エリクは自分の家の掃除や周辺地域の情報把握なども兼ねて、先にディルスターに向かっていった。
……とはいえ、魔界から地上に送っていくのも、拾って帰るのもレト王子しかいないけどね……。
なんだったら先に素材を集めておくと言っていたが、わたくしも実物がどのような場所にあるかは見ておきたいので、夜にそちらへ向かう旨を告げてある。
そんなわけで息抜きも兼ね、わたくしは水の納品にラズールを訪れていた。
もちろんセレスくんのところにも孤児院にも郵便を取りに行くつもりだし、合成屋で買う素材もあり、わたくしの弓が壊れてしまったので、新たにもう少し良いものに買いかえる……などなど、割とやることは多い。
買い物をする前に教会の前で、細長くて温めたパンにたくさんの具材を挟んだものを食べている。
要するにパニーニだ。トマトソースとチーズが具材と絡み合っていて美味しい。
「……さっきも言ったけど、今日はゆっくり休んでいても良いんだよ? 素材の実物ならエリクが知っているし、食べ物や素材の買い出しなら俺だけだって出来る。ここのところのリリーは、休みという休みもない気がする。怪我もしたし、父上も心配されているんだ」
レト王子が心配そうに声を掛けてくれるが、そんなに働きっぱなしという意識はない。
最近やることが多かったせいで、順番的に後回しになっていたことをひとつずつ片付けているだけだし、今日だって……食材の買い物も大事だけど、武器の購入というとっても気合いが入る重要な買い物だもの。手にしっくりくるものをゆっくり慎重に選びたい。
何が起こるか分からない、というか何を起こすか分からない……という行動力の塊みたいなわたくしたちの性質もあって王都には行けないため、結局様々な品揃え豊かなラズールに行くことになる。
「いろいろ考えてくださってありがとう存じます、レト……。ですが、わたくし怪我をしたといっても頬を腫らしただけですし、もう綺麗に治して頂いたので全然元気ですから……まお――いえ、あなたのお父様共々、わたくしのことを心配しすぎなのでは?」
まったく過保護ですわねと笑い飛ばした……かったのだが、レト王子の表情は晴れない。本当に心配してくれているようだった。
わたくしのことより、ジャンやレト王子のほうがよっぽど疲れていると思うのだが……男子とは体力が違うからと言われてしまえば、まあ……そうなのだけど。
「……眠りの粉を作るのも手がかかりそうですし……お言葉に甘えて、ドレイクを倒す前に休みでも数日取ります。体調を万全にしたいですものね」
「そうだね、ぜひそうして貰いたい……! 美味しくて滋養のあるものもたくさん食べよう!」
レト王子の悩み事が消えたかのように、表情もぱぁっと明るくなったので、わたくしも安堵して微笑む。
「そんなにわたくし病弱に見えますの? ちゃんと鏡を見て顔色もチェックしていますが……」
「…………自分のことだって、ちゃんとわからないのに。第三者にはもっとわからないでしょう? 気付いたら手遅れになってることって、あるんだ」
妙に実感の籠もった口ぶりだ。そしてその表情は沈痛なもので……。
「……その……」
「……ああ。俺の母上は……病気で亡くなってしまったから」
思わず食べる手を止め、わたくしはレト王子の横顔を見つめた。
彼はわたくしの視線をまっすぐ受け止めて、寂しそうに頷く。
「俺たちがまだ本当に小さいとき……話していなかったかもしれないけど、両親揃っていて、弟……ヘリオスっていうんだけど、彼もいたんだ。どうやって暮らしていたかとか、俺も幼すぎて全然覚えてないんだけど……相変わらずスライムを食べていたんじゃないかな」
なんと、レト王子には弟さんもいたご様子……あ、そういえば『第一王子』と肩書きを名乗っていたような。そして一家総出のスライム食……。
