翌日、まだ眠気でぼーっとしたまま身を整えていると、ノヴァさんが部屋にやってきて(もちろんドアのノックはされている)……無事に乾きました、と言いながら何かをわたくしの目の前に差し出した。
これは……泥だらけだった服は綺麗にたたまれて返ってきた。
「まぁ……ありがとうございます。夕方から洗って乾かすのも大変でしたでしょう?」
「いいえ、自分の部屋の近くは風が強めに吹いていますので、そこに干しているだけですよ」
お気になさらずといって退室していこうとするノヴァさんだったが、ぴたりと足を止め、何やら逡巡する。彼のポニテ……ってほどじゃないけど、後ろでひとつに結わいていた長い髪が主の心情を表しているかのようにふらっと揺れた。
「ノヴァさん……?」
どうしましたと声を掛ける前に、向こうから遠慮がちに口を開いた。
「朝からこんな話をして恐縮なのですが……レトという方は……どなたかと特別な関係であったりするのでしょうか」
「……特別というのは、いわゆる……特定の女性」
はい、とノヴァさんは頷き、誰ともそうでなかったのなら、とも付け足した。
「見目が麗しすぎますので……団の女子達が色めき立っていて、訓練や警戒に身が入らなくなると困ります」
「……ああ……一般的にはそうなりますわよね……」
わたくしも毎日拝見しているとはいえ、常々『顔が良すぎる』と認識し続けているレト王子のかんばせ。見慣れているわたくしでさえこうなのだから、初見の妙齢の女性には心を射貫いてくださいといわんばかりのもので、とってもよろしくないだろう。ある意味魔性の美貌である。
「確かにレトは特別だとわたくしも思いますけれど、あなたやジャンのお姿だって、とても女性には魅力的に映っていると思うのですが……。それに、団の男女比率としては、男性のほうがやはり多いような感がありますけれど……」
「自分はともかくとして、ジャンニは一定数の人気がありますし、数年ぶりに顔を見せたので……リリーさんのご想像の通りでよろしいかと思います。それに、久しぶりに外部から人間が来るとどうしても目立ちます。それが、あのような方だと……ええ、本当に目に留まりやすいのです」
「あらやだ、ジャンが人気だと存じ上げませんでしたわ。彼の性格は好ましくない部分があるので、深く関わらなければ、わからなくもない……といったところかしら。レトの件ですが、付き合っている……というような方はおりませんけれど……」
ここで『しかしレトはわたくしを好いておりますのよ』とうぬぼれ満載の戯言を発して、ノヴァさんにいらんことを吹き込んでしまって良いものか……。
「そうですか。では、特定の方はいらっしゃらない……と聞かれたら答えておきます」
「えっ!? え、ええ……そうです、ね……」
それでは、と今度こそ退室するノヴァさん。
わたくしはいろいろ大丈夫かなあと思いながら、返して貰った服に袖を通した。
食堂に足を踏み入れると、なんだかテーブルの一角が女性で賑わっていた。
昨日ジャンとレト王子が座っていたあたりだった気がする。
ノヴァさんの情報通りならば……ああ、本当にそうだ。
レト王子とジャンの二人は向かい合って座っており、その両側と後方などはしっかり女性に囲まれ、逃げ場もないほどだ。
周囲の女性たちは、きゃあきゃあと黄色い声を上げながら何かをしきりに二人へ告げてアピールしているようだが、レト王子もジャンも彼女たちに視線を向けず、答えようともしない。
むっつりと、黙々と食事を摂っている。
食堂はその周囲のみが密集地帯であり、席は多く空いている……むしろ誰も座っていない席もちらほらあって、ジャン達を面白くもなさそうに睨んでいる男性の姿だってあるくらいだ。
それはそうだろう……昨日ふらっとやってきた男達がチヤホヤされているのだ。
ジャンはともかく、レト王子など皆から見れば得体の知れないただの優男である。
それがこうもモテるのは……うん、悪態の一つもつきたいだろう。
