魔界にドラゴンが降り立ち、疑似太陽が浮かぶようになって、この地は大きな成長を続けている。
季節が巡るのは早いもので、あれからまた一年が過ぎた。
水の属性素材が足りないから、作るのに手を拱いていた装置も……ブルードラゴンが辺り構わず雨を振り散らし、グリーンドラゴンが己の特性で緑を増やす(効果を促進できる)らしいので……なんと魔王城周辺に平原ができて、まだその範囲を広げつつある。
ブルードラゴンは離れた地域に氷の粒をまき散らして遊んでいるし、疑似太陽の動力の一端を担うレッドドラゴンの巣の周りは真夏のように暑い。
魔界にも寒暖差の激しい部分ができはじめていた。
そして――見つけた当初、ドレイクに噛まれて傷を負っていたライトドラゴンは、現在すっかり元気になってあの巨大岩山の上にそのまま巣を作った。
ブラックドラゴンは魔界と呼ぶ地にふさわしいような、退廃した環境を作り出している。
いつの間にか土を砕いて深い沼を作ったと思えば、そこに酸のブレスを吐いて身を沈ませている。周囲に生え始めていた緑の草木は残念ながら枯れてしまったが――なぜか……見たこともない、黒っぽくてホワホワした毛(胞子かもしれない)を蓄えた謎草や黒い木が生え始めている。
レト王子は瘴気がどーのこーのと教えてくれたが、要するにブラックドラゴンが住む環境はこんな感じらしい。これはこれで、そういう場所を好む生物もいれば……いいんだけどね。
時折、ドラゴンの鱗が落ちていることもある。あと脱皮? の殻。
脱皮はまあいいとして、鱗なんていうあんな堅いものが自然に剥がれることなんてないのでは? と思うが、どうやらじゃれあったり喧嘩もして、そのときに剥がれることがあるらしい。
病気で剥がれたりしなければ、また生えてくるそうだ。ドラゴンすごい。
もちろん、剥がれ落ちた鱗は回収し、素材としてありがたく使わせて貰う。
結果、ドレイクのところに何度か足を運んでいるレト王子がお土産に太陽の石を貰うので……魔界の疑似太陽はもう二つ増え、ライトドラゴンとレッドドラゴンのブレスや光などを魔方陣で吸収し、離れた場所で照らされている。
ドラゴンという驚異的な存在と、エリクの作った成長促進剤の相乗効果で、おそらく通常の何倍もの速度で植物は育っていった。
二年前に植えた木が、木材としても使えるくらいの太さになってきたのだ。
異様な成長速度ではあるが、環境というのはこうやって作られていくのだなあ、としみじみする。
しかも、レト王子が地上の平原・森林・沼地・山岳地域など、あちらこちらに赴いて魔物の気配を探り、説得して連れ帰ってきた小さな魔物なども多い。
一度、おびただしい数の鳥や虫を連れてきて、好きなように暮らすといい、なんて言いながらそれを魔界に放った瞬間などは……有名な映画のワンシーンのようなおぞましさと禍々しさを感じた。
とにかく、この一年の間にわたくしたちの魔界は――いつの間にか植物が咲き、虫は花粉を運び、鳥がついばみ、獣たちがその鳥を狙い、大型の獣をドラゴンたちが獲物にしようとその機会を窺っている……という、生産者・消費者のちゃんとした食物連鎖ヒエラルキーが出来上がっていた。
「……魔界で、蜂蜜がとれるなんて……当初は思いませんでしたわ」
わたくしが瓶に納めた黄金色の液体をうっとりと眺めていると、ノヴァさんが全くですねと笑った。
「……羊毛も収穫できるようになってきましたし、養蚕ができれば産業としてはそろそろ可能かと存じます。問題は……織り手がいないことですが」
「織る奴がいねーなら、できねえじゃねえか」
「それもそうですが……いっつも暇なら、自分がやればいいでしょう?」
「そんな眠くなるようなことを、なんでわざわざ薦めてくるんだよ」
ジャンとそんなしょうもない話を交わしあいながらも、ノヴァさんが焼いてくれたほかほかのスコーン。
きらっきらの黄金色をした蜂蜜をとろりと回しかけていく。
生クリームはまだ地上の品だが、魔牛さんも見つかったから、数年もすれば心を許して乳搾りをさせてくれるかも……そちらも、一体どんな味がするのかしらね。
「……ふむ、薄めの味だ……さすがに地上の蜂蜜のほうが濃厚ですね」
ノヴァさんも蜂蜜をスプーンで取って一口舐め、正直な感想を言う。
「まだ花の種類や咲いている面積も少ないのですもの。蜂の種類によっても、集める花の種類が変わったり、味わいも違うと書籍にありましたわ」
「それは素晴らしい書籍ですね。もしお持ちなら貸していただけないでしょうか」
「ええ。では後ほどお持ちいたしますわね」
「楽しみにしています」
ノヴァさんの耳がぴぴん、と素早く左右に動いた。うわっ、かわいい……。
どうやら文武両道・家事もお手の物という、何でもできるスーパー家政夫みたいなノヴァさん、ガーデニングや野山の物を収集するのがお好きらしい。
言われなくとも勝手に花壇を作り、畑の手入れをし、蜂が増えたと知るや花をいそいそと植えて蜂の巣箱まで作ってしまったのだ。
そろそろ魔界で穀物を植えようという話にもなり、ノヴァさんは農業の本などをよく読んでいる。勤勉である。ジャンも見習って欲しい。