「母上はヘリオスを産んでから体調を崩しがちで、とうとう病に伏せってしまった……それからはどんどん痩せ細るし、顔がとても真っ青で、息をするのも苦しそうだった。食事なんて当然食べられなかったんだと思う。ああ、母上は死んでしまうんだって、俺も弟も分かった。でも――魔界から地上に出るという考えも浮かばなかったし、魔界には薬草も何もない。何も分からない子供には……当然何もできなくて。父上に頼んでも、薬を作る素材なんてない。図鑑もないから素材の実物だって分からない。人間界の通貨もないし、結局どうすることもできなかったんだ……だから、手の施しようもなくて……そのまま」
レト王子の語りがとても辛い。そんな経験をなさっていたとは……。
「弟さんは、そういえばどちらに……?」
これ以上聞いて良いものか悩んだが、つい口にしてしまうと……それを気にした様子もなくレト王子は『わからない』と首を横に振る。
「……いないんだ。あの日から……どこにも気配がない」
いない、の意味が深い。
「……当時から俺たち一家は……衰弱気味だったし、彼が出て行った後、すぐ倒れてしまっていたとしても不思議はない。魔界にもこの世界にも……もうどこにも……いない気すらしてるんだ」
そういってレト王子は握っているパンに、力を僅かに込める。
具材が少しパンからはみ出したが、零れ落ちる程にはならない。
レト王子が……そんな過去をお持ちになっていて、弟さんは生死不明。そして不仲ときた。昔の思い出や感情で、内心穏やかではいられないのは分かる。
「……申し訳ございません。いろいろと出過ぎたことを伺ってしまいましたわ」
「いつか話そうと思っていたんだ。気にしないで……それに過去は変えられないし、戻ってこないものだ」
「今までわたくしを探していたように、弟さんも探したり……なさっていた、の……ですか?」
「いや。それはしていない」
やけにはっきり告げたので、わたくしはなぜです、という視線を向ける。
たったひとりの弟ではないか。レト王子の性格からして、気にならないはずはない。
「もし生きているなら……きっと今更魔界に興味なんてないし、いないなら、探す必要もないんだ」
辛そうな表情で自分に言い聞かせるかのように、レト王子は呟く。
もうこれ以上聞かないほうがよさそうだ。
「……そうですか……」
どう言葉をかけていいのか分からず、間が重すぎるのでパンを口に運ぶことくらいしかできそうにない。
なにか、楽しそうな話題とかないかしら……。
必死に記憶の引き出しから話題を探す。
興味がありそうな話題……何か……。
『自分が人間や魔族の恨みを買って、命を落とすかもしれないのに?』
『魔界にも人間にも……本当は君にだって興味ないんだから』
『いろいろなものがどうだっていいんだよ』
「――あ、ら?」
わたくし、今、何か……思い出しかけたような。
確か、どこかで……ええと、ええと……これ、何だったかしら。
「……リリー? どうした?」
具合が悪いのか、と心配そうな声を出すレト王子に、違うのです、とかぶりを振って……まだもうちょっと思い出そうとしてみる。
頭に浮かぶのは、断片的な……水の風景。
『――……』
向かい合う、顔の見えない誰か。知らないけれど知ってるような。
――ザザッとノイズが走って、どんな感じだったかもう思い出せなくなる。
「……そうだ、水、なにかに……夢、でもあれは……予知夢……?」
うわごとのようにぶつぶつと浮かんだことを呟いてみるが、肝心なことを……思い出せそうにない。
「リリー……」
そんなわたくしを本当に心配そうに……もしかしたら気味が悪いと思っているのかもしれないけれど、見つめてヒントを得ようとするレト王子。
「ごめん、重い話をしたから具合が悪くなっちゃったんだね。今日は戻ろう」
装備は後日で良いし、後は任せてくれたら良いから言いながら、口にパンを押し込んで立ち上がると空いた手を差し出してくれる。
わたくしは頭を振ってもう大丈夫という意思を示したが、俺のせいだからと彼も聞き入れない。どうやら……責任を感じてしまわれたらしい。
結局、強制的に魔界に連れ戻されて部屋で大人しくするよう命じられてしまったのだ。