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「コラァアッ! ケツぷりぷり振ってトロトロ走ってんじゃないよっ! ここが戦場だったら汚いオッサン達に捕まっちまうよ! アレコレされたくなきゃ、クソ弱い弓兵は逃げな!」
「なんなのその鈍くさい射撃は! うちの自警団のクズ野郎以下だよ! あたしならテメーが撃ち終わる前に15本当てて『ピー』にしてやるよ!」
「宙返りも出来ないの? 宙返り打ちなんて基本でしょ? のうのうと育ってきたクソガキにはナメクジ程度の筋肉しかないわけ? 腕立て15回やっときな!」
……あの綺麗で陽気なステラさんが口に出すのも憚られる言葉をためらいもなく言い放つような罵詈雑言の鬼と化し、わたくしに難題をふっかけてくる。
「腕立てっ、なんてっ……! さほどやった、こと……ありませんわ……!」
「口を動かす余裕があるなら10回追加ァ!」
「んっ、ぐぐっ……!」
そういえば筋トレは怠っていた……。
確かに運動能力の向上も必要になってくる、けど……野山の走り込みとかメチャクチャしんどい……。
腕立てを何とか25回終了した頃には、わたくしの額から汗がだらだらと流れてきていて、とてもビジュアルもよろしくない。
髪の毛は邪魔にならないように束ねてあるが、これも激しい運動でボサボサになりつつある。
タオルを持ち込んでくるのを忘れたので肩口で汗を拭うと、次の課題……弓の構えから射出を短縮するための練習を延々と始めた。
構えの反復に集中していると、ステラさんが『射て!』と号令を発するので、素早く矢筒から一本引き抜いて射つ……のだけど、的がどこかからサッと出るので、そこに当てなければならない。
うっかりモタついたりあらぬ方向に射ると、叱責が飛ぶ。
パワハラ・モラハラとか関係なしに実践を積む訓練だ……が、なかなかに言葉の暴力が凄い。
しかし、わたくしもある種の反骨精神が宿っているのか……やってやろうじゃないのという気力でそれに従う。
体力と気力の続く限りソレを行い続け……夕方になると、もう足腰もガクガクになるくらい疲弊してきた。
「……今日の所はこれくらいで良いかな。うん、お疲れ様リリーちゃん! よくあたしの訓練に付き合ってくれたわね!」
えらいえらいと頭を撫で撫でしてくれるステラさんは、もう既に最初のステラさんに戻っている。
「……ステラさん、訓練中に口調がとても変わるんですわね」
「あ、あはは……なんか、教え甲斐があると熱が入っちゃうっていうか……あたしにもそこはよくわかんないけど、酷いこと言っちゃったりしてごめんね?」
「ステラさんの口調もですが、訓練内容も結構効きましたわ。明日には筋肉痛になってるかも……」
「それなら大丈夫。村には温泉があるから、ご飯前までゆっくり浸かって頂戴?」
「まぁ……温泉は嬉しいです」
魔界にも温泉欲しいな……どこかからそういう温泉が湧いたりしないかな……。
「んふっ、温泉気持ちいいものね~気に入ってくれると思うわ!」
わたくしが魔界の妄想をする姿を、温泉を楽しみにしていると解釈したらしい。
ステラさんもニコッと笑った。
「――ここよ。今の時間はリリーちゃん貸し切りにしておくわね」
着替えの服を取りにいったん宿舎へ戻って……すぐ隣に、ログハウスみたいな可愛い小屋が一軒建っている。これがお風呂らしい。
『貸し切り 入ったら殺す』という物騒な札が入り口に下げられた。
「それじゃ、ごゆっくり……」
「あら、お待ちください。ステラさんも泥だらけではございませんか。女同士ですもの、一緒に入りましょう?」
わたくしは決してやましい気持ちでお風呂に誘ったわけではない。
同性だから別に大丈夫だろうという気持ちで言っただけだ。
「えっ……」
すると、ステラさんはあからさまに挙動不審になって、わたくしを見た。
「そ、それはダメなのよっ……! あたし、その……まだ仕事あるし、身体にいっぱい傷とかあるし、人と入るの……っていうかこんな可愛らしい女の子とはやっぱり恥ずかしいし……ごめんなさいね」
自分の身体を腕で隠すようにして、ステラさんは申し訳なさそうに視線を逸らす。
嫌なことを無理強いするつもりもないし、一人でゆっくり入って良いならそうさせて貰おう。
「わかりましたわ。こちらこそ申し訳ありません」
「い、いいのいいの! そうよね、普通は別に良いかなって思っちゃうものよね……こっちこそごめんね、せっかく誘って貰ったのに」
「ふふっ、それでは、温泉、ゆっくり入らせて頂きます」
「はーい」
泥だらけになった服……は、ここで洗っちゃまずいわよね。
明日着る服がなくなっちゃうから、お風呂上がりに洗濯場を借りよう。
なるべく泥を床に落とさないように脱ぎ、下着も外し……たところで、ドアがノックされる。
「はっ……はいっ!?」
慌てて前をタオルで隠し、ノックに反応して返事をすると、入ってよろしいでしょうかという男性っぽい声が聞こえた。ステラさんではない。
「えー、えーと、男の人はいけませんのよ、でも女の人なら……」
「……失礼します」
間を置いてそう答えると、がちゃりと鍵が開く音がし……入ってきたのは、ぴったりした服に身を包んだ……紫髪の男の人だった。
「…………」
彼は何事もなく鍵を閉め直すと、わたくしにくるりと向きなおる。
その目は努めて冷静なもので――……って、普通にやべーじゃねーか!! チカンだ!!
