【悪役令嬢がリメイク版で敵側のヒロインに昇格したのに、恋愛どころじゃないんですけど!/99話】


 詳しいことはまた決めてから追って連絡する、と言って……その後、すぐにマクシミリアンとは別れた。

 去って行く馬車を見送りながらも、わたくしは頭の中が彼が告げた言葉でいっぱいだ。



 王都に戻される。

 魔王親子と……みんなとも、会えなくなる。



 つまり、わたくしは……役目を他者によって強制的に……なくす……。


 もうそのことしか考えられなくて、頭を切り替えて考えないと、と思っても……無理だ。胸に抱えていた不安が、とうとう形を持ってわたくしの前に現れたみたいだ。


「リリー……顔色が……ううん、俺には気分も悪いように見える。今日はもう帰ろう。買い出しは今日じゃなくても充分間に合う」


 レト王子がわたくしの肩にそっと手を添えると、顔をのぞき込むようにして声をかけてくれる。

 自分がどんな顔をしているかとか、そういうことにまで気分が回らなかったので、レト王子の気遣いはありがたい。


 わたくしは胸で暴れる不安と動揺を抑えるのに精一杯で、か細く『ええ……』と答えて頷くだけしかできなかった。


 魔界に戻って、とりあえず気分を落ち着かせて考えよう。

 自分だけで考えがまとまらないなら、みんなで話し合えばいい……。


「レト、すみません……せっかく気持ちよくラズールへ来たというのに……こんなことに……」

「いいんだ。俺より、リリーのほうがずっとびっくりしているじゃないか」

 そう言ってわたくしのことを慰めてくれるレト王子だって、表情は硬い。



 それでも人のことを気にかけてくれるなんて、この人はなんて……ほんとに……あ、だめだ、ここでいろんな感情を爆発させて泣いてしまうわけにはいかない。



 わたくしたちはそれ以後あまり言葉を交わさぬまま、ラズールの大通りに所狭しと並ぶ、賑やかな露店を見物せずに通り抜け、街を出る。


 森の中に入って、周囲を確認したレト王子は……いつものように転移陣を敷くため精神を集中させていると――ハッと後方を振り返る。



「――……」

「……?」

 わたくしもそちらの方に視線を向けたが、誰もいない。左右を見ても、特に……誰かがいる感じはしなかった。


「……どう、されたのです?」

 そう声を潜めてレト王子に尋ねたが、彼は周囲をもう一度注意深くじっくり見回し……息を吐いた。



「いや……誰かが隠れてる感じもしないし、使い魔の類もない。気のせいだった……みたいだ。ちょっと俺も気が尖っていて、いつも以上に過敏になってるみたいで……驚かせたね。さ、帰ろう」

 にこっと安心させるように彼は微笑むと、もう一度神経を集中させ、わたくしたちは魔界へと転移した。




 魔王城の前に転移したわたくしたちは、幸いにして誰にも会うことはなく……自分の部屋の前でレト王子とは別れた。


 誰かに会うのが嫌だったというよりは、冷静にならぬまま『何かあったの?』と聞かれても、きちんと順を追っての説明をしたり、相談して耳を傾ける自信も無かったからだ。


 多分、レト王子も同じだろう……けれど、もしかしたらあの足で魔王様の居室に赴き、お話しされるかもしれない。



 何もしたくない気分で正直着替えすら億劫だったけど、服がシワだらけになるのも嫌なので、チュニックを脱いで部屋着を引っ張り出して着替えると……そのままベッドに倒れ込むようにして転がる。


「……はぁ……」


 ため息が自分の口から漏れて、心は鉛でも流し込まれたかのように重くて苦しい。


 何が一番ショックだったのか、自分自身でも分からない。



 それくらい、マクシミリアンが持ちかけた話は全部――嫌なことだった。



 学院に通うことなんて、わたくしにとってもう意味を見いだせない。

 しかもクリフ王子の婚約者だっていうだけで、彼の体裁を保つ意味もあって一緒に通わせるというだけなのだ。


 社交界どころか、人前に数年間姿を見せなかった令嬢など、そばに置く意味があるのだろうか。そう思ったらむかむかして腹も立ってくる。


 全くもってくだらないと、何のしがらみもないわたくしには一蹴できることだけれど……『将来的に国を担うというクリフ王子と、その婚約者が不仲である』なんて噂話(ゴシップ)が流れるようになっては、確かに嘲笑を浴びてしまったり、これを好機とみた貴族からのアピールがあっては、ローレンシュタイン家の不興を買うことにもなり得るだろうし、様々な誤解を招くことにもなりかねない。


