「うっわ……さんざん飲み食いした後で急に真面目な顔されても……」
「数日分の栄養を補っただけです。お気になさらず」
若干引き気味のレト王子にさらっとそう伝えるが、彼らだって差し出されるままに食べていたじゃないか。今だって、茶を飲んでちょっと幸せそうな顔してたぞ。
それなのに、わたくしだけめちゃくちゃ食べたみたいな言い方して、ちょっとひどいじゃないの。
「あまりわたくしが仕切るのも良くないと思うのですが、先程レト王子が仰っていた……『血液を差し出す』というのは、ヘリオス王子にも分かる意味なのでしょうか?」
「いや……ボクはあんまり魔族の身体のこととか、随分丈夫だなあと思うくらいで能力とかよく分からない。精神接続みたいに、無我夢中で……気がついたら出来ていたという事もあるけれどね、それ以外はさっぱりなんだ」
人間とは違うということくらいは分かっているようだ。
教えてくれる人もいなかっただろうし、見聞きしたこともないからだろう。
「じゃあ、魔族と怪物の区別や……声なども分からないのですか?」
「なんとなく、魔物がじっとボクの様子を見ていることはあったりしたけれど……そもそもこの辺はほとんど魔物が出ないようだし、気にしたことってないな……」
ふるふるとヘリオス王子が首を振って否定すると、レト王子は『鈍感』と毒づいた。
「普通にスライムがいるんだから挨拶くらい聞こえるでしょ。無視されてかわいそうに……」
「あんなのが話しかけてくるわけ無いよね!?」
二人の指し示す方向には、レモン色のスライムが数匹いるのだが……、レト王子には彼らが『もしや王子……』だの『ご機嫌麗しゅう』と語りかけてくるのが聞こえるそうだ。
しかし、ヘリオス王子にはスライムがぷるぷるしているようにしか見えない。
声なんて当然聞こえないという。
「かわいそうに……スライムが悲しんでいるよ」
「くっ……、お前の頭が正常じゃない可能性は考えてないのかな。幻聴でも聞こえているのかい?」
負け惜しみのようなことを言って、ヘリオス王子はわたくしに視線をやる。
「リリーティアだって聞こえないだろう?」
「え、ええ……その、はっきり聞こえはしませんけれど――」
ほら見ろと言わんばかりにレト王子へ勝ち誇った顔をするヘリオス王子。
「――……言語としては聞こえませんけれど、か細い音のようなものが頭に響いて、何か言っているんだな~、というのは理解しております……友好的かそうでないかくらいは分かってきましたわ。わたくしの言葉も通じているようですし……こんにちは、スライムさん。ほんの少し右に動いてくださる?」
すると、スライムはぷにぷにと身体を縮めたり伸ばしたりしながら、確かに右にずれてくれた。
お手 (?)を煩わせたお詫びと礼を告げると、スライムは伸び上がる。
「『礼儀正しい人間ですね』と褒めているよ。数年前まで全然魔界に関わってなかったリリーのほうが、ヴィレン家に生まれたのに力を使わなかったヘリオスなんかよりずっと民の心が分かる。さすがだね」
レト王子からお返しに辛辣なことを告げられ、わたくしとスライムのやりとりを見て愕然とするヘリオス王子。
「うそだ……。なんてボクにはできないのにリリーティアには……」
「わたくしもなんとなく分かるってだけですから……じゃなくて、何か当初の目的を見失ったような……そうですわ、血液を捧げるって意味です……レト王子、解説をお願いしても……」
「わかった」
