「質問していても鎖が増えるだけですし……こうしていてもやることがありませんわね。そうだ、そろそろ向こうに帰りたいのですけれど」
「暇だから帰るって言われても、もうボクのことをレトゥハルトが気づいてるんだ。はいどうぞってリリーティアを帰せるわけないでしょう? それに、帰ったところですぐ眠くなるし」
なるほど。それもそうだ。
「でもあなたのお顔を見ていてもね……」
「ボクはリリーティアと一緒にいることができて嬉しいよ。ただ、計画に狂いが生じてきているから……早く手直ししないと」
「手直しって……どのような?」
「教えるわけ無いじゃない。全く、誰のせいでこうなったと思っているんだい?」
ヘリオス王子の声に疲れがうかがえる。
誰のせいも何も、わたくしは自分を助けるために行動しているだけだ。
……そりゃ、レト王子がなんとかしてくれるかも~とか思わなくはないけど……わたくしだってまだ何かが出来る状態なら、それをまるっきりアテにはしないというか。
わたくしは王子様の助けを待っているだけのお姫様でもないし、わたくしにとって運良く何かが起こるならそれに越したことはないのだ。
「ところで、あなたはフォールズのどこにいるんですの?」
「教えない」
「お食事、召し上がらなくて良いのですか?」
「食、事……。い、いい。数日食べないのは慣れてるから」
それは――……いけない。
「きちんと食事は摂りなさい! あなたはどうせ骨と皮だけのヒョロガリ小僧なのでしょうから、いくら食べたって足りないくらいですのよ……ああ、もう……早くわたくしを解放して、魔王様にごめんなさいしてくださいな。そうしたら、あなたのお食事をたっぷり用意して差し上げます! 10キロくらい健康的に太るまで、たっぷりの食事で責め苦を続けてやりますわ!」
「なっ……、変なこと言って、動揺させようとするのやめてくれないかい? だいたい、食事なんて……そんなの……お腹に入れば良いさ」
「うっ……わぁ……」
わたくしは思わず沈痛な表情を作ってしまった。
目をぎゅっと閉じて全ての視覚情報を遮断する。
出来ることなら聴覚もオフにしたいが、そういうオプション画面やコンフィグ機能は普通の人間に搭載されていない。
とにかく、このヘリオス王子にも、レト王子と同じように不憫極まりない食生活の匂いがするのだ……!
普段何食べているのかを聞いてみたいが『ラズールや王都にある飲食店の、ゴミ箱に入っている残飯を拾って食べているのさ』とか言われたら、もうわたくしはヒロイン力をパージし、オカンスイッチがオンになってしまうじゃないの。
残飯食べているというのはわたくしの勝手なイメージ先行であって、ヘリオス王子の真偽は不明だが、仮に賞味期限はおろか消費期限切れてるっぽい食品を口にしているとしても、以前のレト王子よりは良いものを食べていそうである。
「…………あなた、多分……お金持ってませんわよね?」
「持っているように見えるかい? 服なんかは、路上で眠ってしまった酔っ払いから」「――もうやめて!! もうなんとなく分かりました……」
しかし、仮にも魔界の王子様なのだから、貧しいからと言ってあまり零落しすぎては困るというものだ。
「…………」
わたくしの必死さに、返事はしないものの『何か変なこと言ったら承知しないぞ』みたいな顔をしてこちらを見ていたが、はっと気づいたのか、自身の身体を隠すように抱きしめた。
「……身売りなんてしていないからね。奴隷商人に捕まりそうになったことはあるけれど、逃げてきた」
あ、ご無事で良かった。
あからさまにほっとしたようなわたくしに、キッと鋭い眼光が向けられる。
「お金が欲しいとか、裕福な暮らしが欲しいとか、そういう事はどうだって良いんだ! バカにしないでくれないかな!」
「バカになんかしてませんわ! 素晴らしいとは思いましたけど」
「……素晴らしい?」
「ええ……だって、一度くらいはすっごくお腹が空いて飢えてしまって『何か食べたい』とか『今日は寒すぎるから何か掛けるものや、風よけ出来るところが欲しい』と思ったことくらいはありますわよね」
