「――ジャンニ! ちょっ、リリーちゃ……!」
団員に指揮を執っていたステラさんが、走り寄ってくるわたくしたち三人の姿を見るや、何しに来たんだという憤りを滲ませる。
「話は後だ。あのブタから100メートル内に、こいつを乗っける高台はないか?」
「あんたはいつも勝手にいろいろ……ったく……100メートルなら……あっちの木かしら」
ステラさんが指すほうに、イカダをそのまま木に取り付けたような……小さいツリーデッキがあった。
「……ただ、足場がボロくなってるから立つとき気をつけないと、底が抜けるわよ」
「……多分そんなにデブじゃねーから、飛び跳ねなけりゃ大丈夫だろ」
「失礼な! 全然おデブさんじゃありませんわよ!」
将来有望パーフェクトボディ(パッケージ絵)のわたくしだぞ!
がるるっ、とわたくしが威嚇していると、ジャンは子供をあしらうように適当にスルーしくさり『早くツリーデッキに行け』と言われた。
「あんたが『やってみたいことがある』って言ったんだ。試してどうなのか教えてくれ」
「……そうでしたわね。のんびりしていられませんわ。そういうわけでステラさん、あの足場をお借り致しますわよ!」
相手の返事を訊かずに駆け出すわたくしの背中に向かって、ステラさんが何か言っていたようだが――周囲の喧噪も大きいので聞こえない。
木々の間をわたくしがひた走っていると、すぐ横にレト王子が追いついていた。
「あら……レトも、木登りの練習ですの?」
「俺は木登りすぐ出来そうだけど、リリーは引っ張ってあげるか押してあげないと登れないだろ?」
「そ……、うー、えぇ……」
なかなか痛いところを突かれ、わたくしは否定できずに言いよどむ。
「二人乗るのが難しそうだから、俺はこっそり気付かれない程度に浮くから平気」
「その術の応用で、こっそりわたくしを木の上にあげて頂ければ助かりますが」
「ああ、足場を作ってあげれば良いか。そうだね」
ウッドデッキのある木の下にやってくると、レト王子は指先を木の幹へ向けて数回動かす。
すると……うっすら見える程度、半透明のブロックのようなものが目の前にいくつも出現し……組み合わさって階段を作ってくれる。
「これでいいかな?」
「……感謝しかございませんわ……!」
ありがとうと笑顔を向けると、わたくし以上に嬉しそうに笑った……レト王子の眩しいお顔。
謎ブロックに足をかけても、柔らかくもないしびくともしない。
うーん、構造はよく分からないけど魔術って凄い。
そこを駆け上り、ウッドデッキの前に来ると……下からレト王子がそこで飛び跳ねても大丈夫だよと声を掛けてくる。
「デッキにも強化をかけた」
「……最高すぎますわね」
レト王子って、少々わたくしに甘すぎるんじゃないかと思うのだが……そう本人に話したら、いったいどんな甘い言葉が出てくるか分かったものではない。
だが、今回は本当にありがたい。
練習用で使ったものではない、本当に矢尻がきちんとついた矢を取り出し……そこに魔力を乗せる。
魔力を乗せて撃つというスキル自体は、初期に覚えたものだ。
ただ、魔力を流すことが出来るなら、そこに強力な……精霊の力を上乗せすればどうだろうか、と考えた。
わたくしは努力の甲斐あって、風の精霊の加護をもらう事が出来た。
他の精霊さんとも対話を続けているが、魔界では火と水の精霊の力は弱く、多分運が良ければ土の精霊さんとも仲良くなれる……かもしれない、という程度。
レト王子はただ単に全ての属性の加護を得るという奇跡を授かっただけだ。比較にしてはいけない。
わたくしは炎が燃えさかる短弓を引き、魔力を通しながら精霊に語りかける。
「――大いなる風の精霊よ……、その力を開放し、全てを切り裂く刃となれ!」
精霊の力を使うには、彼らと意思疎通が必要だ。
精霊の力はどこにでもあるので、それを汲み上げるには自分という存在を鍵と器の一部として利用する……らしいのだが、細かいところの理屈は教えて貰っても途中でこんがらがってしまうので、結局『リリーは存在が特殊だから、言葉より感覚で使えるよ』ということだ。
……存在が特殊という言葉は良くも悪くも捉えられるものの、いわゆる【魔導の娘】だからだろう。
結局よく分からないが、リリーティアはリメイク版でとんでもなく凄い運命を持ってしまったものだ。
きっとリメイク版シナリオ関係のディレクターがリリーティア派だったんだろう。
呪文を唱え終えるとすぐに、わたくしの体中から指先……矢に向かって、ものすごい魔力が充填されるのが分かる。
周囲に魔力風が吹きおこり、衣服や髪を容赦なく荒らす。
髪を結んでいなければメデューサのように風に煽られてうねりまくっていたであろう。
しかし、この感じ……間違いなく、風の精霊が味方してくれている。
息を整えながら精神を集中し、団員の皆が取り巻いている金猪に集中すると、奴もわたくしを見つめていた。視線が交錯し、地を揺らしながらこちらに突進してきた。
わたくしのほうが高い位置にいるからといって……あんな大きな獣が木に衝突してきたら、多分衝撃で木は折れてしまうだろう。かなり、まずい状況だ。
「――リリーちゃん!!」
ステラさんの悲鳴じみた声が遠くから聞こえるが、今ここを降りてもあの怪物の速度から――逃げ切れない。