彼は鷹揚に頷いて、スライム達に食べ物の入っていた空の容器を差し出して、食べさせながら話し始めた。
「……血液を差し出すって言ったけど、母上に飲ませて失われ始めた生命力を補う、ってこと。でも、それは……穴の開いたグラスに水を注ぎ入れ続けるような……意味の薄い処置でしかない。当然飲ませる側・飲む側双方の体調や健康状態なんかも関わってくる。当時は控えめに見ても良好であるわけないから、血を与え続け、弱っていく父上のことも母上には分かったに違いない」
魔族の生命力が高くたって、十分な栄養も取らず血液だけを与えていたら……どうなるかなんて想像もたやすい。
わたくしにだって分かるのだから魔王様はよくご存じだったはずなのに、それでも魔王妃様に血液を与え続けたのだ。
「血液……なんだか呪術みたいですわね」
「ん……そうだね……でも基本『誓う』というのは己に対してのまじないみたいなものだし、血液という体内のものを使うぶん、より強固なものになる。人間でも、同じように血液を使う術はあるはずだけどね」
血液を互いに飲ませる方法っていうのもあるらしいのだが、それは少量で良いし、特殊な時にしか使われないそうだ。
錬金術でも血液や肉なんかを使ったりするものがある。
あとは悪い神様への生贄に使ったり。映画とか漫画でしか見たことないけど。
「ということは……魔王様は魔王妃様の回復のため、止められなければもしかして自らの命をも捧げる覚悟であった……わけですのね……」
「それが継続的に行われているのかは分からない……けれど……」
そう言いよどんで、レト王子は辛そうに頭を抱える。
「俺は一度……『君が死んでしまったら耐えられない』と、父上は泣いておられたのを見た。母上はこれが運命なのだからと笑って……父上を見つめていた。母上は、こうなったことを後悔していない。だけど、俺やヘリオスの……成長していく姿を見られないと、悲しんでいた。自分が最後なのに、あなたを残してごめんなさいって……」
途中から涙声になり、レト王子は膝を抱えて顔を伏せた。
見れば、ヘリオス王子もちょっと泣きそうな顔をしている。
ちょ、ちょっと、どうしよう。急に暗い雰囲気に……。
「母上は、最後に俺たちに言っただろう? 『何もないのだから、助け合って生きなさい』って。なのに、父上は悲しみの淵で引きこもりになるし、ヘリオスはフラフラなのにどっか行っちゃうし……俺もどうして良いか分からないから精霊やスライムに聞くくらいしか出来なくて……でも、彼らも分からなくて、まず俺に生きることだと慰めてくれるばかり……」
うっわぁ……。久々の、こう……魔界のどうしようもない感が出てきたぞ。
レト王子の頭をそっと撫でてあげると、レト王子はわたくしに抱きついて、ぎゅぅと力を込めた。
「ヒッ!? あ、あのっ……」
「慰めるならちゃんとして。中途半端じゃ嫌だ」
「は、はい……?」
なんで急に甘えてくるんだよ。しかも謎のお願いの強制……いや命令だし。
「でも、今そういう状況では……」
「お願い……」
「…………」
惚れた弱みというやつか。
そんな弱いところを見せられては……かわいい……。久々にレト王子可愛いって思っちゃったよぅ……。
ていうか……あなたのご尊顔、胸に当たってない……でしょうか。っ、気のせい、ですよね……? そ、そうだ、そうだな! 気のせい……だ。
レト王子は目に涙をためて今にも泣きはじめそうだし、ほんとに気が沈んでて、わたくしのどの部位と密着しているとか気づいてないんじゃないか……?
