え、まだって……もう逆さにしても出ないんだけど……?
びっくりしているわたくしに、魔王様は一緒に夕日を見ようと誘ったときを引き合いに出した。
みんなで眺めた夕日は美しく……無かったかもしれないけど、わたくしの美しい思い出として心に残っている。
「……あのときには既に、リリちゃんはそうする覚悟を決めていたのでしょう?」
「はい」
「一緒に歩きながら、リリちゃんはぼくの質問に……『ヴィレン家は純血種なのでしょう?』そう聞いた。だから、自分が人間であることがレトゥハルトと婚姻するための障害と考えている……のかと思ったんだ。人間の血が入ったら、能力が低下するんじゃないかと危惧していたのだ、とね」
実際に、その疑問もちょっとだけあった。
ましてや魔界の王家に、なんかの間違いがあって……人間との混血が生まれてしまっては示しがつかなくなったりするんじゃないか、って。
「もちろん愛のない結婚もあったのだろうけど、血で守ってきた国じゃないからね。純血だの混血だの、そんなのは……もうどうでも良いんじゃないかと思うよ」
わしわし、とわたくしの頭を撫でて、魔王様はばかだね、と笑った。
「――うちの子を困らせるのが楽しいから、気のあるふりをしてからかってるだけ……とかだったら判った時点で、即ブチ殺してドラゴンに食べさせても良いかなーとは思ったんだ。その後、みんなの記憶を消去したりすれば丸く収まるなーとか」
――わたくしの予測してなかった突然の死が用意されていたのか。
あ……いや、前からその予兆はあった。
魔王様の中にも『リリちゃんがうちの子をたぶらかした絶許ポイント』があったのか……。いつも『リリちゃん??』に怯えていたけど、全くそこ分かってなかった。魔王様はいつだってまっすぐだったのだ……。
しかし『即ブチ殺して』……って、魔王様普段おっとりした口調だから、そんな過激なこと言うとほんと怖いので止めて欲しいわ。
「でも、そうか……ちゃんと、君はレトゥハルトを見てくれていたんだね。ありがとう」
「そのような……気がついたら、という気持ちでしたので……こちらこそはっきり言えず申し訳ございません」
「――それで、君は前に言ってたよね。魔族はここでは幸せになれない、と自分自身に呪いを掛けた。だから希望を抱くことなく、魔界を去って……地上に行ってしまったのだと。君も、その一人ではないかと思うんだよ」
「いえ、そんな――」
慌てて否定しようとしたが、まあ聞きなさいと魔王様から止められる。
「君が魔界から去っても、確かに少しずつ……ぼくたちは前に進んでいけるだろう。君は十分なくらい貢献してくれた。それが君の望みであることも理解している。そういう意味でも、ここは君の願望の一つをかなえる世界なんだろうね」
「……ええ……思っていた以上に、ずっと楽しい世界で……」
しどろもどろにそう答えると、魔王様はうんうんと何度も首を振った。
「君は、魔界に住む者達の幸せも願ってくれたんだね」
「はい……」
「それじゃあさ――……なんで、君やうちの子たちは幸せになれないの? 君は、それを望んでいないって事?」
「なっ……、そんなはずはありません!! 殿下達には誰よりも、幸せになっていただきたく――!!」
わたくしのことはどうでもいいが、そこは間違って欲しくない。
必死に否定していると、それなら、と――視線をご自身の息子さんに投げかけられた。
「お前達は、彼女の告白を聞いて嫌悪した部分はあるか?」
ちょっ、あんた、なんてこと……!
右も左も見ることも出来ず、わたくしは自分の太ももに視線を落とすだけだ。
「――……はい」
ややあってレト王子……いや、レトゥハルト殿下が……そう言った。
わたくしは……軽蔑、あるいは失望されたのだ。
「……発言を、お許しいただけるなら……」
「良い。言ってみなさい」
どくんと心臓が冷たく鳴って、何を言われるのか怖くて身体が震えた。
「……では……」
いやだ。彼の口から発せられることを聞きたくない。
原因不明であろうと、自分ではどうにも出来なかったことであろうと……これがみんなを騙してリリーティアとして生きようとした罰だというのなら、わたくしは……受けるほかない。
それなら、もうこれ以上無いくらい……レトゥハルト殿下に傷つけて貰うのがいい。
「……彼女と父上の会話は、にわかには信じがたく……全てを揺さぶられるような、とても衝撃的な話でした。今もまだ、嘘であって欲しいという気持ちと、数々の思い当たる節から……少し、納得しはじめている自分がいます」
魔王様の前だから発言が敬語なんだろうとは思っているのだが、もうわたくしは落ち着いてなどいられずに目を閉じてうつむいたまま、耳だけをそちらに傾けるだけしかできない。
出来ることならこのまま倒れても良いくらいだが……彼の声を聞くのも、もしかしたら最後になるかもしれない。きちんと聞いておこう。
「……彼女が……本来のリリーティアではなくても、魔界の復興を為しえたことは素晴らしく、手腕については深い感謝と信頼を持っています。だが……もし、本来のリリーティアであれば……魔界は殊更良くなっていたのか、それとも不変であったのかは今となっては不明です……そして……」
いったん口を閉ざしたレトゥハルト殿下は、悔しい、と漏らした。
「――なんの運命にも携わっていない彼女が、気軽に魔界復興の礎を築くことができたのに、我々王族は本当に何も出来なかったことが……悔しいと思います」
その言葉に、胸がえぐられるような気さえした。
これはずっと彼が思っていた偽らざる本心だろう。
わたくしはゲーム知識もあったにしろ、大体のことを思いつきでやってしまったところはあったが……そのたびに、レトゥハルト殿下はどこかで苦々しく思われていたのだ……。
それでも『まぁこいつ【魔導の娘】だしなー』と自分で自分を納得させていたりしたのかな。
「……そして、この世界が……『擬似的な恋愛を楽しむための世界』という、理解しがたい、言葉が……とても腹立たしく……」
レトゥハルト殿下のお声は憤り……というか、自制のために震えておられる。
「…………」
もちろん、誰一人としてそこに何かを言う人はいない。このわたくしもだ。
申し訳ない……申し訳ない……!