「それは……ある、けれど」
思い当たるところはあるようだ。彼も言いよどんでから、小さく頷く。
「そう感じて判断が弱っているときに、手を差し伸べられたら……どうかしら。わたくしがついさっき、あなたに食事の話をしたとき僅かに動揺してましたわよね。お腹は空いているけれど入手する手段が億劫だったのか、アテがなかったのか……。でも、それがもっと極限状態の空腹や寒さだったら? 目の前に温かい食事が置かれたり、暖かそうな分厚い毛布がどうぞと差し出されたら、何も考えず手に取りたくなるでしょう? わたくしだって、同じ状況下に置かれたら……判断力が残っているかわかりませんもの」
しかも、どうしても成し遂げなければならない事がある場合は、なんとしてでも生き残りたいという意志の方が強く出てしまうと思う。
そうしたら、とりあえず食べておこうってなるじゃない。
毒が入っているかもしれない、こんなうまい話があるわけ無い、って考えるかもしれないけど……『毒は入っていないよ』とか『まずは暖まりなさい』とか、不安を消すような言葉を先に転がしておけば良いだけなのだ。
「手に取ったら最後、気がついたら後戻りできない状態になっているのかもしれないのです。堕ちるまでの一線は、一度やれば良いだけ。存外に……簡単にできてしまうのだと思うのです。あなたは……今までそう考えなかったのでしょう? それならある意味運が良かったし、意志も強かった。だから……」
そのままヘリオス王子の顔を見るが、彼は……急に饒舌なわたくしに困惑していた。
いけない、ご飯食べてるかどうかが気になったばっかりじゃなくて、ご飯どうでも良いみたいな言い方してたからそこから熱く語りすぎた……と思ったのでいったん言葉を切る。
「……あなたは、欲に飲まれず堕落せず、立派に頑張れたではありませんか。全然、人生だってやり直せるって思いますの……」
「…………」
すると、ヘリオス王子は泣き出しそうな顔をした後、ぷいとそっぽを向く。
この一族、なんか……繊細なんだよなあ。
「……壊れたものって、その当時には戻れないんだよ」
「形は違っても……新たに構築することも出来ますわ」
「じゃあ、リリーティアが自分の屋敷に戻ってやってみてよ……」
んぐっ、痛いところ突いてきましたわね。反論終了じゃないか。
口を閉ざしたわたくしに、しばらく冷ややかな視線をヘリオス王子は送っていた。
だが、何かを言うわけでもなく、膝を抱えて椅子に座ったままでいる。
やがて、その視線は外されたが、重苦しい静寂が場を支配した。
――わたくしたちの耳には、水が流れる静かな音だけが届く。
ヘリオス王子は、ぼんやりと水の柱を泳ぐ魚を見つめていたが……ややあって、リリーティア、と呼びかけてきた。
「…………リリーティアの、母さんってどんな人だった?」
「存じません。記憶も消えておりますわ」
「そうだったね……。ボクも母さんとの記憶、実はほとんどないんだ……」
「――えっ……無いのに、なぜ……復讐を?」
思わずそう問い返すと、おかしいよね、とヘリオス王子は乾いた笑みを浮かべた。
「母さんの思い出なんて……死んでしまったときのことだけを思い出すんだよ……そこだけで、ボクは復讐を考えていたんだなって思って……レトゥハルトや魔王は、ボクや母さんのこと何か言っていた?」
魔王様やレト王子の仰っていたこと……ないことは、ないのだが……情報として提供するには薄いような……。
「少しですが……聞きたければ、鎖を一つ外してくださらないかしら」
重要なお話ですもの、と言おうとした矢先………足首の鎖が外れた。
「あら……?」
「一つ外すから……教えて」
なんだか随分しおらしくなったなあ。いや、こちらとしてはありがたい限りだ。
「っ、そうまでされては、仕方ありませんわね……」
それで、少し考えを軟化させられたら良いのだけど。
わたくしは、ちょっと前のことを思い出しながら、唇をぺろりと舐めて湿らせる。
どうやら薄い情報を、それなりに頑張って話すことになりそうだ……。