「――……この城は、ぼくが子供の頃にはもう少し……付き従ってくれる魔族がいたのさ。この部屋から出ると、いろいろと声をかけてくれたっけ」
「……今も、魔王様がここを歩かれるのならば。わたくしたちがお声をかけます」
「ここにも住人が増えたね。人間だけど……ああ、ノヴァという子は魔族でもあるんだったかな」
再び歩き始めたわたくしたちは、ゆっくりと今までしなかったような、ちょっとだけ踏み込んだ会話を行う。
「魔王様は、実のところ人間がお嫌いですの?」
「そうだねえ……ぼくが生まれてから人間というものが攻めては来なかったけど、話を聞いていただけでは弱いくせに利己的で、乱暴で相容れぬものだと思っていたよ」
「……利己的で云々というのは否定できませんわね」
「でも、君たちに出会って、言われていたほどでもないなとも感じた。きっと魔族も人間も、個体差によるところが大きいのだと思う」
「……魔王様。人間のことをあまり好ましくなくとも、いつも優しく接してくださってありがとうございます」
「ぼくは、リリちゃんのことを好ましい人間だと思っているよ。多分、レトゥハルトもそう思っているだろうね」
「それは……嬉しゅうございます。できれば仲間のことも大好きになってくださると……」
思わず笑顔になると魔王様も優しい微笑みを浮かべ、そういえば、と切り出した。
「リリちゃんは、レトゥハルトのことを異性として好きかい?」
「あら、急にそんなことを……うーん……ノーコメントですわ」
「おや。別にいいじゃないか。ぼくだけに教えて欲しいのに」
魔王様がそう仰るので、わたくしは少々魔王様に屈んでいただき、耳打ちする。
「――ヴィレン家……、……なの……でしょう?」
ごく小さい声で、ただそれを問うだけなのに、魔王様は意味を理解して頷いた。
その問いに関する頷きは……充分、意味の大きなものだ。
「……」
「ふふっ。絶対レト王子には内緒にしてくださいませ」
何かを言いたそうな魔王様に、わたくしは照れ笑いで誤魔化す。
もし、何かその件について指摘されるのは怖いからだ。
「……リリちゃん。人間とは難しいね。強いのか弱いのか、我々にとって良い者か悪い者か、君はどう思う?」
「――……それこそ、人も魔族もそれぞれです。わたくしの仲間に、悪い人間はおりません。ですが、仰るとおり中には理解できぬ悪人も、その逆……お人好しすぎて愚者とも呼べるような善き人もいるでしょうね。できれば悪人には会いたくありません。けれど、地上にはいろいろな人がいるから、そして……まだ見ぬ場所があるから、世の中は辛く楽しく、そして希望に満ちて美しいのだ――と聞いたことがございます」
そういう綺麗な言葉で締めくくられているようなものを、見たような読んだような記憶をたどって魔王様に話す。
わたくし自身、善良な人物でありたいとは思う。
辛いことは嫌いだし楽しいことは大好きだ。
でも、楽しいばかりでは、いつか嬉しいともありがたいとも感じなくなる日が来てしまう気がする。
「リリちゃん」
「はい?」
「世界は美しいと言ったね」
「……ま、まだ見ぬ世界もかなりございますが、ええ……」
「ぼくは何もできずに妻も息子も見殺しにしてしまった過去がある。そんなやつに、希望などまだあると思えるかい?」
……キッツイ問いが降りかかってきた。
数十年、数百年と生きている魔王様に、14歳の小娘が何か言うことができるのだろうか。
「……わたくし、魔王様のお気持ちを理解するには、経験も思慮も足りませんけれど……いえ、一生かかっても魔王様だけの痛みを、分かるといえることはないと思います。それでも、わたくしの……精一杯の意見だけを述べさせていただけるなら」
言いたいことが伝わるようにできるかな……? 知らずのうちに指に力が入ってしまって、魔王様の指をぎゅっと握ってしまう。
「魔王様に希望があるかではなく……希望は誰しもあったのだと存じます。でも、気づかなかったから、きっと今までなにもできなかった、のです」
「……希望がなかった、とは……願望のない世界であった、ということか?」