いくら言葉を重ねても謝りきれない。
中には本気で推しに恋してる子もいると思う。わたくしだって今現在そうなってるんだし、それを笑ったりはしない。
「魔界の発展は俺も願うべき事なので、自らの力不足は致し方ないことであったと反省します。自らの正体を偽ったのも……これは、どうしようもなかったという彼女の言葉を、今までの働きから信用するほかありません……だけど……!」
レトゥハルト殿下の手が、わたくしの肩を掴む。
それはいつものように優しい置き方ではなく、我慢できずに感情のまま掴みかかったといった感じだった。
「っ……」
掴まれた肩に痛みが走り、思わず顔をそちらに向ける。
そこには……はらはらと涙を流して、唇をわななかせているレトゥハルト殿下の姿があった。
「……君は、俺をどの程度慕ってくれていた? 俺は誰を……どちらのリリーティアを、愛しく思えば良い?」
本来のリリーティアか、それともわたくしなのか、ということだろう。
「……お許しください」
「答えて」
「…………何を言っても」「いいから答えろ!!」
両肩に手を置かれて、レトゥハルト殿下はわたくしを力任せに自分の方へと引き寄せた。
そのまま至近距離で見つめ合ったが、そこに艶っぽいものがあるはずもなく、ただ悲しみしかなかった。
「やめなさい、レトゥハルト。女の子に乱暴を働くんじゃない」
「……ごめん」
そろっとわたくしから手を離し、彼は気を落ち着けるように額に手を当て、動かなくなった。
「……ヘリオスはあるか?」
「まあ、あるといえばあるけれどね……そうか……君はリリーティアでは、なかったのか。だから、精神接続できなくなったのだね」
レトゥハルト殿下よりは冷静に、だけど寂しげにわたくしを見つめた。
わたくしも涙を拭いながら頷くと、彼も黙って同じように返す。
「……君は、ボクを説得するときに本心を語ってくれていた?」
「この身体に入って、リリーティアとしての記憶が無いことと、異世界の者であるという事を伏せた以外は……全てわたくし自身です」
「なんだ。それならいいのさ」
そう言うと、ヘリオス殿下はふふっと笑って、わたくしの手の上に手を重ねた。
「ボクの知ってるリリーティアじゃないことは、残念でしかないし……ちょっとは恨み言も言いたくなるけれどね、でも、君はちゃんと君なりにボクと向き合ってくれたのじゃないか? 心配したり、怒ったり、下僕にしたり……。きっと、本来のリリーティアなら『わたくしの手を煩わせて許しません、とっとと死になさい』とか言って、ここまでしてはくれなかった気もするからね」
こんな時まで悪逆非道のリリーティア……。本当にヘリオス殿下には同情せざるを得ない。
「……君はやるしかないって頑張ってきたんだろう? 魔界のことは君がやったし、仲間とかいうさっきの奴らのことも、こいつらの養育も君がやったんだ。君とは初めましてだったけど、ボクの事も探してくれた。だったら、リリーティアじゃなかったのなら……ええと、リリー……って名乗っていたかい? それでいいんじゃないのかな」
あっさりとそんなことを言って、はにかむような笑みを向ける。
「でも……」
弱々しく言い訳を口にしようとしたわたくしに、ヘリオス殿下は『知ってるんだよ』と溌剌と言った。
「……リリーティアという娘はどこにもいない。戻らぬ泡沫の記憶や夢と同じ存在であり、ボクたちの前にいるのは『ただの』リリー……それ以上でもそれ以下でもない。君は、クリフとかいう王子の前でそう豪語していたじゃないか。そのとき、君はもう現状の答えを出していたじゃない……ボクは断片だけだとしても、君のこと見ていたからそう思うんだけど……ねえレトゥハルト。全て間近で見ていたくせに、この子がリリーではいけないのかい? リリー以外に、お前を助けてくれた女の子がいるの? それに君。君がリリーじゃなかったら、誰がボクを助けたの?」
首を傾げてそうまっすぐ問われ、ヘリオス殿下はそう言葉を発しながら、わたくしとレトゥハルト殿下を見た。
「……」
同じような顔を、わたくしもしていたのだと思う。
なんかメンヘラネガティブ男なんだと思っていたのに、物事の本質を捉えるのが上手というか、うまく言いくるめられそうだというか……。
「レトゥハルト。この子は君の知っているリリー? 知らないリリー?」
知らないリリーって何だよと思いつつ、わたくしはレトゥハルト殿下の言葉を待った。
「…………」
