【異世界の姫君/4話】

メイドの少女、名をリネットという。

やはりその名を聞いても、アヤに思い当たるフシはない。

知らぬのも当然である。物語に出ていないものは全て知るはずもないのだから。

リネットの歳は15、身長は160センチに満たないほどの小柄な少女だ。あと一年で成人らしい。

この王宮に仕えたのが2年前で、戦災孤児となっていた幼い彼女を魔術師アニスが引き取り育て、王宮で働けるようにしてくれたらしい。

彼女の身の上話を聞いているアヤも、魔術師アニスの名前は知っている。『黎明の神格魔術師』という異名を持ち、困っている人々に優しく道を示すのだという。

アニスの助けを得た人々は口を揃えて、『暗闇から道が開けた。黎明の名にふさわしい』と感謝の意を表している。

「私もお名前だけは存じてます。有名な方……ですから」

アヤは長い黒髪をブラシでゆっくり梳かれながら、リネットにそう答えた。

しかし本当に名前『だけ』しか書物には登場していないので、アニスが女性か男性かも知らない。

それでも、鏡に映るリネットは嬉しそうに頷いて、育ての親同然のアニスへ大層な恩義を感じつつも、誇りに思っているようだ。

「はい。アニス様のおかげで、わたしはこうして宮仕えすることができます。とても素晴らしいお方なのです」

髪を結ってもらっているので頷く代わりに、アヤは微笑むかたちで返事をする。

「いつかアニス様とお会いできるといいんですけど……どんな方かなぁ」

リネットも、会う機会があればわたしも是非お声をお掛けしますと微笑んでくれた。

アヤはリネットが選んでくれた漆黒のドレス――いわゆる『お姫様ドレス』というものに身を包んだ。

黒い髪は結い上げられて、頭上にはダイヤなのか別の宝石なのかは不明だが、それらが散りばめられた、きらきらと光を受けて輝く美しいティアラまでつけられている。

ドレスの上半身は肩から胸元、腕にかけてきちんと覆われているが、鎖骨部分は開いている。

女性を綺麗に見せるデコルテラインを意識しているのだろうが、まだ年若いアヤには鎖骨周辺の肉付きは厚くなく、そういった成熟後の女性が醸し出す魅力というものにまだ遠いようだ。

瑞々しく滑らかな肌程度しか強調できていない。

腰付近から布を縫い縮め、ウェストをすっきりさせた後ギャザーでふわりと踝まで広がるスカート。

まさかと身構えていたコルセットは、この世界ではあまり必要ないもののようだ。中世の話などで婦人にとって相当痛いものだと記されていたので、しないで良いと分かったアヤは安心する。

首には小さな真珠を数連にしたネックレス。耳には、ネックレスに使うものより一回りほど玉の大きい真珠のイヤリングがついている。

どうぞ、と鏡の前に連れてこられたアヤは、随分変わってしまった己の姿に恥ずかしくも、嬉しい気持ちで右を向いたり左を向いたりと角度を変えて見回していた。

「凄い……このドレスはやはり、ルエリア様のものですか?」
「はい、離宮は普段お使いになられておりませんが、こちらも実質陛下のお部屋です」

アヤの着ていたロングパジャマは洗濯してくれる事になった。

自分でやると言ったのだが、リネットが『いけません!』と頑として聞き入れないので、アヤが折れて、リネットにお願いした。

この離れやドレスが、ルエリアの物である事に関しては想像通りだった。

室内もドレスも装飾が豪華であったし、ドレスに至っては……アヤも胸は小さくないが、胸元をきっちりと埋めるには届かないため、胸部に詰め物をしたのだ。

(ルエリア様……胸、大きかったもんね……)

