【異世界の姫君/2話】

「ひとつではないではないか。……まあいい。この国は神々の末裔が住むリスピア王国。この国の暦ならばリスピア暦432年。そして余は女王ルエリアだ」
「えええーー!?」

質問に答えてもらったというのに、アヤは大きな声を出すほどに驚いてしまった。

山吹色の女性……ルエリアは、アヤの大声にやかましいと叱り付け、ちょい、と扇で再びアヤを指す。

「礼儀知らずの美しい娘よ。人に名を聞く前に名乗るものであろう。おまえの名はなんと申す?」

絶世の美女から美しいと言われても、あまり嬉しいとは思えないのだろう。

それどころか、扇で指されたアヤはしどろもどろに答えた。

「あっ……失礼しました。わ、私は姫川 彩と申します……」

震える声でそう名乗るアヤ。

言葉が通じる事はありがたいが、アヤはそれについての安堵ではなく、女性が発した内容に強い衝撃を受け、思考は『嘘でしょう?』ばかりが浮かんでいる状態だ。

「ふむ、ヒメ……カワ。言いづらいな。して、どれが名前だ。ヒメか? カワ・アヤか?」
「アヤ、が名前です。姫川が名字で……呼び方は、お好きに」

名字のせいで友人からのあだ名は『ヒメ』だったが、女王の前では口にだすのもおこがましく感じる。

それに、アヤはもうどうしたらいいのかわからない。

おろおろと視線を所在なくさ迷わせるばかり。

ルエリア、と名乗るこの女性。

そしてリスピア王国というのは――驚くなかれ。

アヤが今手に持っている、『エルティア戦記』の舞台となっている国なのだから。

夢ではないのならば、いや、夢だとしても……出来過ぎたお膳立てだ。

アヤは今。

望んだ世界に降り立ち、登場人物の中でも主要とも言える人物と会話をしている。

愛好者であるならば、これほどの冥利はないだろう。

それ以上ぼうっとする暇もなく、ルエリアは彼女に質問を浴びせた。

「では、アヤ。おまえニホンという島国のベッドから降って来たらしいが、その国のベッドは魔法のベッドか?
……いや、魔法などあるわけがないと言ったな。詳しく話せ。どういう経緯だ」

今までよりも瞳に若干強い光をこめて、ルエリアはアヤへ問う。

いまこの場所……ルエリアの住む城の庭園のようだが、誰も近くにはいない。

アヤの読んだ物語内では、ルエリアが庭園にいるときは寛ぎたいときなので誰も供をつけないのだ。

要するに内密な話もできる。ルエリアはアヤに話しかけて説明させつつ、彼女の仕草や様子を伺っている。

降ってくるアヤを見殺しにすることも可能だったが、どうも様子がおかしかった。

彼女は本気で助けを求めているようにしか見えなかったのだ。

助けたら助けたで、今度はちぐはぐな押し問答ばかりしている。

無礼だが受け答えもきちんとするし、それほど頭の弱い様子は……ないように思えた。

ルエリアの名を聞いて、何故か挙動不審になったこの『アヤ』という娘。

それはルエリアのことを知っているような態度に見えるが、暫しどう話していいか考えている様子で……小さく頷いた後、一礼し口を開く。

「自分でも信じられない、というのが本音ですが……、どうかお気を悪くせずに聞いてください。この国……リスピアは、私が大好きな書物に出てくる架空の国です。
私は現実……日本という国の一般庶民で、魔法などとは存在しな……世界では研究してる人もいるかもしれないですが、ほとんど信じる人はいません。
だいいち、見た事もないですから。ゲームの世界や幻想世界ではないのであるはずがないと思ってます」

一旦言葉を止めて女王の様子を伺えば、ルエリアは足を組み変え、扇をいじりながらも無言でアヤに先を話すよう促した。

言葉を選ぶ余裕がないまま何を話せばいいのか迷いつつ、漸く手に持っている本に思い至り、ルエリアに差し出す。

「これがその『エルティア戦記』という、この国が舞台の小説です」

はたしてリスピア人に日本語が読めるかどうか、までには気が回らなかった。

ルエリアは本を手に取ると適当な箇所を開き、すぐにパラパラめくったと思うと……本を閉じてつき返した。

「どういう仕掛けか知らんが、白紙だぞ」
「ええっ!?」

本を受け取り、慌ててページを開いて確認するが、ルエリアが言ったとおり、本当に何も書かれていない。

「どうして? ちゃんと毎日読んだのに! エルティア戦記、作者の名前はエリス・クラウヴェル――」
「なに? エリス・クラウヴェルだと?」

がたんと勢い良く席を立ち、ルエリアは深緑の眼を見開く。

怖々頷いたアヤを睨むでもなく見つめ、ルエリアは顎に手をあてて考える。

「その真名を知っているとは……」
「ま、な? ええと、エリスさんをご存知ですか?」

阿呆、とルエリアはアヤに罵声を浴びせ、自身の胸を人差し指で軽く突いた。

「おまえの言う事が真実であれば、余の母親の名は? 種族は何だというのがわかるはずだが」

ハッとするアヤに、ルエリアは言ってみろと確認のため告げた。

「月の女神エリスさま、の、娘、ルエリアさま、です」
「そうだ。母の真名……親密なる者にしか知られていない真実の名前がそれだ。それがなぜ外部に漏れたのかが問題だな」

