この青年が、レト王子の弟さん……。
このホクロやシミのひとつすらないお肌や、左右対称の整った造形。
言われてみれば魔王家の血筋なのか、どこかしら気品あるイケメンぶりとか……、ちょっと精神的に闇を抱えた危ういところなんか特に、魔王様の息子さんだからと言われたら……納得できそうな気がする。
「驚いたかい?」
「え……ええ。それは、驚きますわよ……確か……生死不明……と伺っていましたもの」
素直にそう返事をすると、ヘリオス……王子……は、面白くもなさそうに鼻を鳴らす。
自分でネタ振っといてその態度はどうなのとは思うが、まだ命が惜しいので口にしなかった。
「生死不明ねぇ。あいつらは最初から探す気も無かったのだから、そう思っているのだろうさ……ボクが生き伸びたのも魔界じゃなかったからだし、あの地は本当に忌々しい思い出しかない……! あいつらも、魔界共々さっさと滅んでしまえば良かったのに」
罵るような強い口調。
心底嫌だというような気持ちがそこに乗せられていて、もはや悪意しか存在しないかのようだった。
「…………」
さて、どうするべきか……。
わたくしがここで何かを質問しまくることは可能だ。
何が原因でこうなったのか、彼がどうやって今まで生きてこられたのか……などたくさん聞いてみたくもある。
ただ、質問すればするほど、わたくしの身体に巻かれる鎖が多くなっていくのだろう。
その数が多くなれば……眠気も比例して強くなり、この場所に拘留される時間も多くなる、とも言っていた。
美しいわたくしが眠り姫になるというのは童話の世界のようでアリかナシか、というかビジュアル面で言えばアリ……ではあったが、口づけで起こしてくれるのは――……レト王子ではない可能性も高いって事か……。
こっちの彼も王子様なのだったが、もしかすると起こしてくれない可能性がある。
それで運良く夢から解放され、嫌々魔界から引き離されると……今度はクリフ王子が待っているのか……。
わたくしの周りには、ずいぶんと王子様がいらっしゃること……。
しかし、このヘリオス王子も……魔王の血筋、ヴィレン家の方々がそうであるように……【魔導の娘】というものの存在を感じられる可能性は大いにあったはずだ。
だったら、ヘリオス王子が幼い頃に地上に出てなんとか暮らしていたのだとすれば、レト王子よりもわたくしに早く気づき、探せる機会があった……なのに、今までなぜ大人しくしていたのだろう。
レト王子が『幼い頃に生死不明になった』というのだから、どちらの王子も両手で足りる年齢か、むしろ片手で足りそうな、幼児と言って差し支えないくらいのときだろう。
そもそも、何年も恨んだり憎んだりする執念が小さい子にあったの?
ない――とは言い切れないが、あったとするとすごいトラウマなのだろうし、とんでもない精神力だ。
いくら魔族とはいえ、年齢的に非力でスライム食でますます衰弱しているような王子様が、あの重たい倉庫の扉を開け、お腹も膨れないのに【魔導の娘】関連の本を読もうとするか? それは……難しい気がする。
そうなると、ずっと魔界にいるレト王子のほうが魔導の娘に関する知識を有しているだろう。
あ、待って。文字を読むことが出来たかどうかも不明な幼いヘリオス王子が、半ば本能的にわたくしを見いだしたとして……一体何が出来たのだろうか。だから今まで探さなかった……んっ? そうだとしたら、どこで【魔導の娘】という情報を知ったのか?
