――リリーティア・ローレンシュタインの中身は、異界の存在である。
そう魔王様が、わたくしに問う。
「ど、どういう……? 異界って……この世界の住人ではないって事なのか?」
レト王子の声はあからさまに動揺していた。わたくしだって多分誰かが異界のものだと聞かされたらそうなる。
「…………はい。その通りです」
わたくしが首肯すると、自分の両端で息を呑む気配が伝わってきた。
たったあれだけで見抜いてしまうなんて、魔王様は本当にすごい。
「まあ君の存在を『リリちゃん』と仮に呼ぼう。リリちゃんは、この世界にある程度の知識を有し、どういう経緯かは分からないが……リリーティアの魂を上書きなり入れ替えたり何なりして、リリちゃんはリリーティアとして生きる事になった」
「はい。わたくしも、彼女の魂がどうなったかは分かりませんし……ヘリオス王子が仲良くしていたリリーティアは、わたくしではないリリーティア本人です」
「――……!!」
勝手だとは思う。
今まで『そのリリーティアってわたくしじゃないんだけどなー』とか軽く思っていたのに、いざ真実を知られるとなると……申し訳なくて隣を見ることが出来ない。彼は深く傷ついたに違いないのだ。
そして、こればかりは教えなくても良かったとは思うけれど、いずれ分かることだし……わたくしにはリリーティアを追い出した責任を取ってあげることだって出来ない。
「何のために、ここへ?」
「――……わかりません……気がついたら、リリーティアに」
「しかし、この世界への認識があるようじゃないか。特に錬金術の調合などは、最初から幾分知っているようだったと聞いている。どこで知ったの?」
その質問には、わたくしも言葉を発するのにかなりの抵抗があった。
どこで、って……。
ここは乙女ゲーの世界なんですって言って分かるんだろうか。
ていうかこの世界は電脳の虚構なのだと言っちゃって良いんだろうか。
その虚構で疑似恋愛を楽しむためのものなんですって、そんなことを言わないといけないのだろうか!!
「……そこは、お許しいただきたく……」
「ならぬ。申せ」
ぐあっ、急に魔王様偉そう口調になった!
わたくしは深々頭を垂れた。もう土下座してもいい。
「どうかお許しを……」
「くどい。次は苦痛を以て問う」
三度目はぶつよ、って事か。嫌だ。ぶたれたくない。もしかしたら生爪を剥がされる拷問かもしれない。
こうなったら……覚悟を決めるしか……ないのか……。
ここで血反吐を吐いて倒れることとかできたら好都合なのだが、残念ながら毒薬の仕込み(ぐっと噛んだら毒薬が口に広がって死ぬアレ)などはわたくしの口腔に処置していない。それに猛毒を服用しても、魔王様かレト王子かエリクがあっさり治してしまいそうで、誠に遺憾である。
……というか、いきさつを話さなければならないので、今なら組織の実行犯が失敗して、秘密を守るために自害するときの気持ちがとっても分かる。
偉いよあなたたちは。わたくしもピュアラバガール達のために、そうありたかった……。
「……まず、わたくしがリリーティアの肉体を得て、この世界に降り立ったのは不慮の事故。事故どころか大事故。そういったことは本来絶対に起こるはずがないのです。そこをまずご理解を」
「あいわかった」
魔王様はその先を促してくる。
――ああ、死にたい……。
わたくしはとりあえず、この世界がわたくしたちの夢見る世界の一つであることを話す。
星の数ほどある願望や欲望、逃避などでも何でもいい。とにかく、そういうもののひとつ。通過点でもあって終着点であるかもしれない、そういうものだ。
「ピュ……【ピュアラバ】という、虚構の、世の中の乙女達の願望が詰まった世界なのです……その中でどれとどれを合わせたら良いか、など調合を覚えて……」
【ピュアフル♡ラヴァー】とタイトル名を言うのが恥ずかしいので、ピュアラバと略させて貰った。
「願望の世界とは……人間と魔族が争うことか?」
「いえ……」
わたくしの顔はもう真っ赤なのだろう。火が出てるんじゃないかと思うくらいあっついし。
魔王様の顔を見るのが辛すぎるので顔を机に向けたのだが、魔王様はこちらを仰げと言ってすぐにご尊顔を見るようにさせるのだ。