 そもそもいけないのが婚約もまだ解消してないところだ。すると言って何年経ったんだ。するする詐欺だ。



 その、学院に通うことより……半年後……ローレンシュタイン家に戻されるってことだ。

 そこで、一体どんなことが……ああ、貴族の方々の顔合わせとか、社交用の教育とかを施されるのかもしれない。



 わたくしは伯爵令嬢である必要がないのに……。


 愛着も湧かない両親と、アリアンヌの顔を見て過ごす……うわ、両親はともかくアリアンヌに『お姉様、お姉様』と語尾にハートつきでつきまとわれるのは最悪だ。




 そして、魔界にも携われないし――……レト王子にも、会えなくなってしまう……。




 そう思うと胸が切なく痛んで、地上に戻りたくないって……嫌だと全部放り出して泣きたくなる。

 魔界のことを大好きなのも本当だし、仲間のことも信頼しているし好ましく思う。


 でも、レト王子は……魔王様の息子だからというだけじゃなくて、わたくしはそれ以上の気持ちを――抱いている。


 彼に微笑まれたり名前を呼ばれたら嬉しいし、抱きつかれたり肩に触れられただけでもドキドキしているというのに。皆との関係を終了しろとマクシミリアンは告げていた。


「そんなの……、できるわけありませんわ……」


――レト王子と……離れたくない。



 彼はわたくしに、挨拶のような素直さで好意を示してくれるけれど……本当はそんなことないんじゃないか、女の子同士がじゃれ合って好きだというような、そういう恋心のない親しみなんじゃないかと、そう思って期待しないようにしていたのに。


 それでもいいから、一緒に魔界のために活動できれば良い。

 そうして、自分の気持ちも分からないふりをしていけたら……良かったのに。


 好きだと言ったところで、半年後には離れなければいけない。

 言わなくても、半年後には結局別れることになる。

 レト王子の心に、深い傷を残さないのはどちらなのだろう……。


「……今まで通り、接すればいいだけのことですわ……」

 目元に溜まる涙を手のひらで拭い、鼻をすする。誰も近くにいなくて良かった。



――ああ、半年の期限しか残っていないなら、わたくしは、自分のことを考えていられる場合じゃない。魔界の復興をできる限り進めていかなければ。




 だって、わたくしの【魔導の娘(ヒロイン)】としての役目は……それで最終期日(おわり)かもしれないのだから……。




 そう自分を奮い立たせるも、身体が異様に怠くて起き上がれない。

 マクシミリアンに会ったから気疲れでもしたんだろう。




 ああ、次に会うことになったら何か嫌味の一つでも……言ってやろう……。



 そう思っているうちに、わたくしの世界はだんだんと狭まっていく。



 灯りもつけっぱなしなのに、まぶたが……重くて、瞬きの回数も減って……。




……





……。

…………。





――小魚の群れが、窓の外で気持ちよさそうに泳いでいる。



 水中で銀色の鱗が僅かな光を受けてきらきらと輝いて……ただそれだけなのに、普段見ることがないような幻想的な光景のようだった。



 わたくしはまた、白い椅子に腰掛けたまま窓の外を眺めていたらしい。



『リリーティアは、魚が好きなんだね。気がつくといつも外を眺めてる』


 わたくしの真向かいで……見知らぬ青年がクスクスと笑った。


 暗ければ黒と見まごう、艶やかな濃紺の髪。

 頬杖をついている指の間から、短い毛先が覗いている。


 ショートカットに切りそろえているのかと思いきや、首後ろの髪が一部だけずるずると長い。結んでいるのかそのまま長いのかは見えないから分からないけど、この人にはよく似合っていた。