だめだ、質問しないとわかんないことが多すぎる。
「困ったなあ。リリーティアがしゃべらなくなっちゃったよ」
聞きたいことが多すぎて絞り込めないんだよ、と素直に言ったら喜ぶだけだろう。
「……こんなことをされて、誰があなたに心を開こうと思います? 何が危害を加えたりしない、ですか……大嘘つきです」
「嘘なんかついていない! これはリリーティアの事を守るために必要な措置だからだ!」
嘘つきと糾弾されたのがショックだったのか、身を乗り出して、わたくしの顔をじっと見つめて否定してくる。というか毎回顔が近いんで、やめていただけないだろうか。
顔が良いのはいいことだし、自信を持つのもしょうがないのだが、そんな毎度毎度見せつけようとしないで欲しい。
「拉致や鎖の一つだって、わたくしが望んだことではございません。確かに、地上に戻ることも魔界に携われなくなること……何もかもが嫌になりそうだとは感じましたが……このまま逃げていても、どうにもなりませんもの。関係ないとまでは申しませんけれど、あなたが魔王様やレト王子を恨んでいるのだとしても、わたくしの貴重な時間を奪うのはやめていただける?」
大人しく元に戻せと言っているんだけど、それが分かってない……わけは、ないはずだ。
わたくしとヘリオス王子はじっと睨み合う。
「――やれやれ、リリーティアは気の強いお嬢様だね。そんなところも好きだけど、こちらも計画があるから……帰してあげられないよ」
「計画……?」
どんなことをするつもりなのだろう。そう思ったのが顔に出ていたらしい。
「まだ教えない。リリーティアが分かった頃には……何もかも終わる頃になっているといいね」
何かを企んでいるのは明白だけど、わたくしがここでのんびりしている間に、魔界に危機が迫っている。そしていたずらに日時を浪費して、何も出来ず期日に近づいていくっていうのに……なんとか、起きている間に行動することは出来ないか……?
ああ、寝てるから無理かな……寝てる……そう、逆睡眠学習……とかは無理だろうか。
そうだ、強く念じれば……夢のことだって、少しくらい覚えていることだってあるんだ。
ほんの少しでいいの。わたくしがレト王子や魔王様に、この状況になったヒントのようなことを伝えることが出来たなら……!
でもこの場合、何を念じましょうか……『レト王子、大変です。魔界に危機が訪れている』なんてアニメ第一話とかの導入部分じゃないんだし、長いから伝える前に忘れそうだし『助けて』とレト王子に告げることをしても、きっと先日のマクシミリアンが持ち出した一件のほうと勘違いされるだろう。
……というより、もっと直接的な……そうだ、ヘリオス王子の事を口に出せば、なんでこいつこんなこと言うんだろう、って思うかもしれない。
後はレト王子の推察力というか、安楽椅子探偵力に頼るほか無い。
「……自分から起きる事って、出来るのかしら……」
「おや。帰りたいの? お散歩がてら送り出してあげても良いけど、まだ鎖も少ないし、自分から起きたいと思って起きることも可能かもしれないね……でも起きたところで眠いのは変わらないのだから、すぐ戻ってくることになると思うけれど?」
「……構いませんわ。ずっとあなたの顔を見ていると、文句しか出ませんから」
「またそんな意地悪なことを言って……いいよ、いってらっしゃい。リリーティアが起きていた時間、計っておいてあげるよ。頑張って起きていてごらん」
部屋がまた暗くなっていく。これは何回も見ていたから分かるけれど、目が覚める前の現象だ。
――よし、リリー、いいわね。ヘリオス王子はどんな人だったか。それをレト王子に聞くのよ。
レト王子にヘリオス王子のことを聞く、レト王子にヘリオス王子のことを聞く、レト王子に……と、わたくしは目が覚めるまでのぎりぎりまで、ずっとその言葉を念じていた。
……。
…………。
「……う……?」
「――リリー!! ああ、良かった……! 声をかけてもずっと寝ているから、また具合が悪いのかと心配したんだよ」
……ちょっと仮眠するだけと思ってベッドに入ったはずなんだけど、なんか、まだ眠い……。
というかレト王子の声が聞こえたような……。
ゆっくり目を開けた途端、泣き出してしまうのではないかと思うくらい心細そうな顔をしたレト王子がすぐそばにいて、わたくしは起き抜けにとてもびっくりした。
推しの顔はいつでも良いものだ。
眼福でしかないが、じっと見つめていると動悸が激しくなるので健康を害する。