エルティア戦記でのルエリアに関しては、美しいだとか威厳があるとか、そういった大体の容姿と簡単なことしか書いていなかった。

現実で見ると肌はシミひとつなく、目の表情は穏やかになったり強くなったり……

なんといっても、スタイルは非常に良かった。

いわゆる『ボン・キュッ・ボン』の通り、大きく豊かで垂れていない胸。

引き締まっていて、それでいて筋肉質ではないウェスト回り。プリッとして柔らかそうなお尻。まさに理想的な体を持っている。

文中の『すらりとした体つき』だけでは胸の大きさはわからないものだ。

せめて『豊かな胸』というような一文も入れてほしい――そこまで考えて、アヤはハッとする。随分失礼な分析をしていたようだ。

何故かみるみるうちに顔を赤らめたアヤに、怪訝そうな表情を浮かべるリネット。

「では、口紅をつけさせて頂きますので、どうぞこのまま、鏡のほうをお向きください」

促されるまま、鏡の中の自分を見つめるアヤ。

鏡に映るめかし込んだ自分は、全く別の人物のようにも見える。

口紅も黒だったらどうしようと思っていたのだが、杞憂に終わる。

桃色の練り紅のようなものをすぅっと塗られて、仕立てた本人であるリネットが、うん、と大きく自信満々に頷くと、アヤに良くお似合いですと賞賛も送る。

なんだか気恥ずかしくて、顎を引いた。

「ありがとう、リネットさん。あなたの腕、凄いです」
「えっ!? リ、リネットで構いません! リネットさん、なんて恐れ多い!」

一歩後ろへ下がり、驚きながらも否定するメイドの少女リネット。

ルエリアから詳しい説明も受けていないようだったし、どうやらアヤを異世界の人間で、身分的にも平民だとは思っていないようだ。

「あの、勘違いされてると思うんですけど……私……」

一般庶民なので、リネットさんと同じです――そう喉まで出かけ、ルエリアに出自を口止めされていたことを思い出す。

「……アヤ様?」
「ええっと……全然恐れ多くないです、から……普通に」
「なりません、アヤ様は重要な客人なのだと先ほどお伺いしております。
ですから、わたしには非常に恐れ多いお方です。……さ、陛下がお待ちです。参りましょう」

何の説明も出来ないのであれば、当然こうなる。

仕方ないと諦めて立ち上がったアヤの動きに合わせてリネットは椅子を引くと、ご案内しますとドアを開いてアヤが通るのを待つ。

アヤは『自分だったら同年代の子に普通にして、などと言われれば、その言葉に甘えてしまうところなのに』と思い、やはり自分は何から何まで甘いのかもしれない……という反省も胸に湧く。

先ほどもそうだが、やはり自分には厳しさが足りないような気がする。

実際目上や客にも敬語は普通に使うのだから、それを思えば不思議なこともないだろう。

しかしアヤは、自分より年下のリネットを、ただただ尊敬のまなざしで見るばかりだった。

「これからどちらに?」

裾を踏みつけないよう気をつけながら廊下を歩きつつ、アヤはリネットに訊いた。

すると、リネットは聞いていなかったのか、というように驚いた後で平然と

「謁見の間です。陛下に、お召変えを手伝い、アヤ様をお連れするよう命じられました」

と答える。そういえば中庭で、ルエリアはそんなことを言っていた。

「……謁見の間、確か沢山偉い方々も一緒に居らっしゃるんですよね?」
「はい。大臣様も多勢……」
「ごめんなさい、私体の調子が悪くなってきたので帰ります」
「お気持ちは分かりますけど! ちょっと堪えてくださるだけで大丈夫です!」

それにアヤ様は異国の姫君とお伺いしました。外交だと思って接していただければ、と言われる始末だが。

ルエリアが立ち去る間際そう耳打ちしたらしく、アヤの方からこれは嘘ですとは言えない状況になっている。

緊張して、頭がくらくらする。

(ど、どうしよう……。演劇でもお姫様なんて演じたこと……)