 この人は落ち着いていて……街で見かけたら、思わず振り返ってほぅっとため息をつく女性が多数いたであろう……というのが予測できるくらい飛び抜けた美形なのだが、わたくしは美形ばかり目にしすぎてそろそろ目が慣れてきてしまった。これくらいの美形はこの世にウジャウジャいるというほどでもない(と思う)のに、なんとももったいない話だ。


 テーブルの上に置かれたキャンドルが、ゆらゆらと踊るように揺れて……影が一瞬、青年の笑みをいびつなもののように変えた。


「……っ……」

『……どうしたの? 誤解が無いよう言わせて貰うと……リリーティアはボクを初めて見たわけじゃないよ……記憶をなくす前までは、ずっとこうして会ってたんだけど。ボクにとっては、とても楽しい日々だったのさ』


 彼は金色の瞳を優しく細めた――……ん? 金色?



「……あなた、魔族――だったのですね」

「ああ……うん、そう。でも、この目に今も昔も特に驚きはないんじゃないかい? 少なくとも、子供の頃に『不思議だけど可愛い』とボクを褒めてくれたのは君だけさ」


 にっこりと再び屈託なく笑い、彼はわたくしの目をじっと見つめてきた。


「な、なっ、なんですの……?」

「リリーの目の色も、とっても澄んでいて日の当たる海のように青くて、綺麗なんだよね……。前はずっと、ボクが見ていたのにさ。君が成長してしまったら至る所が綺麗に見えてきて、たまに不思議とどきどきしてしまうよ……何でだと思う?」

「知りませんわよ。わたくしが分かるのは、自分が美少女だということだけですもの」

「っふふ……、そっか、面白いね」


 何が面白いんだ。わたくしは本気で思っているぞ。


 彼はどうやら昔を懐かしんでいるが、やはりわたくしには彼のことを思い出せそうにない。

 というか、ドキドキするのは何でだと思う? なんて、ナゾナゾでも出題しているのではないなら、よくもまあ詩人みたいな恥ずかしい台詞をべらべらと人に向かって言えるものだ……。


「……この間、わたくしに危害を加えたこと、まだ怒ってますからね」

 にこにこと嬉しそうにわたくしを見つめている青年の雰囲気に飲まれかけたが、はっと気づいて――いつだったか……のことを指摘する。


 すると、少年は目を見開いて……ごめん、と謝罪してきた。

 感情よりも先に謝罪がとっさに口をついて出たような、そんな感じ。


「本当にごめんよ、あれは……ううん、言い訳になるけれどね、癇癪を起こしてリリーティアを……ごめん……」


「もうしないことと、誠実に応対してくださると仰るならば許します」

「する、絶対に誠実に応対するよ。リリーティア……」


 縋るような目をしながら、わたくしの手を勝手に握って懇願する。

 これがイケメンじゃなかったら、わたくしのほうが奇声を発しながら彼の顔にパンチを繰り出し、危害を加えているかもしれないところだった。


 イケメンであるということは、こういう場合も得をするんだぞ。

 自分の顔に感謝しておくんだな。


「……わかりました。あなたの言葉、信用することにいたします。でも、また同じことをしたら……」


「リリーティアに暴力を振るったりしない……だから、君がいなくなったら……もう、君を失うのは怖いんだ……遠くに行ってしまわないでおくれ……」



「あ、あら……」




 なんだ、こいつは。急にしおらしくなって、わたくしがヒョロ小僧やダメ男を放っておけないと知っているのか……?




 手を握ってきたことにはびっくりしたが、こんな雨の日の捨て犬みたいな顔をされては、わたくしも冷たい態度を取りづらい。いっそ高圧的に出てくれたらまだやりようがあったものを……。


「とりあえず、わかりましたから座ってくださいまし……ええと……あなたの名前は、なんと……?」


 そう優しく問いかけると、彼はわたくしの目を近い距離でまじまじと見つめ、ふふっと微笑んだ。


「リリーティア……『一回会ってくれるたびに君の質問に一回答える』って前回教えたよ? 今回はもう、君の要望に応えて顔を見せたんだから……これで一回分はおしまいさ。でも、そうだな……ボクの目を見て……」


「どうでもいいけど近ッ――……」



 少し離れろと文句を言おうとした瞬間、頭の中心が痺れるかのような……そんな感覚がして……あれ、と思う間もなく身体が傾く。




 倒れないようにとテーブルに肘を乗せて抗ったが、明らかに、なんか変だ……!