「この地のために何かをなそうとした魔族も多々いると思います。しかし、度々人間と激しい戦闘をし、破壊と略奪を繰り返されるうちに疲弊し、育ちつつあった希望も摘まれたのかな――というわたくしの想像ですが、そんな気がして……。暗いことって、明るいことよりも伝染するのが早くて根が深いのですわ。そうして貧しさと略奪がエスカレートしていき、魔族同士で争う。絶望があふれ、中には王家への怨嗟を残し、希望を求めて地上へと出ていった。それを、きっと誰も責めることはできません」
しかし、心の中では――幸せに、穏やかに暮らしたいと、みんな同じことを感じていたはずだ。
「魔族はここで幸せになれない、と。そういう……呪いを人々が自分自身に、この土地にかけた。だから……何もしようと思えなかったのではないかと、無駄だと思ったのではないでしょうか。だから、魔族を治めるヴィレン家の方々は何もできなかった。いない民のためにすることも――できることが、なかった」
王族は民を束ねるもの。そして民は王を敬い、手足となる。
それはずっと昔から続いてきたに違いない。誰もがそうだと疑わなかっただろう。
手足がなくなったと気づいたときには全てが遅すぎて、きっと何かを作り出すとか、改善するような方法や資料が……本当に『できること』が、何もなかったのだ。
「そして……レト王子も、希望を抱いて地上へと出たのでしょう。魔界のためだと、一縷の希望を求めて。運良くわたくしたちは巡り会うことができて、魔界にほんの少しの恵みを与えることができている」
わたくしがとつとつと話す間にも廊下を過ぎ、城門の前――ここを過ぎれば皆が待っている――にやってきた。
城門は当然閉まっているので、魔王様が手をかざして開こうとするのを、わたくしはそっと握って首を横に振った。
「――長々語ってお恥ずかしいのですが、わたくしなりの結論を申しますと……魔王様の心中にある後悔や絶望、罪は消えることもないのでしょう。わたくしには拭うこともできません。しかし、いつまでも立ち止まっていてはならないのです。全ては始まった瞬間、終わりへの砂時計は落ちはじめている。わたくしも……いつかはこうしてお手伝いをできなくなる時が来てしまいます。その前に……、どのようなことになろうと……【魔導の娘】としてなすべきことをしたいと、希望と熱意を抱いているのです」
いつかは、終わりが来てしまう。それがわたくしの場合、ゲームとしての本編が始まる17歳までなのか、ゲーム内期日なのか……どのタイミングなのかがわからない。だからこそ、やれることを考えていかなくては。
わたくしは魔王様の胸に手を置き、勇気づけるようににっこりと微笑んだ。
「――魔王様。あなたの眠っていた希望は、きっとこれから目覚めるのです。できることに時間はかかっても――始めることに、遅すぎるなんてことはございませんわ!!」
くるっと魔王様に背を向け、わたくしは城門を……両手でぐいっと、押し開ける。
この扉は魔王様の居室のように重くない。ドアノブを回すだけですぐに開くほど、防御としての性能がびっくりするほど弱いのだ。
そのくせ、開けるときはギイイとか生意気な音を立てる。
その音に反応し、皆が一斉に城門の方を向いた。
「――魔界の空に瑞光、輝けるとき……さらなる歓喜が汝らに訪れるであろう」
わたくしの唇は、思いつきでテキトーに言ってみたにしてはまあまあの口上を紡ぎ始めた。
「なに言ってんだ?」
「リリー……?」
何事かと皆がわたくしに注目していたが、魔王様が外に来る機会など今後ほぼないに違いない。この場は調子に乗ってしまおう。
「さあ、魔界に暮らす全ての者よ! ひれ伏し欣喜に胸を満たせ! 頭を垂れよ! 魔王アシュデウム様の御前であるぞ!」
そうしてわたくしは思いっきり扉を押し広げ、城門を出て扉のそばに退くと、膝をつく……と、せっかくの服が台無しになってしまうので、膝を軽く曲げて精一杯の礼をする。
おお、いいぞいいぞ、今日のわたくし、とっても悪役令嬢っぽ……いや、なんかこれ、まさに悪の幹部的なやつすぎた……?