脳と身体に負担がかかりすぎるので、推しと至近距離で見つめ合うのは医者に止められるかもしれない。
「レト、王子……? な、なぜ、わたくしの部屋に??」
「ノヴァが何回呼んでも起きないって言うから、様子を見に来たんじゃないか……。今朝食事を摂っているのを見たっきり、誰も君を見ていないって言うし……本当に大丈夫?」
「はい。たぶん…………すごく眠いだけ、です」
「そういえば最近、しきりに『眠い』ばかりを聞いているような……夜更かししているどころか、寝てばっかりだからいけないんじゃない?」
上半身を起こし、髪を手ぐしで直しながら、わたくしも『そうですね』と頷く。
「そうだ……今何時でしょうか。わたくし――……何か、しようとしていて……そう、そうだわ……レト王子に……何かを言おうと……」
「俺に? っ、どんなことでもいいよ。何? 落ち着いて、ゆっくり話してごらん」
そっとわたくしの目線に合わせるようにベッドサイドに屈むと、優しい目で見つめてくる。
ああ……心配そうな顔も抜群にいい……。
この顔にやられる女の子は星の数ほどいるのだろうなと思ってはいるのだが、いかんせん最近ますますかっこいいし、わたくしにはこの通り心を開いてくださっているので、なんかもう……のぼせてしまいそう……じゃなくてのぼせ上がっているかもしれない……。
そこまで分かっているのに、ついうっとりと眺めてしまい……何も話さないことに疑問を持ったレト王子が、どうしたの、と声をかけてきた。
「今日も顔が……いえ……」
「顔?」
「顔だけじゃありませんわ。大丈夫です」
「ごめんね、ちょっと……言っていることがわからないんだけど??」
レト王子が不審人物を見るような顔をしはじめた。
そりゃあ話したいことがあるとか言って、黙っていたあげくに顔がどうのこうの言い始めた。とっても気持ちが悪いだろう。
違う……なんか、大事なことを言おうとしたような……顔が良すぎて忘却力が上がってしまったじゃないか。すごく聞かないといけないことっぽかったのに……。
「レト王子に……」
「うん……」
「聞く……レト王子に……」
「う、うん……?」
おっ、思い出した!!
「――ヘリオス……?」
なんで、自分からよく知らない名前が出てきたのかは分からないが……レト王子はあからさまに動揺した。なんだったら、口にしたわたくしよりもびっくりしていた。
「……どうして、ヘリオスのことを……?」
「え……そう、ですわね……なんとなく……」
そう。なんとなくだ。それ以上の事は多分ない。
しかし、レト王子は言いづらそうに視線をそらし、ほかのことを聞きたいのかと思ったのにな、と漏らす。
「……ヘリオスのことは、前に生死不明だって話したよね……?」
「……そうでしたわね……じゃあ、当時のことを伺っても……?」
すると、レト王子は嫌だ、と首を振った。
「あのときの事……思い出したくないんだ。それなのに、口にしたら……また鮮明に思い出すからもうあれ以上のことは……ちゃんと話せなくてごめん」
「……では、無理には伺いませんわ。思いつきで嫌なことを聞き出そうとして、申し訳ございません」
「ううん。きっとリリーにとっては意味のあることだったと思うけど……」
そこから、また気まずい雰囲気になってしまった。
何かを話そうと思ったが、それを考えている間にまたあくびが漏れてしまった。
「ふぁ……失礼……ごめんなさい。寝たばかりなのに……いえ、起きたばかりなのに、かしら……」
「少し散歩でもしようか? そうだ、父上も心配していたよ。起きたよって顔でも見せてきたらどうだろう」
「――……嫌です」
妙にはっきり、わたくしは自分が魔王様への面会を拒否したのを聞いた。
「……散歩は構いませんけれど、今は魔王様にお会いしたく……ありませんわ」
「そんな……父上に会わないという理由を、聞いても良いかな」
「…………こんな、だらしない毎日を過ごしているのを見られたく……ないので……」
自分で『だらしない』し『いつか怒られてしまう』とは感じている。
申し開きは出来ないので、見られたり呼び出しを受けて叱責されても仕方ない気はするのだ。
それに、毎日ぐうたらしている魔王様が……ちょっと数日ぐうたらしたわたくしへ何か言うことができるのかという気もしなくはない。
なのに、なぜわたくしは断固拒否するほどに『嫌だ』と思ったのだろう。
わたくし自身が不思議そうに首を傾げるのを見て、レト王子は困ったように腕を組み、納得しかねるらしくふむ……と小さく唸ると目を閉じた。
そこから、レト王子の中で何らかの会議が行われているらしい。