「な、に……を……」

「こうして眠るたびにリリーティアに会おうとボクは頑張っているんだけどね、昔は二人とも地上にいたからすぐに精神接続(コネクト)できたけど、魔界と地上は距離が遠いから今は難しいようなんだ」



 身体にうまく力が入らない。



 頭が痛くて、これは絶対なんか変だと分かっているのに……目を逸らそうと思っても、縫い止められたように彼の目を見据えてしまう。


 頭の奥、いや、心の内側? とにかく、わたくしの心というか思考というか……何か得体の知れぬ冷たいものが入り込んできて、ざらっと繊細な部分を撫でている。

 感覚的なものを言葉にするとそれが一番説明しやすい。


「い、や……!!」


 不快感と恐怖が満ちる。


「危害を、加えないって……!!」

「加えてないさ。ちょっとおまじないをかけるだけ……」


 フフッと無邪気に笑いながら、彼はわたくしの髪を一房手に取り、さらさらと手のひらから滑り落とす、というのを繰り返す。


「……綺麗なリリーティア。ボクのことも思い出して。でも、その前に……あいつから少しずつ切り離して……ああ、君を縛り付ける人間どもからも切り離してあげられたら、リリーティアはもう胸の痛みに苦しんで泣かなくても済むようになるんだよ」


「勝手に、そんなことを決め……ヒッ……?!」

 口だけは動くので、このヤバそうな青年に文句を並べようとするが、目の前に差し出されたものを見て……思わず声を引きつらせた。



 簡易的な錠のついた金色の鎖だ。



 それが、意思を持つかのようにくねくねと動いていたのに……わたくしにビュッと飛びかかってくる。避けることも出来なかった。


「精神接続のための補助……そして、リリーティアの心を一時保護するためのものだよ。これで、少しリリーティアと会う回数が増やせるために必要な処置だ」


 説明されている最中に、鎖はわたくしの腹部に絡んで、白い椅子へ縫い付けるように巻き付くと……がちゃりと鍵がかかる。


 いわゆる拘束された状態だ。


「――! ちょっと、離しなさい! レディに一体なんてことをなさるのです!」


「そう怒らないで。リリーティアだってボクが誰か早く知りたいだろうし、ボクだって昔のようにたくさん君と話したいのさ。だから、君に会うたびに質問にも答える。でも、起きて誰かに……あいつらに話の内容や名前、姿を教えでもされたら困るんだ。だから、会うたびにリリーティアの行動をこうして抑制していく。ボクに早く会いたくなるように、長く一緒にいられるように、睡眠時間も多く取って貰うよ」


 嬉しそうにとんでもないことを言ってくれる。


――このイケメン、危なすぎでは?


 ジャンのように斬るのが好きというわけではなく、セレスくんのように何でも世界の平和につなげるでもなく……いわゆるメンヘラ男子、なのでは……?


 いや、ちょっとサイコみもある……などと観察している場合じゃない。


 めっちゃくちゃ美形であろうと、もしかしたらリメイク版の隠しキャラにあたる人物かもしれなくても実は普通に攻略対象者だとしても、わたくしはまさかの『知らない男子と密室監禁メリバエンド』などに落ち着きたくない!!


「お断り、いたしますわっ……!」

 じたばたと身をよじってみたりするのに、鎖は緩む気配すらない。


「それはいくら暴れても外れないよ。さ、リリーティア。今日はこのくらいにしておこう……また会おうね……?」


 音もなく青年はわたくしから離れた瞬間、わたくしの意識があらがえぬ眠気に襲われていく……。


 いやだ……。寝たら、わたくしいったい……どうなってしまうの……?


 部屋か視界が真っ暗になるまで……青年はわたくしのことをじっと見つめて、にっこりと笑みをその綺麗な顔に貼り付けていた。



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こめんと

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