「…………」
魔王様はかなり困ったようだったが、それでもわたくしに恥をかかせまいとしてくれたらしく、真面目な顔で城門を抜け、皆の前に姿を現した。
ちょうど日が落ちかけた(疑似太陽光が弱まってきた)頃で、夕日と地上感覚で言うにはかなり弱いが、夕日に照らされる魔王様はとても存在感がある。普段の八割増しと言っていい。
「――……」
レト王子もぎょっとした顔で固まったが、慌ててその場に片膝をつき、礼の姿勢を取る。
続いてノヴァさんも同じように跪き、セレスくんは優雅にローブの裾をさばいて祈るような姿勢を取った。エリクとジャンは、互いの顔を見合わせたが……一応、というような形で屈んでくれた。
「…………」
魔王様はゆっくりと一人一人を見ていき、そして……変わりつつある魔界の風景を見ていたが、何かを感じたのか、顔を西の方向に向ける。
「キュイイイ!」
騒ぎながらやってきたのはドラゴンたちだ。
緑に、赤に、黒……白い子と青い子はいないようだが、白い子は純粋に遠いし傷だらけだからな。
魔王様の姿を見つけると、ぶわさっと羽ばたいて着地の衝撃を緩和させながら、地に降り立つと長い首を深々と垂れた。
見れば、ドラゴンだけではなく――ゴーレムくんたちも、魔王様に向かって礼の姿勢を向けていた。小さい子たちは手足も短いので、不自然な姿勢なのだが。
ああ、魔王様。(ジャンとエリクはわかんないけど)皆があなたに敬意を抱いておりますのよ。多分スライムたちも一生懸命歩いていると思います。
「魔王様。どうか皆にお声をかけてやってくださいまし……」
わたくしがこそっと(多分みんなにも聞こえていただろう)その場から告げると、魔王様はこくりと頷く。
「よくやってくれた……」
「……今後の魔界が飛躍的に発展していくことを、魔王様は望んでおられます」
えっ、そんなこと言ってないけど……みたいな顔で魔王様はわたくしのほうを振り向いたが、誰もこのやりとりを見てないしオッケーオッケー。
「……もうよい、礼は不要だ。楽に」
さっきから、なんか魔王様ったら口調が偉い人っぽくなったぞ。
「――レトゥハルト」
「はっ……!」
「余が失意に駆られ、忘れかけていた王族としての務めに気づき、よくぞ【魔導の娘】と知恵のある人間達を連れて戻った。このたびの働き、大義である」
すると、レト王子の肩が小刻みに震え、頭が地面にくっついてしまうくらい深く頭を下げた。
「ありがたき……お言葉……!」
その声まで震えていて、レト王子は歓喜に身も心も震わせているのだろうというのが推察できた。
「……ノヴァ、貴公もレトゥハルトを支え、助けてやって欲しい」
「御意」
短くはっきりとノヴァさんは答え、一番騎士っぽい感じ(傭兵だけど)に見える。
「エリク。貴公の錬金術の才、見事である。この魔界で今後も大いに発揮してみせよ」
「――ええ。お任せください」
エリクが若干驚いているが、魔王様に褒められたことというより……きっと口調まで変わっちゃったから、びっくりしてるんじゃないかと思う。
「ジャンニ、お前は【魔導の娘】の契約者と聞いている。娘のみならず、レトゥハルトの補佐も行っておるらしいな。なかなか機転も利くそうだが、望むならば褒賞を授けよう」
「いいや、おれは十分に代金を貰ってる。何かあればちゃんと雇用主に言うから問題ねぇよ。魔王サマが褒賞を出してくれるってんなら、うちのご主人にやってくれ」
あら……なんだかジャンったら謙虚なことを言っているわね。
毎月結構なお小遣いをせびられているから、たまにはそれくらい謙虚であっていただきたいものだ。
「そうか……では、【魔導の娘】であるリリーよ。そなたの働きは言うに及ばず、この魔界に結果が現れておる。どのような言葉で感謝を伝えても足りぬ。して、望みはあるか?」
「望み……」
「ものも無い土地ではあるが、希望があれば――なんでも……そう、望むものはそなたの欲するいかなるものでも構わぬ。申してみよ」
魔王様が優しいお顔でわたくしに促してくださるのだが――……その『なんでも』は……本当に『なんでも』いいようだ。
「――わたくしの望みは、魔界が魔族にとって住みよい場所になること。そしてそのために、わたくし自身で今までのように働けること……それのみです」
すると、魔王様は意外そうに眉を寄せた。
「そうではなく、個人的な望みを述べよ」
「偽りなく、わたくしの本心かつ願望でございます」
「――……わかった。願望成就のため、そなたが自由に行動することを許そう」
魔王様にとって期待していたような答えではなかった……のは、なんとなく理解した。
わたくしが謝意を口にし、一呼吸置くと……しんと場が静まりかえる。
魔王様が『もういいかな』と、通常の口調に戻った。
一瞬にして場の空気が溶けるように弛緩し、ドラゴンたちも再び巣に戻っていった。うーん、儀式に出席だけはする、的な……淡泊さだ。
「あまり堅苦しいのはいやだよ。言う方も言われる方も緊張するでしょう?」
「いつもと違うお姿なので、こうも変わるのかと驚きもありましたが……普段からあのようにされてはいかがですか」
エリクと魔王様が気さくにお話ししている……そうそう、みんな魔王様にもっと親しみを持って……!!