17才になるのに人前で泣きべそかかれちゃ困るのだが、弱い部分を見せられる相手がわたくし……だと思うと、なんというか……嬉しい気さえするから、断り切れぬわたくしもダメなのであろう……。
わたくしの心臓、自分でよく分かるくらいバクバク鳴っているのにも関わらず、気にしないふりをしてレト王子の髪を指で梳くように撫でる。
心地よさそうに目を細めるレト王子は、わたくしの顔を見て微笑んだ。
「……つ、つまりっ、レト王子的には……魔王妃様が、自らに血液を与え続ける魔王様もこのままでは死んでしまうと感じて、自分よりも子供達のことを頼んで、レト王子達には家族で支え合うように言って……そのまま深い眠りにつかれた……と」
「そう。一番父上が辛かったはずなのに、母上を燃やされたのは……確かに伝染病を懸念してなのかもしれないけど、余計なことを考えないためでもあって……」
「余計なこと……?」
ヘリオス王子も怪訝そうにレト王子を見たが、その視線は一瞬で軽蔑的なものに変わる。
「ねえ。真面目な話しながら、リリーティアになんてことしてるんだい?」
「慰めて貰ってるんだけど」
「最低。イライラするからもう返事しないで。リリーティア……さりげなく、それでいてかなりいかがわしいことされてるのに気づいて。そうやって甘やかすからこいつに良くない……っていうの、わからないのかい?」
「……ヘリオスは心が汚れているな。俺とリリーをそういう目で見ないでくれないか? 確かに……現状安らぎは感じているけれど、これはリリーに抱きしめて貰っているからであって……誰でもいいわけ、ない……」
どっちの意見を信じたら良いものか。
そう悩んでいると、反対側からヘリオス王子もわたくしに抱きついて、レト王子と至近距離でにらみ合う。
「おい……なんなの……? リリーに触れるのやめてくれる?」
「慰めてもらえるなら、ボクだってその権利はあるはずだ」
「いや、ないでしょ。お前はリリーにひどいことをしただろう。それを忘れようというのかな? いいから今すぐ離れろ下僕」
「お前が離れるべきだっ……! あとレトゥハルトの下僕になった覚えはない……!」
人の胸元でギリギリ争うのはやめていただきたい。ちょっと密度が多くてあっついし。
「だいたい、レトゥハルトはずっとリリーティアにそれとなく抱きついたりしていたじゃないか。ボクのほうが早く知り合ったのに! 見てるだけだったのに! いやらしいことばっかり考えて!」
「失礼だな! 知り合うのが早い遅いは問題じゃなくて……互いに気持ちでふれあえるかどうかだから。そうだよね、リリー?」
そうして頬をわたくしの身体に擦りよせ、顔を見上げてくるのだが……お前が気持ちではなく物理的にすり寄せているのは、わたくしのおっぱい様であるぞ。
「リリーティア。言葉巧みな奴を信じてはいけないよ。こういう奴が弱者を食い物にして、甘い汁をすすろうと考える最低な奴だ。ボクも人間を見てきたからよく分かる……大丈夫だよ、ボクがずっとそういう奴らの悪意から守ってあげる」
そうして決意と共にぎゅぅとわたくしを抱きしめるのは結構なのだが、言葉巧みに便乗してきた貴様の顔を、わたくしの左おっぱい様が若干受け止めているのだぞ。
「あー、もー……なんかそろそろいい加減にしていただけますでしょうか……? ジャンにその高いお鼻をそぎ落として貰っても構わないんですのよ……? あと、レト王子もヘリオス王子もわざと胸にお顔当ててるんだったら許しませんからね」
わたくしは二人の尖った耳をつまみ上げ、ちぎれんばかりに引っ張る。
「いたたた、ごめんなさいごめんなさい! 最初は偶然だけど、ちょっと気持ちよかったからもう少しいいかなって!」
「調子に乗って申し訳なかったです!」
捕獲したセミみたいに何事かをわめき散らしながら二人は離れてくれたのだが、わたくしの怒りが収まらなくなった。やっぱりわざとだったんだな。
「良いですか……わたくしは、一応わたくしのものではありますが……契約上いまいましいけれど、クリフ王子の婚約者です。それなのに、いくら年頃だからってあなた方は人のお胸に顔を埋めるとか、心の中を漁るとか、どういうおつもりです? わたくし起きて急いでラズールへ来たというのに、お風呂だって入ってないのに……いや、入っていれば良いというわけではありませんが……どうしてわたくしの心をズタズタに切り裂こうとしてくるのでしょう……」
「……リリーが快癒したから嬉しくて……口実作って抱きしめたかった……」