「……お許し」「では指を折るぞ」
「擬似的な恋愛を楽しむための世界です。魔族と人間の争いはその背景の問題に過ぎません」
……指を折られるのは嫌なので正直に話した。
直後、それは重い……なんとも形容しがたい沈黙が訪れた。
沈黙の中、魔王様は手に持っていたグラスを置いて……咳払いを一つ。
「――……ではなぜ、そなたは魔界の復興を望んだ?」
「…………信じていただけるかは分かりませんが……理由は二つございます」
「ふむ」
「まず、ひとつ……魂を違えたわたくしは、あるわけがないリリーティアになったことに信じがたい気持ちでありました。それゆえ、即座に世界や自身の状況把握はできませんでした。困惑が勝り、知らない肉親が声を掛けても認識できず、居場所すらありませんでした。だから、レト……いえ、レトゥハルト殿下……に、連れ去られるままここへ。そして魔界の酷さに驚きつつ、自らのため、そして殿下の望まれるように、魔界の復興に着手いたしました。予期せぬそれは存外に……楽しく、やりがいのあることでした。その気持ちは今も変わらず……当初より強く感じております」
そこは間違っていない。というより、わたくしが望んでやったことだ。
「して、もう一つは何か。偽らず答えよ」
冷たく響く魔王様の声に、わたくしは身をすくめた。
心臓から、冷たい血液が出ているみたいに身体が冷えていく。
答えたくはなかった。
「――……どうあっても、口にしなければ……なりませんか」
「余が申せと言うことに逆らうことは許さぬ」
ちら、とわたくしはレト王子に視線を向けた。
彼は信じがたいという顔をしつつも、懸命にわたくしたちの話を理解しようと聞いている。
「…………」
彼も言葉を発することは許可されていないので、言った方が良いというように黙って頷かれた。
「……許されぬ、事だとは分かっていました……」
「……」
魔王様は一瞬だけ、辛そうな顔をされた。
それが、わたくしの何かにひっかかったのか……涙があふれてしまって、嗚咽も混ざり始める。
「……わたくし……レトゥハルト殿下に好意的に接していただいているのも分かっていました。でも、わたくしはこの世の存在ではありません……。その想いを受けることはできないのです。それでも……一緒に活動して、少しずつ魔界も豊かになっていった。仲間や住人も増えた。それが喜ばしいと……ずっと、こうして何も気づかないままでいられれば良いと思いました」
レト王子は身じろぎ一つしない。
これで全部終わったのだ……と、そう思った。
知られたくないこと。言ってはいけないことが……全部出ていく。
身体が怖くて震える。
やっぱり――彼の顔を見ることは出来なかった。
「いつしか……だんだんわたくしの中で忘れていたはずの『全ての終わりの日』の事が大きくなって……不安を感じ始めたのです。好意を向けられても、消え去るかもしれなかったら受け入れられない。そのときどうすれば、レトゥハルト殿下は傷つかないのか、まるでわかりませんでした。そして、先日マクシミリアンに帰るよう言われ、もしかすると……『全ての終わりの日』とは、今から半年後、人の手によってわたくしの役目が奪われてしまうから……ここから出るとき、強制的にやってくるのかもしれない、とも感じました。それについて確固たるものはありませんけれど、そう感じたら怖くなった」
鼻をすすりながら、つたない言葉を重ねていった。
魔王様も黙って聞いてくださっている。
「……たとえ半年後に、終わってしまうとしてもっ……、それまで、魔界で……レトゥハルト殿下のそばにいたかったのです。わたくし……いつからか、レトゥハルト殿下をお慕いしておりました……でも、想いを受け入れることも、打ち明けることも無理だと思った。だって、どうなるか……わからないのですもの。だから、屋敷に戻る前日に、レトゥハルト殿下にだけはお伝えするつもりでした……」
手のひらでゴシゴシと目元を擦り、ふっと魔王様に笑いかけた。
「――なのに、ここでもう全て打ち明けました。これ以上は、わたくしもお話しすることが……なにもございません」
すると、魔王様はわたくしの頬に流れた涙を指先で拭って、微笑まれると……――。
「まだだよ」
と、仰った。