それに、虚勢を張っているわけじゃなく……なんだかひしひしと『倒せる』という感じが湧いている。
問題は、これでどこを狙うかだが……。
わたくしの武器は剣や槍のように近接専門武器ではない。属性付与をかけたとはいえ、この細い矢で表皮を破り、肉体に甚大なダメージを与えられるかは……正直なところ微妙だ。
仮にダメージを与えられたとして。
猪がこっちに向かってきているこの危機的状態でスキルを駆使しても、次々に矢を打ち込んで倒せるような技量と攻撃力の底上げは不可能だ。
だから、わたくしは……この一矢で決めなければ死ぬかもしれない。
反対する皆を押し切り、大きなことを言って、失敗してぺっちゃんこに潰されるなど……世界が終わるまで、魔界の笑い話として受け継がれてしまうかもしれないじゃないか。
「まあ、結局狙うのは『目』ですわよね……普通に貫ければ、脳にも達しそうですし」
額に巨大な目があるのだから、狙ってくださいと言わんばかりに的は大きい。
ドドドドと地を揺るがすような蹄の音、目前に迫る巨獣の迫力。怖くないといえばウソだ。
――大丈夫、できる。
「いっ……けえええぇっ!!」
わたくしは震えと恐怖を押さえ込み――……矢を放つ。
射った瞬間、威力に耐えきれなかった弓が音を立てて二つに折れ、切れた弦がしたたかに頬を打った。
「ぐぅっ……?!」
視界が一瞬赤く染まる。
ううっ、すっごい痛い、なんてもんじゃないんだけど……! じんじんと脈打つ感じで痛みが襲ってくる。
風を纏い、空気を震わせて突き進んだ矢は、精霊という『世界を構築している存在』の力の欠片が加算されている。
たった一矢。それだけで攻城兵器以上の攻撃力を有していただろう。
わたくしの矢が放たれた瞬間、誰もが動きを止め、輝く矢が――……怪物の目を貫くのを見つめていたのだ。
怪物の身体の一部……むしろ頭部が削り取られたかのように消滅し、悲鳴を上げる間もなく魔物は倒れる――……かと思いきや、急には止まれないらしい。
「え、ちょっ……」
頭部がないまま、多少スピードは緩いが……血を噴きながらまっすぐデッキに向かってくるという、とってもホラーな暴走猪。
「リリー! 早くそこから飛び降りて!」
階段の下で、レト王子が両手を広げてわたくしを呼ぶ。
「飛び……!?」
かなりの高さがあるのに、ここから……?
「迷っている暇はない!! 必ず受け止めるから……急いでッ!」
――ちゃんと、受け止めてくださいね!!
「~~~……ッ!」
目を瞑って、10メートルはあるだろう木の上からレト王子に向かって勢いよく飛んだ。
飛んですぐに、衝突音と木が砕ける激しい音がする。
そして、どれくらい落下した所からか……は分からないが、わたくしの身体に加わる衝撃と、ふわっと抱き留められる腕。
……と、どさっと地に倒れた感覚。
自分がまだ生きているようだと認識したとき、レト王子が小さく息を吐いたのが耳元で聞こえた。
「……もう大丈夫だよ、リリー……」
安堵した声と共に、ぎゅっと抱きしめられる手に力が加わる。
おそるおそる目を開けると、わたくしは今とんでもないことになっていた。
レト王子が地面とわたくしの間にいて、衝撃から護ってくれたのだということは分かったが……愛おしげに頬をわたくしの頭にすり寄せ、しっかりと、がっちりと……抱きしめられている。
「……頑張ったね」
「はっ、はいっ……!」
皆に見つかる前に体勢を整えたいのだが、がっちりホールドされているので起き上がることが出来ない。
しかし、この状況……偶発的に起こったことではあったとしても、イヤじゃないというか嬉しいというか、もうちょっとこうしていたいような……――などと、ちょっと脳内お花畑になりつつあった瞬間。
「……リリーちゃん! 大丈夫!?」
げっ、ステラさんの声だ。これはお花畑してる場合じゃない!!
「レト、レトっ……は、離してくださらない!?」
「無理かも……安心して腰が抜けちゃった」
えへっと微笑むレト王子。身体を張ってわたくしを庇ってくれたんだもの、腰が抜けて離れられないのはしょうがな……って、腕の力は関係ないだろ!
「嘘をつくのは止めてくださいな!」
「ああ、バレちゃった……」
残念そうに言ってわたくしを離してくれたので、わたくしはまるでノミのようにぴょんぴょん数回飛び退いてそこから脱出し、ステラさんの到着を待った。
「……だっ、大丈夫、でしたわ……!」
「ああ、もう……女の子が顔に怪我してるじゃない! このまっすぐな線……弦が当たったのね。すぐ冷やして腫れを引かせましょう」
わたくしの頬に手を近づけ、綺麗な顔に残ったら大変と漏らして、木を見上げた。
木に激突してようやく止まった金猪だったが、デッキを支えていた太めの木には亀裂が入り、ウッドデッキは落下して見るも無惨に大破していた。
あの場で飛ぶことを迷ってもうちょっと残っていたら、わたくしはあのウッドデッキと共に猪の上に落下して、大けがを負っていたことだろう。
「……あたしたちがダメージすら与えられなかった魔物を、たった一本の矢で倒すなんて見事だったわ。でも、あの凄い技は何なの? あなた……いいえ、あなたたちって、一体……」
わたくしとレト王子に問いかけた言葉には、少しだけ畏怖のような響きが混ざっていた。