わたしを……存じておられるのですか?」

――恥ずかしい。

言った後でレスターは強く己を恥じる。

自分は浅ましく、姫の言葉に何かを期待しているのではないか。

レスターの心にあるのは不安か、困惑か。

そして、婦人を羞恥させている己も情けないと戒めながらも、是非姫の口から聞きたいと思ってしまった。

「……ごめんなさい。私が何故一方的に知っているかなどは、詳しくお話できません……」

ルエリア様とのお約束なので、と告げられたレスターは、ほっとしたような残念なような、複雑な気持ちで頷いた。

「ならばお聞き致しますまい。お忘れください」

残念ですがと小さく笑顔を作り、レスターは話を打ち切る。

だがそれで少しばかりこの不可解な現状に至った想像が出来た。

アヤは何らかの出来事……実際に見たのか、人づてなのか、書物か。

そういった手段で自分に関しての情報を知り、興味を持ったのだろう、と。

何か印象深く残っているのなら……もしかすると、自分の出生か、あるいは全く違う人物ではないだろうか。

「姫、もしも……わたしの事が良いようにお耳に届いておいででしたら……ひょっとすると、それはわたしの事ではないのかもしれません」
「え……?」

思わぬ言葉に、アヤは聞き返していた。

「確かに騎士にとって御心を寄せていただくのはとても名誉な事ですが、恥ずかしながら、語れるほどの武勇もございません」

丁寧に説明してくれたが、そうしてレスターが伝えるのも致し方がない。

実際、書物の中でレスターはあの場所以外特にコレといって目立った出番はない。

レティシスを牢獄に連れて行ったり、日常の一コマでも『ダメだな』と呆れ顔で同僚に言われていたくらいだ。

「気分を害させてしまいましたね……御免なさい。なんだか、私たちお話ししてもお互い謝ってばかりですね」

なかなかうまく会話ができない。

自分は本当、ダメだなと気が滅入る。

「違うとは口で言いましたが……本当のことを言えば、このレスター・ルガーテという名を知ってくださっていたのは、とても嬉しかったですよ」

そうして彼はゆっくりと瞬きしてから、ありがとうございますと感謝の意を述べた。


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