ですが、とアヤは悲しそうに呟く。

「きっと、違う方なんです。私の知ってる作者のエリスさんは、これを書き終えた数日後、亡くなったそうですから……。だから『エルティア戦記』も未完のままで……」

アヤは本を膝の上に置き、俯いて暗い顔をする。

「……お前はどこまでその本を読んだ? そして、いったいどういう内容が書いてある?」
「この王国内で一部の魔族と手を組んだ、クーデターが起こって……。クーデターのリーダーがクレイグ……魔族を率いているのがゴヴァン、です。
王国に夜襲があって、レスターが城門を閉め、時間を稼ぐため一人で命を賭して戦って。
それで……それでレスターは『クウェンレリック』の力を発動させて塵と消え、死んでしまって……。大好きだったからショックでした。
その後準備を整えて出陣したヒューバート隊と剣士レティシスが獅子奮迅の大活躍をし、レティシスはルエリアさまの眼に留まって王国に仕えるのです」

そこで、物語は終わっているんです――アヤはそう伝えて言葉を切った。

ルエリアは、アヤの表情をじっと見つめる。

にこりともせず、厳しくもせず冷静な目で判断しようとしていた。

「……おまえはその『本』とやらに記載されていた物語を読んだのだな?
確かに一部はこの国の人物に当てはまるものもある。多少はこの国のことを知っているようだが、当たり前なことも知らぬ異国の民であるというのもある程度理解した。
ふむ……しかし、おまえの言葉全てを信じることは出来ぬ」

アヤは敵ではなさそうだ、という結論に行き着いたが、国の内情を大きいことは勿論、瑣細なことも詳しく知っている。

知識をつめ込まれ、洗脳されている間者だということだって考えられる。

ルエリアの眼には、完全には信用しない――という疑いの色も残っていた。

「……レティシスは先日やってきた冒険者。色々やってくれたので覚えているが……アヤ、あえて尋ねる。夜襲があるというのはいつか?」
「え、日付……あ、ええといつだったかな、リスピアと私の国とは暦が違うんです。
確か……本のストーリーでは、ヒューバートがレティシスの経歴について根掘り葉掘り質問して……
レティシスの気に障ったらしく、ヒューバートを殴ってしまったから……んー……そうだ、夜襲は投獄一週間目、ようやく出られたのと同じ日です」

アヤの答えにふぅむ、と扇を口元に寄せながらルエリアは小さく頷いた。

「どうやらそれは間近に起こる事のようだ。
お前の言い当てた通り、レティシスは今現在そのような件で投獄されておる。
投獄から一週間……今日より三日後。『睡龍(すいりゅう)』の二十六日ではないか?」
「! そうです、睡龍月の二十六日です!」
「覚えておこう。アヤ、参考になった。まことであれば褒美を授けてやる必要があるな。今回は非礼を特別に許し、おまえを客人として滞在させる。
色々知られているようだし、このまま帰すわけにはいかぬ。条件を飲め。拒否は認めん」

条件、とオウム返しに言ったアヤに、ルエリアは当たり前だと言い放つ。

「今の状態、すなわち『現実』をおまえに突きつければ……おまえは侵入者だ。そして余に無礼を働いた不届者。 他この場に誰かがいたら、軽度で投獄、最悪何らかの処罰も免れなかったぞ」

当然の現実を前にして、アヤは青ざめながらもその通りだと思った。

しかも、こんな『後は寝るだけ』の、飾り気も無い庶民スタイルで女王陛下の前にいるのだ。

平民であれ、女王の前に立つならばもう少し気も使うし平伏するだろう。

下着姿ではないだけマシではあるにせよ、裸足だし、髪もくしゃくしゃで、鳥の巣のようだ。

落ち着いてくると顔が熱く、恥ずかしくて仕方が無い。

そわそわと髪を撫で付け、開いているわけでもないのに服の前を掻き合わせるアヤの姿に、ルエリアはフッと笑う。

「恥ずかしがるのも既に遅いな。どうする。条件を飲むか、問答無用で投獄されるか?」

好きな方を選べと言われて、アヤは『条件を飲みます』と頭を下げた。

訳のわからないまま投獄されるのは辛い。

それに、客人として対応して貰えるのであれば、恐らく乱暴には扱われないだろう。圧倒的に後者のほうが有難い。ほっとした様子のアヤへ、更に条件は出される。

「まず、勝手に何処かに行くな。許可も無く出歩いた場合、お前を間者として捕らえさせる。
次に、余の許可無くその本やお前の出自を気軽に明かすでない」

これには国を未来を左右することが書かれている。

本は白紙だったが、アヤがストーリーを全て把握しているのなら、彼女自身が本のようなものだ。

そして、異国から来たといえば、それだけで人間の興味は集まる。

説明されて理解したアヤは、神妙な顔のまま頷いた。

「心配するな。事がきちんと収まれば、帰って良い」

偽証罪がつかなければな、と鼻で笑ったルエリアを見て、泣きつきたくなるのも堪えつつ、気を重くする。

(あ。そういえば)

ルエリアとの会話でようやっと気がついたのだが、アヤは再び自分が落ちてきた空を見上げた。

穴もなく、ただ澄み渡る空。

そう。何もない。

「――私、どうやって」

出口がなければ。どうやって戻ればいい?

新たに浮かんだ疑問は、自分の力では解決できない気がした。


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