「……ごめんねぇ、なんか言っても追い払っても効果無くってさぁ……」
呆然とあの一帯を見つめるしかなかったわたくしに、居たたまれない顔でステラさんが話しかけてきた。
「あ、おはようございます……昨日はああいう感じじゃなかった気が致しますが……」
「そーなのよ。レトって人……実は剣術もなかなかでね、ほら、顔も良くて腕も立つってなると、目がいってしょうがないじゃない? 若い子達はキャッキャして大変よ」
と、ステラさんはため息をつきながらレト王子のほうを見る。
ステラさんやノヴァさんも充分若いと思うのだが、確かに彼らの側にいるのはわたくし以上ステラさんくらいの年代の子達だ。要するに年頃の女子が、結構団にいるんですね……。
そういえば昨日、レト王子に魔族ですよね的に言われたようなことがあったとしても……気まずそうな様子は見えない。
ま、他の人には見せないだけかもしれないし、わたくしに推し量ることはまだ出来そうにない。
「あの光景を見せつけられている団の男性達も面白いことはないようですから……男女関係の事件が起こらないことを願ってやみませんし、わ、わたくしたちは、けっして恋愛をしに来たのではっ……ございませんのでっ……!」
昨夜のことを思い出し、わたくしはつい自分がやましい気持ちを覚えてたじろいでしまった。
しかし、それがかえって熱の入った意見だと思われたのか、神妙な顔でステラさんは頷いた。
「……本当にそうよね。ここはなにがなんでも……バシッと追っ払っておかないといけないわね。ごめんね、リリーちゃん……あなたの存在が必要だわ」
ステラさんはわたくしの肩にぽむっと手を置き、ホントにごめんねともう一度しっかり謝ってから、ずんずん向こうのテーブルに進みつつ、女子達にゴルァと声を荒げた。
「あんたたちっ、朝っぱらからサカって男にちょっかい出してんじゃないよ!」
おお、すごいぞステラさん……!
一喝で女子達を黙らせている。わたくしも見習いたいスキルだ。
『スキル:カリスマ』とか『威圧』とかかしら。
わたくしがすっかり傍観モードになっていると、ステラさんの口から容赦の無い一撃が食堂中に響くことになった。
「考えてごらん! レトさんもジャンニも、あんたたちみたいなイモ女に興味があるわけないんだよ。こいつらはとっくにリリーちゃんの男なんだ。見てごらん、あそこに立ってる美少女はね、あんたたちの身体とはいろんなとこの出来と経験が違うんだよ!」
知りませんみたいな顔で食事をしていた男二人だが、ステラさんのとんでもない言葉が放たれた瞬間、レト王子がパンを取り落とし、ジャンですら一瞬スプーンが止まった。
周囲の女性達も驚愕の表情を貼り付け……『あそこの美少女』……つまりわたくしへ視線が一気に集中した。
「…………まだガキじゃない」
「身体の経験、って……あっちのこと……?」
「確かにいろんなところがまだできあがってなさそうだけど……」
うう、頭の先からつま先まで、めちゃくちゃおねーさんたちにチェックされてますけれども……。
ステラさんが言ってた『ごめんね』の意味がようやく分かった。
わたくしを人身御供にして、この騒動を収めるつもりだな……!!
「ジャンニ、レトさん? あたしの言ったこと、なんか間違ってるかしら」
にっこり微笑んで、ステラさんは二人に矛先を向けた。
「……おれの雇用主は、おれを誰より興奮させてくれるそうだ。目を離すとすぐに男を堕とすからな……見た目はああだが、大変な悪女なんだぜ。おれももう……数日ほったらかしだ。刺激が欲しくて飢えちまう」
ジャンは大人の表情を作ると、ふっとニヒルに笑ってから……訳ありっぽい顔をして、俯いた。
あいつ絶対笑ってるぞ。
ジャン! あんたなにテキトーでっち上げてんだよ! 最高の場を提供できようはずがありませんとは説得するときに言ったけど、興奮がどうとかなんて言ってないぞ! やめてよ!