「……お気持ちだけでなんとか堪えてください」
気持ちは嬉しいですが、そんなことされても結局ドキドキしちゃうからダメだろ。
「リリーティアなら許してくれそうだったから……」
「そんなチョロくありません。罰として畑の雑草全部一人で抜いて貰います」
わたくしの怒りは最高潮ではあったものの、二人が一応反省の色を見せて……いる……ので、これくらいで許そうと思う。今のところは。
ほらまた話が飛んでしまった。
「……亡くなってしまった母上に、俺たちが余計なことを考えないようにってところだったね」
「ええ……そーでしたわね」
むしろ兄弟が数年ぶりに会って、これだけ落ち着いてお話ししたり、息の合ったどうしようもなさを見せているのだから、もうなんか過去になんかあったとか、どうでもいい気さえしてくる。
「……生き返らせようと考えるかも、とか……?」
ヘリオス王子がそう憶測を口にすると、レト王子が『そう』と頷く。
「愛する人の死は悲しい。それが親であれ、自らの友人であれ……特別な存在が、もう笑いかけてもくれないし話しかけても答えてくれないなんて、そんな辛いことはない。俺たちの事だけじゃなくて、父上はご自身の気持ちも含めた上で……何かとんでもないことを考える前に、遺体を燃やしたのだと思う」
「……だとしても、なぜ……言葉をかけることも、見届けることもしなかったのさ」
「……耐えられなかったから、ではないかと思うのです」
わたくしがそう告げると、ヘリオス王子は意外そうにわたくしを見る。
「リリーティアには分かるの?」
「分かるというか……当たらずとも遠からずではないかと思うのですが。だって、お二人には失礼ですが……魔王様は誰より魔王妃様を愛しておられたのでしょう。手の届かないところに行ってしまった魔王妃様の魂を……もしかしたらお身体ごと、魔界が豊かであったら……材料さえあれば留めて置けたかもしれない。そう一瞬でもお考えになったかもしれません。あるいは、母恋しさにあなたがたが思いついてしまうかも分からない。死んだ人を生き返らせようとする。あるいは、全く同じものをつくり出そうとする。人間の倫理では、やってはいけないことです。魔界でも……良くないから、魔王様は弔いとお別れの意味を込めて、そうなさったに違いありません」
それでも、幼子の前で泣きたくなかったし、燃えていく愛しい人を見たくなかった。
「……お二人に説明をしなかったのは、いずれ分かると踏んだのか……誤解されたままでも構わないと思ったからかもしれません。ああ、それなら少し……分かるところがありますわ。誰かを愛して、その人と今生の別れをするとしても……その人とのいろいろな約束や想いを、誰に分かってもらう必要はない。だってどんな言葉を重ねても、全部伝わったりしないし、伝えられませんものね」
要するに、言葉がないからみんな……こじれちゃったのだ。
あったって、なかなか理解できるものではないのに。
「それがヘリオス王子にはとてもショックで……ほかを思い出せなくとも、鮮明に残ってしまったのでしょう」
「……そう。自分がどう過ごしたかも分からないのに、そこだけ覚えてる」
「……母上は、ヘリオスのことをとても心配していたよ。まだ小さいのに、何もしてあげられなくて悲しんでた。俺は長男だし、父上のこともお前のこともよろしくねとは言われていた」
よろしくとはいえ、小さい子なので出来ることは限られてただろう。
魔王妃様もそこらへんは分かっていただろうけど、ヘリオス王子が家を飛び出すとは思いもしなかっただろうしなぁ。
「……ヘリオス王子。魔界に戻りません?」
「…………」
「これから魔界は成長していくし、忙しくなります。手が足りませんの」
しかし、ヘリオス王子から返事はない。
「喧嘩ならこれからもいくらだって出来ます。もう、悲しいことを繰り返さないために……王族としてしっかりしてくださらないと」
「…………」
やはり――返答はなかった。
「……リリー、それ以上言っても無理かもしれないよ。ヘリオスだって……俺の話を信じられないだろうし、自分が今まで抱えたものだってある。急にはできないよ」
レト王子がもう行こう、と言ってわたくしの肩をそっと引いた。
でも、またここで彼は一人になってしまったら……?
今度は取り返しのつかないことに……なってしまうのではないかしら。
「ねぇ……王族としてではなく、わたくしのためになら、動いてくださいますよね?」
レト王子の言葉を無視したわけではないけれど、気づいたらそうヘリオス王子に声をかけていた。