「リリー……そのドレス、父上と同じもの? いつの間に用意していたの?」
レト王子がわたくしの服装を見て、綺麗だと褒めてくれるのだが、確かにこんなドレス持ってない。
「黒晶の粉を、こう、ふーって……2、3時間で元に戻るそうです」
粉を吹く真似をすると、合点いったらしいレト王子がなるほどと頷く。
「俺にはまだできないだろうけど、そういう方法もあるんだな。とっても似合ってるよ」
「ふふ、わたくし元が良いので何を着ても似合ってしまいますわね」
「ははっ、その通りだ」
レト王子は冗談と受け取ったかもしれないが、わたくしは本気でそう思っている。疑似太陽がどの程度のものか、経過を見ないとなんとも言えないけれど……これから日焼けもするだろう。
スキンケアもきちんとしなければいけないわね……。ラズールのショップを見るしか……。
「あっ、わたくし、欲しいものがありましたわ!」
「ほんと!? なに、何が欲しいのリリーちゃん! やっぱりレトゥハルトがいい? そうだな、リリちゃんなら特別に許してもいいかも……!」
わたくしの言葉を耳聡く反応した魔王様は、わたくしとレト王子の間に割り込むように食いついてきた。誰もそんなこと言ってないのに、話を進めないでいただきたい。
ちなみに『リリーの欲しいもの=もしかして自分』という趣旨の言葉が出てきたので、急に照れて熱いまなざしを向けはじめたレト王子のことは見ないようにする。
「いえ……自由に転移が使えるマジックアイテムが欲しいのです」
「……は?」
レト王子の笑顔が消え、魔王様のがっかりした顔が間近にある。
「転移をレト王子に頼らずわたくしが自由にできると、負担にならないと思うのですが……」
「転移するの迷惑って言ってないよ? それに、俺より転移のアイテムの方がリリーにとって存在が大きいってこと?」
「作ってあげるにも素材が足りないし、リリーちゃんが魔界から地上に向かったとしても、地上から魔界に一人で戻ってこられるかは分からないんだよね……無駄になるかもしれないからおすすめできないかな」
魔王親子はそれぞれわたくしの希望したことを打ち砕くような発言をしたくせに、レト王子の不満はすごく大きかったようだ。なんでだ。わたくしが自分から欲しいって言ったんじゃないのに……。
それに、誰かを『欲しい』とか、この年齢で言ったらおかしいでしょ? そんなエロガキみたいなことしませんよ?
「ちゃんと聞いてる?」
「あっ、はい!」
わたくしに詰め寄って、どういうことか説明して欲しい的な態度を見せてくる。
「えーと、えーとですね……あっ、ほら、夕日を見ましょう! お腹も空いてきました……!」
逃げるように二人の間を縫って飛び出すと、既に席に座って食事を楽しんでいるノヴァさん達のところへと向かう。
「あっ! もう、いつもそうやって誤魔化して……!」
わたくしの後を歩きながら追うレト王子は、背中に文句をぶつけてくる。
不満そうに唇をとがらせても、イケメンはやっぱりイケメンだ……。
そして、わたくしたちは魔界初めての昼と夜を楽しみ、夜遅くまでおいしい料理に舌鼓を打ち、歓談に花を咲かせるのであった。