こうして塗料の準備はできたので、耐熱瓶に入れ直すと粗熱を取るためにしばし放置する。
「じゃあ作業も一区切りついたから、俺はちょっと地上に出かけてくる。帰りは遅くなるだろうから、みんなに気にしないよう言っておいて。あと申し訳ないが……活動資金を多めに使ってしまうよ……」
「あら、美しい女性のいる、ちょっといかがわしいお店に行って豪遊でもなさるのでしょうか……レト王子もお年頃ですからね、興味をお持ちになるのもしかたがないかと」
大体何に使うのかは分かっていたが、あえてそんな風に冗談を言って茶化してみると……レト王子は、そんなことするものかとはっきり言い放った。
「俺は、たくさんの女の子を侍らせたり好かれるより、リリーが俺を好いてくれたら……それだけでいいんだ」
ぷいっと顔を背け、早口でボソボソ告げると……言った後で恥ずかしかったのか、耳まで赤くしながら、ガチャガチャと少々雑な手つきで鞄にものを放り込みつつ出かける支度を始めた。
――いや、今のは聞いたわたくしのほうが恥ずかしいでしょうよ……!!
もう、もうもう! そのへんの青年が言ったらドン引き確定レベルのことなのに、なんで急にそんなイケメンしか言うことを許されぬキーワードをぼろっと出したあげくに照れるのかなあ!
実際すごいイケメンだから余計罪深いじゃない!
これ、わたくしはなんとお答えすればいいのでしょう……脳内でシミュレーションしてみた。
1.わたくしもあなたに好かれるだけでよろしいのですわ……。
2.それでですね、と話題を切り替える
3.ちゃんとそのお金の使い道を言い当てる
まず1だった場合、これはいけない。
部屋があまあまな乙女世界フィールドに包まれてしまう。
この選択肢をオープンした場合、封じられていたレト王子のデレ効果が増幅してしまい、相手のライフを削る。
極上のデレはいつでも見たいし、ちょっとイイカンジの雰囲気がイカンというわけではなく……わたくしが良性の心臓発作で死ぬ可能性がある。
2の選択肢を選んだ場合、これもいけない。レト王子の病みパラメータがアップする。
若干、出かけるための準備を急いているそぶりを見せながらも、チラッと視線をこちらに向けるときがある。
あれは数年行動を共にしているリリーちゃんデータベースから察するに、相手の反応を気にしているわけである。要するに『何か言えよ』と思っているのだ。
それだというのに『それはいいとして』などと言ってしまったら……。
『何? なにをそれはそれとするの? 俺の感情なんかどうでもいいってこと? そうだよね、リリーは役目をこなしているだけだもの。どうせ将来はクリフと結婚するつもりなんだろ。マジクソアマ早く帰れ』
と、エリクばりにわたくしを言葉の刃で責め立てることだろう……こんな汚い言葉は使わないだろうけど……。
とにかく一番言ってはだめなセリフだ。
ということは、つまり……。
「分かっていますわよ。ドラゴンたちを引き取るため、ドレイクに約束した馬を入手して渡してくるのでしょう?」
「うん……そうだよ。でも、馬の値段なんて分からないから……って、分かってるなら意地悪なことを言わないでくれないか。もう……ひどいんだから」
消去法というか、普通に『分かってんなら言うなよ』といわれても何もおかしくないコレである。
申し訳なさそうなレト王子の表情を見て、わたくしはおおよそ何がしたいかを理解していた。
レト王子は民との約束はちゃんと守ってくださるだろう。それに、頭を悩ませていたドラゴン五匹を引き取ってくれたのだから、ドレイクだってありがたいに決まっている。
……購入して差し出した馬の末路がどんなことになるかは、考えたくないけど。
できれば何事もなく暮らしてほしい……。
「ノヴァさんかジャンにご同行をお願いするとよろしいのではないかしら。きっとわたくしたちよりは、世の中の相場を知っていると思いますもの。足下を見られることも、きっとありませんわ」
「そうだな。一緒に来てくれるよう頼んでくる。あ、そうだ。俺がいない間でも、釜や部屋のものは自由に使っていて大丈夫だよ」
「はい。お気をつけて」
レト王子はそのまま部屋を出て行き、わたくしは男性の部屋に一人残ることになったのだが……当然他者のプライバシーに関わるものなど探ったりはしない。
だいたい、魔界にエッチな本なんかなさそうだし、逆にレト王子の部屋から出てきたりしても困る。特に、わたくしに関わるものが出てきてはいろんな意味で困るのだ。考えすぎだろうけど。
塗料に蓋をして使った釜を綺麗に掃除して拭いたりと使ったものの後片付けをしていると、扉の向こうからリリーさん、とエリクの声が聞こえた。
「どうぞ。開いています」
「レト王子から、疑似発光体の制作を頼まれているので釜を使いたいのですが……ああ、そちらも終わったんですね」
「ええ。疑似発光体というと、この塗料と連動する……? あら、それならお手伝いいたしますわ」
「いえ、これは結構細かい作業になりそうです。集中したいんで、一人にさせてもらえますか」
誰かがいては気が散るってことだね。わかる。
わたくしがすぐに了承すると、すみませんとわざわざ律儀に謝罪までしてくれる。
「あら、謝る必要なんてございませんのに。できあがりを楽しみにしておりますわね」
エリクにお礼を言って部屋を出た。
特にわたくしも作っておくものもないし、食事の準備にも早いので、畑でも見に行こう。
城門前に歩いていくと、ゴーレムたちは城壁の修理をしているのが目に入った。
そういえば壊れた箇所があると言っていたものね。
焼成用のかまどは無事だったし、早速ちびゴーレムは土を型に入れ、ひっくり返して……レンガをいくつも作っている。焼成したレンガと日干しレンガの部分を入れ替えるようだから、今度は水にも強いレンガになるだろう。
というか、入れ替えたところでドラゴンのキックには耐えきれるのかしら?