……と、ここで叫ぶことが出来ればどんなに楽だろうか。
「レトなんかガキの頃から骨抜きにされて、今も毎日メロメロだからな」
「えっ!? あ、ああ……そう、だな……本当に、そうなんだ……」
毎回空気を読むスキルに長けているっぽい……というかこういう場合は適当に話を合わせる事を知っているレト王子は、顔を少しばかり赤らめて頷いている。
「…………」
二人は助かったかもしれないが、わたくしの境遇は最悪といっていい。
おねーさまがたの刺すような視線……嫉妬・羨望・懐疑……まあ負の感情しかないものが向けられて、話を盗み聞きしていた男性達の好奇の目が向けられ、とてつもないピンチに泣きたくなってくる。
「つまり、そーいうワケだから……男漁りは止めときなさいよ。あ、リリーちゃんに何か良からぬことしようとしたら、あたしがただじゃおかないわよ」
以上です、とステラさんは話を終え、人のものと知って興味を失ったおねーさまがたは散っていく。わかりやすい。
ステラさんは睨みをきかせるわたくしの側にやってきて、てへへといたずらがバレた子供みたいに笑った。
そんな可愛い仕草しても、許しませんわよ。
「……ステラさん?? 朝から風紀的にも、わたくしの立場的にも大変なことしでかしてくれましたわね?」
「ほんとごめんね……ああしないとみんな納得できないでしょ?」
「わたくしは納得できかねます……あのように偽りに彩られた内容を告げる必要があったのでしょうか。それに、わたくしいろんな意味で合宿中、身の危険を感じますわ」
「大丈夫、あたしとノヴァががっちりガードしてあげるからね!」
ひそひそと会話を続けるが、ステラさんからは全く懲りてねえ感じがひしひし伝わる。さすがジャンの同僚である。
お詫びの印といってご飯を多くよそって貰ったが、この突発イベントのお陰で全く食欲が湧かない。
レト王子が自分の横の椅子を引いてくれたので、そこに座れということなのは分かったのだが……ジャンはニヤニヤしてるから、からかってくる気満々だというのもすぐに理解できた。
「……あなたの言い方、最低最悪でしたわ」
「そうか? おれは変なこと言ってねえぞ」
変なところだらけだよ。
「俺もジャンは真実を告げてると思う」
「あなたがたをわたくしに溺れさせた覚えは微塵もございませんのよ」
その気になっても出来そうにないのだし、そういう気はさらさらない。
「俺は割と本当にめろめろにされてるんだけどな……」
ぽつりとレト王子が漏らした言葉に、ステラさんがキャッと嬉しそうな顔をした。恋バナが普通に大好きなご様子だ。
「えっ、ほんとにレトさんとリリーちゃんは……」
「鼻息荒いですわよステラさん」
そこで終わらせる気だったのだが、レト王子は意味ありげに微笑む。
「恥ずかしいし、詳しく説明しづらいけど……ドロドロの関係なんだ。わかってるのにもう離れられない」
「……!」
はわぁああ、とステラさんは声にならない萌え感嘆(?)を息と共に吐き出し、お耳がぴんぴんとせわしなく動く。
「やだ……本当にすごいじゃないリリーちゃん……」
「…………どうも……」
なんか、多分ステラさんの脳内では年齢指定な感じで何事かが展開されているんだろうけど、レト王子は多分『彼女には婚約者がいて云々』とかそういう前置きがつくに違いない……けど、それを話すと大変ややこしいし、結局詳しく説明しても泥沼なのはホントだし、伏せてあらぬ誤解を抱かせる方が簡単かもしれない。
「……ところでステラさん、今日は何をするんでしょうか……」
もういろいろありすぎてご飯の味が分からない。それをむぐむぐと食べながら、今日の予定を聞いた。
ステラさんは、にっこり微笑んで予定を変更しようと思うの、と言う。
「あなたたち三人とノヴァを入れた四人で組んで貰って、団全員と戦って貰おうかな」
今日はきっとみんなやる気出してくれそうだし、とステラさんは恐ろしい案を出してきた。