「……素材が僅かばかりでも蓄えられるようになり、倉庫も城の一部に作ったけど……やはり、まだ不便なこともあるんだな……」
レト王子が自分でまとめた倉庫のリストを眺め、いろいろと考えているようだが……またかわいさが消えてイケメン度が上がっている。
『一年前までイケメンだったのに、一年後はもっとイケメンになっている』という意味の分からなさが言葉や文章で伝えきれるとは思わないが……実際に身長も伸び、体つきは男らしくしっかりとしたものになって、シュッとしたイケメンになってしまったのだ。
五年後が楽しみなどと三年前は思っていたが、これ以上イケメンになったら何がどう変わるのだろう。全身から輝き(オーラ)を発し、光の化身にでもなってしまうのではなかろーか。
これまたイケすぎているメンズである魔王様に『なんちゅうイケメンを作ってしもうたんや……』と、文句などより涙ながらに訴えて、その素晴らしい美形遺伝子を褒めちぎるべきだ。
かくいうわたくしは、といえば……ほぼ想定通り、あの麗しい完全なる美少女――リメイク版ピュアラバのパッケージ絵のままである。
だが、のほほんと魔界生活をエンジョイしていたので、氷のような鋭さ……つまり、意志の強さを乗せたクールな印象……が足りていない。
クールで影のあるパッケージイラストイメージが、ちょっとした秘密を持っているつり目の美少女、になってしまったのである。
ミステリアスな美女が魔法少女になってしまったくらい……【魔道の娘】のイメージとしては低下している気がする。
史上初として後世に残るかもしれないのに、実はパッとしない小娘だった、とか言われては困るのだ。
ミステリアスってどう印象づければ良かったのかしら……!
色気がわたくしに足りなかったのかしら……そ、そうね、そこは認めなければならないわね……。
セクシーさはステラさんに習ってきた方が良かったんじゃないかな……。
「リリー、難しい顔をして何を考えているの?」
わたくしがスコーンを食べる手を止め、眉を寄せながら一点を見つめていたので、気づいたレト王子が気遣わしげに声をかけてくれた。
「色気とミステリアスさをどう磨いて出すべきか……あっ……」
聞かれたので思わず声に出してしまったが、口を押さえたときには全てが遅かった。
ノヴァさんもジャンもわたくしを凝視し、レト王子は紅茶を飲んで気を落ち着かせているようだった。
エリクはスコーンにクリームをたっぷり塗っていて、多分こっちの話を聞いていない。
「……なんで、そんな……ものを……?」
言葉を必死に選んだ結果、要領を得ない問いかけになってしまったようだ。
ぎこちない笑みをわたくしへ向ける。
「いっ、えっと、えー……その、緊張感のない顔に育ってしまったので、もう少し優美な立ち居振る舞いを……と理想を抱いて、おほほ……」
「エロガキは脳みそがすっからかんだから、顔に緊張感が無ぇのは当たり前だろ。普段からろくでもないことを考えてるからだ、バーカ」
辛辣で鋭いジャンの指摘が、わたくしの滑稽さに追い打ちをかける。
「エロガキではございませんと、何度も言っているでしょう! ジャンこそ、自堕落なヒモ男のような生活をして……!」
「おれはきちんとやるときはやってるんだよ。それまで力を温存させてるだけだ。そもそも……男女の駆け引きを何も知らんガキに色気が出るわけあるか」
直接的な表現を使わぬよう、ノヴァさんが肘打ちしたのが見えた。
男女の駆け引きとは、まあ……要するに恋愛したりイチャイチャしたり、その先のことをしたりとか、青少年には刺激が強すぎるそういうレーティングの物だ。
そんなことを言われても、そもそも乙女ゲーの男性たちはいいわよね。何にもしなくても、色気やかわいさが普通に出てるんだから。
「ま、まあ、わたくしが勝手にそう感じただけですし、男性諸氏のお手を煩わせるようなことはございませんので安心なさってください」
「頼まれたって手を貸すかよ」
「ジャンニ……そうしてリリーさんを煽るのはやめなさい」
しょうがないという感じでノヴァさんがわたくしたちの間に入り、この落ちどころもない話を沈静化させる。
普段から、こうして他愛ない話で盛り上がって、みんなの顔を見て、幸せな日を過ごせることはわたくしにとってかけがえのないものだ。
そうして充実した一日を過ごし、自室に戻って就寝するだけになると――……時折、未来への不安が襲ってくる。
「…………大丈夫、まだ大丈夫ですわ……!」
ベッドの上に膝を抱えて座り、ぎゅっと自身の二の腕を抱くように掴んでわき上がる恐怖をこらえた。
そう。魔界環境が整うにつれ、終わりの日があると意識すると、わたくしはこうして無性に怖くなる。
窓もないので、明かりを消すと真っ暗闇になってしまうこの部屋のように――最終日を過ぎたら、わたくしだけが世界から消えてしまうだけではないかと、そう感じるのだ。
もしもわたくしが消えたら――どこに行くのか。
今考えていても答えはその日にならないと分からないのだし、何度も何度も『やるだけのことをやる』と言い聞かせているじゃない。
――そうだ、もうこういうときは寝るに限る。
無理矢理楽しいことを延々と考えていると、意識はやがて……ずぶずぶと沈んでいった。