魔界の守備に結界をどうのこうのとも言っていたし、またやることが増えるかも……それはそれでとても楽しみだ。
畑の土も、昨日降り続いた多量の雨――竜が面白がって降らせたものだが――で水分を多めに含んでぬかるんでいる部分もあるけれど、土や植物が吸水してくれるだろう。
水が多くて厳しそうなら、レト王子にお願いしてスライムを畑の中に招き入れて吸ってもらおうかな……。
「んっ?」
強い視線を感じて顔を上げると……畑のもう少し先、エリクが魔改造した植物が大量発生している区域で、グリーンドラゴンが身を丸めてくつろいでいた。
こっちを見ていたのはあの子だったようだ。
「おはようございます。その場所、あなたのお気に召しまして?」
話しかけてみるが、特に反応はない。
「この畑には手を出さないでくださいね。みんなの食料になりますから」
「ギッ」
短い鳴き声。今のは、分かったと言うことなのかしら……?
魔物の中には、人間の言葉を理解する生き物もいる。スライムはどうなのか……わたくしにはよく分からない。
「ギッギッ」
首をもたげ、わたくしを見つめながら何かを問いかけるようにする緑竜だったが、わたくしにはなんと言っているか聞き取れない……。
「ごめんなさい、わたくし、魔物たちの言葉を解することはまだできないようなのです……」
「……ギッ?」
短いけれど、竜の声に意外そうな響きがある。首をかしげ、何かを問いかけるように、植物の蔓を加えて引っ張り……わたくしに見せた。
もしかしたら、ここにいてもいいのかと聞いたのかしら。それとも、植物を育てたいのかと聞いてるのかしら?
「そこは、あなたのおうちになるのでしょう? 手を出さないようにするので、ずっといても大丈夫ですわよ。そういえば、グリーンドラゴンって森林が好きだとか図鑑に書いてありましたけど、魔界中に森がいっぱいできると嬉しいくらいですわね!」
「…………」
返事はない。その代わり、空を見上げたと思うと急に飛び立った。
「……きゃ!」
飛び立ったので砂埃が舞い、風の強さで水の細かいしぶきが宙に飛んだ。
そのまま空を見上げると、緑竜はギーギー言いながら誰かを探すように飛んでいる。
ふわふわと大きな羽ばたきを見せつつ合流したのが青竜で、二頭は何事か言葉を交わすように鳴き合い、連れ立ってその辺を飛び回って、やがて去っていく。
お散歩にでも行ったのかしら。
しかし、小さいとはいえドラゴンが飛んでいる魔界って、なんだかそれっぽくなってきたじゃない?
「あとは……住民が増えて、植物も育って、食糧を自給自足できればいいけれど……」
魔界の魔力だけを吸って生きる無毒のおいしい魚とか、果物の木とか……。
うーん、そういえば、生物にも魔物との混血もいると言っていたし、一般的にラズールで売られているお魚や家畜の種類にも、もしかすると魔物との混血がいるかもしれない。
品種改良と言われると、聞こえは少しだけ良くも聞こえる……けど、地上のフォールズ国外のものがフォールズ在来種と交雑しても、結局おんなじよね……。どの世界にも難しい問題があるんだわ……。
「ま、割と行き当たりばったりだったし……、なるようにしかなりませんわね……そうだわ、手が空いているうちに、ハルさんへ卸すお水を作っておかなければ」
たくさん商品を作るとき、たまにゴーレムくんにも手伝ってもらっているが、基本的にわたくしのお仕事になっている。
自室にとって返すと、瓶を鞄の中にいくつもしまい込んで川に汲みに行く。
直接川の水を引き込めるように……作業室でも作ってもらおうかしら。
それに、合成釜もあと二個くらい置けるような工房も欲しいかなあ。
魔王城は大半が崩れ去っていて、ちゃんと機能している部分は倉庫、魔王様の居室、レト王子の部屋くらいで……うっわ、少ない。
増設するのは簡単なので、作業部屋のほかにいくつか空き部屋も作っておきたいわね。
わたくしは水を瓶に汲み入れながらそんなことを考え、一連の作業が終わったら欲しい部屋をどこに配置するか予定図でも書こうかなと計画するのだった。