だんだん彼の眉間のしわが深くなり、わたくしがとりあえずベッドから降りようとすると押しとどめられ、声をかけようとすると待ってと止められるのだ。
まさかレト王子から怒られるのでは……と緊張はするものの、何もすることがないとまた眠気が襲ってくる。
うつらうつらし始めたときに、名を呼ばれた。
まぶたを開けたとき、レト王子がわたくしの肩を掴み……、緊張の面持ちでベッドに片足を乗せていたのだ。
「えっ……?」
レト王子はベッドサイドの光量を小さくすると、わたくしの顔をじっと見つめる。
「…………リリー……ちょっと、俺の目を見て……」
何がどうなってこうなったのかは分からないが、レト王子の様子がいつもと違う。
「……そんな、近い距離で起き抜けを……あの……何を?」
「顔は後で拭いてあげる。あと、不埒なことをしようとか……そんなことは今考えてない。俺の気のせいじゃなかったら――君は、絶対おかしい」
そう言って、わたくしの頬を両手で挟むように固定すると目をのぞき込む。
確かに不埒なことをするつもりなのかと身構えてしまったが、だからって『おかしい』とは何だ。
確かに一瞬でもそういうことを可能性の一つとして思ってしまったのは申し訳なかったけど、ちょっと『おかしい』まで来ると失礼すぎるじゃない。
「無理矢理覗くから気持ち悪いかもしれないけど……後で、いっぱい説教して貰って良いから」
そう言ったレト王子は、動かないで、とわたくしを制する。
心なしか、彼の金色の目はますます輝いて見えた。
途端……ざわざわと、頭の中にさざめきがおこる。
――たくさんの話し声が増幅されるような、ズキズキするような……味わったことの無い感覚で気持ちが悪い。
「い、や……! レト王子、なんか怖いっ、やめてください……!」
集中しているせいなのか、彼は返事をしない。ただ、彼自身も苦しそうな顔をしている。
目を閉じることは出来ず、顔を背けようとしても抑えられ、頭の中の音が大小ごちゃごちゃになって聞こえる……!
それなのに頭の中には、傷の中に冷たいものを差し込まれたかのようにズキリとした痛みのある感覚と、はっきりとした新しい音が遠慮無く入り混もうとしていた。
ざり、ざり……と、何かが胸のもっと奥を擦るような、はっきりした不快感。
とにかく形容しがたく味わったことのない感覚が――身体に得体の知れないものが入ってくるのが怖い。
「嫌ぁぁッ!!」
これ以上、わたくしを乱さないで……!
レト王子の胸をどんと強めに押すが、彼はびくともしなかった。
「興奮しないで……リリーが荒れると、内部に傷がつく。あと、悲鳴も出さないで。俺が動揺して、感覚が狂って穴を開けてしまうかもしれない」
「ん……っ」
ぐっと口を手で塞ぐように押さえられて、しゃべることも出来なくなった。
何これ? わたくしに何をしているの?
一体レト王子は急にどうしてしまったのだろう。
まだ、頭とも胸とも分からない……身体の中を感覚的に探られている。
時折強い痛みが走って……くぐもった声を上げてしまう。
「ん、んんっ……!」
「声を殺して。もうちょっとだから……」
もうちょっとが延々と続く気さえする。声が出せないので、ぎゅっとシーツを握って耐えた。
あまりの不快感に、気をやってしまった方が楽なのではないかとすら思ったのだが……生憎とそれはかなわなそうだ。
わたくしは、魔王様に面会したくないと言っただけだ。
それがことのほか……彼の気に障ることだったのだろうか……。
どうして良いか分からず、何かが終わるまでわたくしが震えながらじっとしていると、レト王子の力が解け、すまない、と弱々しい声がした。
「乱暴なことをしてしまって……怖がらせてごめん」
「…………」
わたくしは許すともなんとも言えず、ただ涙を流して、身をこわばらせるだけだ。
「ごめんね……俺も慣れてなくて……痛かった、よな……」
「…………理由を、説明してくださいますか……?」
これがもし愛情表現だというなら、わたくしは多分レト王子を矢の的にしても怒られないはずだ。
かといって素直にイジメだというのなら、恐ろしすぎるのでもう少し物理的な痛みの方でよろしくお願いしたい。
「……リリー、君は一体……どうなってる?」
困惑した声を出されたが……そんなもん、わたしがあなたにまず問いたいことだ。
「どうって、ただ……お会いしたくないと言っただけです……」
「そうじゃなくて……探らせて貰ったけれど、君の身体から心というか……精神が、なかにないんだ……!」