「――……ッ」
わたくしが悲鳴を上げようと息を吸い込んだ途端、その人は驚くほど素早く動いて――わたくしに肉薄すると、身じろぎする間も与えず口を手のひらで覆い、タオルを押さえていた手首までもを握られる。
なんということだ。チカンにしては手慣れすぎている。
身を覆っていたタオルが落ちそうになったから、慌てて押さえようと力を入れたのだが……虚しくも手を封じられていたため、何も出来ない。
タオルがはらりとめくれそうになった瞬間、慌てて男の人が押さえてくれた。
……が、これはつまりわたくしは誰にも見せていないし触らせてない胸を、見ず知らずの男子に触れられてしまったわけだが……!! サイズが大きいとか小さいとかは関係なく、この男性はわたくしの身体に触れてしまったのだ! 事件だ!!
「んんーーー!! んー!」
必死に抵抗したが『困ります』と丁寧な言葉で困惑の意を告げられるだけで、手を離そうとはしない。絶賛困っているのはわたくしの方だ。
助けてステラさん! 文字も読めず、言っていることも分からない人が入って来た!
ジャン、レト王子、助けてください……! あーだめだ、あの二人にこんなの見られてはこの人殺されてしまう……! ていうかわたくしの裸見られたくないけど今現在見られてるし!!
「お静かに。騒がれては誤解を解くのに大変困ります」
「んっ、ふも、もがももっ……!」
「この状態では弁解にも無理はありますが……決して自分は婦女子に暴行を働きに来たのではございません。どうか、信じてください」
なんだぁ、そうだったのかぁ――……なんて信じるかッ!!
「……驚かせて申し訳ありません。もう少し早いタイミングだったら良かったのでしょうけれど……自分はステラの弟……ノヴァ・レイディアント・フューリーと申します。ノヴァとお呼びください」
「…………んふふ? んふんふふ?」
なんかゆるいキノコみたいなしゃべり方になってしまったが、口も押さえられているので、わたくしは思うように話せない。
でも、ホントに? 的なニュアンスは伝わったらしく、彼……は頷く。
そっとノヴァくんはわたくしから手を離すと、失礼しましたと謝罪する。
「そうでしたの、弟さん……弟……??」
……やっぱり男なんじゃねーか!!
「だっ、男性がわたくしの、おっぱ……、お胸を、なっ、ななっ、なんてことをしてくれましたの!? もう人を呼びますわよ!!」
「お、お許しを。アレは事故です! どうか落ち着いてください」
本当に危害を加えるつもりもないのですと真剣に謝罪を繰り返すので、だんだん気持ちは落ち着いてきたが……警戒しながらわたくしはタオルをぎゅっと握って睨み付けた。
「まだわたくし恐怖と驚きで心臓がドキドキしてますが……そういえば用事がおありのようですわね……?」
冗談抜きで貞操の危機かと思った。
そう告げると、ノヴァさんはすまなそうな顔をして目を伏せた。
「ステラが、リリーさんの服を明日使えるよう洗ってあげてくれ……ということでしたので、取りに伺いました。すぐにお伺いしたつもりだったのですが、本当に……すみません」
「……それは助かりますけれど、洗濯が出来る場所を教えて頂ければよろしいのに……」
「後ほどお伝え致しますが、明日の天気は良くないので、本日の所は先に洗って干したいと考えています。ですので、今日はお任せください」
お任せくださいと言われても、なぜ見ず知らずの男性に服を渡さなければならないのか……。
しかもわたくし裸のままなので、ここで渡す渡さないという問答を長時間するのも嫌だ。
「……渡さなければ、なりませんか?」
「そのほうが時間もかからずにありがたいのですが……必ず明朝までには乾かしてお部屋にお持ちします」
「…………わかりました。必ず返してください」
それでは、とたたんだ服を渡すと、下着もといわれたので、これは強固に辞退した。
替えは一応多めに持ってきているし、心を開いた間柄でもない人に、ぱんつ洗って貰うわけには……。
ステラのもいつも洗濯しているので大丈夫ですから、と、何が大丈夫なのか分からないが、やや納得いかなそうな顔をするノヴァさん。
わたくしがそれでも嫌がったので、それではこれだけお預かりしますねと深々礼をしてくるりと踵を返す。
「……あ、扉を開けますので、浴室に先にお入りになった方が……外に誰もいないとは限りませんので」
「は、はいっ……!」
わたくしは身体を隠しながら、慌てて浴室に飛び込んだ。
まあ身体を見られたわけでもないし、事故で触れてしまった以外には何もなかったのだが……なんか、とんでもないことだったなあ……。
誰かに言うわけにもいかないし、本人もその気があるわけじゃ無いだろうから記憶から削除するのがよろしかろう……。
そう考えて身体を洗っていると、外からステラさんの誰かを叱咤する声が聞こえた。
「あんたたち! 覗こうとかバカなこと考えてると、ジャンニにぶっ刺されて殺されるわよ!」
直後に聞こえる、ひぃっという情けないいくつかの悲鳴。
……名前を出しただけでこんなに怖がられるなんてジャンはいったい、ここの皆さんに何をしてきたのだろう。
ていうか『殺されるわよ!』って、死ぬのは確定なのか……。
ステラさんも過激なことを言うなあ。まさか自分の弟が、事故とはいえ客人の脱衣現場に現れたと知ったらどうなってしまうのだろうか。
とりあえず、ドーナツお兄さんのお名前のおかげか、わたくしはその後ゆっくりとお風呂タイムを堪能し、疲れを癒やすことが出来たのである。