彼はしばらく何も言わなかった。
うつむいたまま、もうわたくしとは言葉を交わさないんじゃないかと思った。
「……リリー……」
ぽそ、と、聞き逃しそうなくらい小さく、口から息が漏れるような声が聞こえた。
「……確かに、俺の知っているリリーだ」
「レトゥハルト殿下……」
「そういう呼び方はしなかったけどね……」
無理矢理笑おうとしたらしい。ほんの少しだけ口角を上げ、彼っぽくない表情になった。
「さて。あらかた話も終わってきたのかな?」
わたくしたちのやりとりを見ていた魔王様が、姿勢を正してわたくしに視線を送る。
わたくしたちも背筋を伸ばし、魔王様に向き直った。
「これは蛇足かもしれないけれど。そのリリーという娘は、ぼくに言ったんだ。ぼくの中に眠る希望はこれから目覚めるのだと。そして、始めることに遅いことはない。だというのに、その本人が……希望を捨てて悩んでいるというのは、まったく説得力が無かったね」
苦笑する魔王様。
言うことばかり偉そうになって、わたくしは自分のことを何も出来ていなかった。それを恥ずかしく思って、軽く頭を下げた。
「……レトゥハルト。どうやらまだ気持ちの整理はつかないのだろう? それでもいいから聞きなさい」
「はい……」
レトゥハルト殿下は静かに頷く。そして魔王様はわたくしに視線を向けた。
「……あえて問おう。娘、そなたは何であるや?」
「――……わたくしは『リリー』……。それ以下でもそれ以上でもない、ただのリリー……ですが、地上の人々はわたくしを貴族の娘リリーティア・ローレンシュタインとして扱うので、時折その役割を演じることをお許しください」
「許す」
「ありがたき幸せ」
深々と感謝の意を述べると、それでだが、と魔王様は厳かに告げる。
「恐らくではあるが、そなたは終わりの日とやらを境に消えるかもしれぬ……そう言ったが、そなたがそう望めば消えるだろう。今のままでは、そうなる」
「…………」
わたくしは無言のままそれを聞いていた。
やっぱり消えてしまうのか。それもしょうがないのだろう、と。
「リリー。レトゥハルト……お前達はそれでいいのか?」
「…………」
レトゥハルト殿下は答えない。わたくしも……どう答えて良いのか言葉に詰まった。
「以前、望むものはそなたの欲するいかなるものでも構わぬ。そう言ったのだが……そのときの返答をまだ聞いていなかった気がするのだ。この際はっきり聞いておこう。申せ」
――中途半端な受け答えすると指を折るぞ、と言われてないのに聞こえた気がする。
というか、わたくし魔王様のお膝の上でビービー泣きながらお話ししたじゃん。
それを引き合いに出してきてんじゃないだろうか。
今ナイーブになってるレトゥハルト殿下にキッツイことをわたくしが言うことになるのかと思うと、もうほんとに……ほんとーに、転移の貸しが高くつきすぎたよ。
「……わたくしは……リリーとして、ずっと暮らしたく思います」
「……指を」「リリーは魔界でずっとスローライフしたいのです!」「指を折ろう」「ヒッ……リリーは魔界で、ヴィレン家の皆や仲間とずーっと幸せに暮らしながらスローライフしたいです!」
「だから指を折るっていってるでしょ!!」「もうお許しくださいっ!! なんでこんな状態のレトゥハルト殿下にわざわざ追い打ちを掛けるようなことを言わないとならないのです!」
わたくしと魔王様はそう言いながら立ち上がり、互いに妥協しろとばかりににらみ合った。
「リリちゃんが早く本心言わないからこんなになっちゃったんだよ!」
「うぐぐ……それは……そう、ですが……魔王様も気づいていらっしゃったならその時点で聞いてくださいませ!」
「だいたい何なの『殿下』って! すっごく他人行儀だからやめなさい!」
「――やめて」
「ほらレトゥハルトもやめてって……んっ?」
わたくしたちは言い争うのを止め、レトゥハルト殿下を注視する。
彼の表情は沈んでいたが、しっかりわたくしたちを見つめていた。
「……リリーは、リリーなんだ。それは、ヘリオスなんかに指摘されて……ようやく落とし込めた」
「なんかって……」
ヘリオス殿下が絶句したが、レトゥハルト殿下は聞かないふりをしてわたくしを見る。
「……リリーは……俺のこと、好き?」
「……はい」
すると、レトゥハルト殿下は俺も、と乾いた声で呟いた。
「俺も、リリーが好きだよ。誰よりも好きだ」
その言葉は嬉しいものであるはずなのに、そこに感情がないような気さえした。