しかも演劇部だったのは中学校の頃。観客の視線に晒され、言うべき台詞を忘れたという苦い思い出が蘇ってくる。

謁見の間に連れて来られる前に、数人の兵や内働きの女性とすれ違う。

その度に小さく会釈をして通りすぎるのだが、皆が皆リネットの後ろにいるアヤを暫し呆然と見送る。

その視線が意味しているのは『黒』だからきわめて珍しいものであろうとアヤも理解したが、それにしても恥ずかしい。 なのに、前を歩くリネットは胸を張らんばかりにずんずんと進む。

「リネットさん」

そう呼ぶと、リネットです、と振り返らずに返事がくる。どうやら呼び捨てにしろといっているらしい。

「リネット」
「はい」

ようやくリネットは振り返り、アヤの言葉を待っている。

「もう少し速く歩いてほしいの。人が多いと……恥ずかしくて緊張してしまいますから」
「あ……それでしたら、もう少し速度を落としましょう。速くお進みになって、転んだりなされたら大変です」

逆効果だった。リネットはけっして意地悪をしているわけではない。

アヤはますます恥ずかしくなり、俯き加減になったが……リネットは数歩進んでくるりと振り返り、きゅっとアヤの手を握る。

「アヤ様。どうかまっすぐ前をお向きください。注目を浴びることは大変名誉なものです。
あなた様のお国では、黒は平凡だと仰られました。ですが、わたしたちの国では……黒を望み、多大な犠牲を払って……それでもなれぬ者もいたのです。
ですから、虚勢でも構いません。
どうか……恥ではないとご理解ください。美しい花は咲き誇る意味があります」

リネットの手から伝わる体温。唇から語られる真実。そして願い。先ほどのリネットの涙も再び思い返した。

些細でも嫉妬を感じたと言っていた。彼女も、この枯茶色ではなく、黒を望んだのだろうか?

「ありがとう。今まで生きて培った時間で学ばなかったことを、この国に来たばかりの短時間で初めて考えさせられます」
重ねられた手をきゅっと握り返し、アヤはうっすらと少女に微笑み、ゆっくり首肯した。
「リネット、あなたには気づかされてばかり。
儀礼的なことは上手じゃないですけど、ルエリア様やあなたに見せて恥ずかしくないような振舞いをさせてください」

スッとリネットの手を離すと、アヤは息を吸う。瞳を閉じ、長く細く息を吐いた。

自分に大丈夫、出来ると言い聞かせ、背筋を伸ばし唇を結ぶと、彼女に目で促す。

リネットもはいと返事をして、再び歩を進めた。

『上半身は揺らさず、背筋の伸びは肩甲骨を中に入れる感じよ。踵から落として。重心がかかる膝は曲げたらダメ』

演劇ではなかったが、前に見た映画で、女優が美しい歩き方というのはこうするのだといってクイクイ歩いたシーンを思い出す。

地に触れる足は膝を曲げずに、踵から下ろし……成程、重心がその足にかかるので曲がることはない。

よく磨かれたガラスに映る歩行と立ち姿を、横目でチェックする。

応急処置的な女優ウォーキングがどこでも通用するわけではないかもしれないが、先ほどよりもある程度はマシに見えるだろう。

ちょっと耐えるだけでいいのだ。多分。

豪奢な大扉の前にたどり着いた二人。門番がじろりと睨むが、リネットはすました顔のままだ。

「メイドのリネットでございます。姫君を陛下のご意向でお連れいたしました」

どうぞお通しくださいと頭を垂れると、右の兵がアヤに『貴女がアヤ様でしょうか』と投げかける。

「はい。異国の黒い娘だと仰れば、陛下ならお分かりでしょう」

緊張のため、ゆっくり一言一句かみしめるように発音するアヤ。

自分でもおかしい気はするが、それが彼らには気品ある様に取られたようだ。

二人の兵は声を揃え、アヤの到来を告げる。

「――お話は伺っております。どうぞお通りください」

そして、リネットも兵士の一歩後まで下がり、いってらっしゃいませと送り出した。

ぎぃ、と重たい音がして、謁見の間へ続く扉が、開く――


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