「教会の前で、あんまりギャーギャーやるの止めてくんねーかな。目立つと困るんだよ」
「そ、そうですわね……ごめんなさい」
わたくしがそう謝罪するのだが、気にした風もなくジャンはセレスくんに近づき、まじまじと彼の顔を覗き込む。
それがなかなかに興味のなさが如実に表れた不躾な視線であったので、わたくしから見ればアレな人に司祭様が絡まれているかのようにも見える。
当然、ガンつけてくる謎の男にたじろいでしまうセレスくん。
「教会も、ご子息が婦女子の肩を掴んで何か口論していた……なんて悪い噂が立つと困るだろ? 神は常にあなたたちを見ています……清く正しく、全ての人へ慈愛の心を持って奉仕の精神で生きるのです」
最後だけ教会の教えっぽいことを厳かに言い放つが、これは一体どの口で言うのか。
だいたい朝は一番最後に起きる・ご飯は手伝ってくれない・暇だとゴロゴロしている……という、奉仕の精神やらとは真逆にいそうな生活を、日々ジャンは送っているのだ。
そしてこういうときは大抵人をからかっているのだが、こんなの初見のセレスくんに回避することは出来ないだろう。
その予想は違わず、彼はハッとした顔をし、その通りですと言いながら頷いていた。
「神に仕える者が、これではいけませんね……つい熱くなってしまいました」
お許しを、と十字を切る仕草をして、セレスくんはいったん落ち着いてくれたようだ。
ジャンもそれでいいと言いたげに頷き、わたくしに向き直る。
「――そんじゃ、こっちも買い物済んだしそろそろ帰るか」
「ええ、すぐにそう致しましょう……」
またセレスくんが昂ぶる前に……と思ったが、待ってください、とセレスくんが制止の声を発する。やっぱりこうなるか……。
「話がまだ終わってません。きちんと了承をしてくださるまで、私は諦めませんよ」
「……そういや何の話をして、教会とこじらせてんだ?」
会話の内容などを聞いていなかったジャンが、わたくしとレト王子に説明を求める。
わたくしに代わって、セレスくん直々に事情を説明してくれたが、聞いているジャンの表情は、だんだん辟易したものに変わっていった。
「……要するに、これが戦乙女で、こっちが聖人級……もしくはそれ以上の資質がある。だから、人類を救う使命があるに相違ない、と?」
「その通りです」
ジャンの理解力に満足したらしいセレスくんが力強く首肯したが、それは万が一にも無いと、すぐにジャンからバッサリすっぱり言い切られた。
「このガキ共に、地上を救う力があるわけねーだろ。巡り会ってどっちも運が悪かったな」
おお、さすがだよジャン……! 口は悪いが、やはり頭の良いっぽい剣士だ!
しかし、セレスくんはそんなことで退かない。
「あなたが信じなくとも、私は彼らに高い資質を見いだしました。その力を遺憾なく発揮するため――私が彼らを導きます」
「あんたの力は別のところで発揮するべきだぜ。悪いことは言わねぇから、別の奴を探せよ」
そうだそうだ。アリアンヌは王都にいるはずだぞ。
セレスくん自身王都に行くって言ってたし、メインヒロイン様が今年大聖堂に行くかは分からないから、今回見いだせるかは分からないけど。
「いいえ。絶対に、間違いありません。リリー様は戦乙女の再臨でしょう」
「……これだから堅物は嫌なんだよ。自分の勘は間違ってないって譲らない」
「実際に、こんなに強い精霊の気配や、大きな輝きを持つ力などを感じたことなど今まで無いのです」
大きな輝きかあ。
そういえば、わたくしの力って、ヴィレン家の皆様にはどんな感じで理解できたのだろう。後で聞いてみようかな。
わたくしは既にこの状況に飽きてきて、少しばかり別のことを考え始めていた。
「レトやリリーの力になりたいとか、そういうんじゃない。あんたは自分が満足することしか考えてないんだろ? そういうのはちょっと、良くないんじゃねえか」
わたくしの名前が急に出てきたので、はっと我に返る。
あれ、今ジャンがわたくしの名前を初めて呼んだのでは?
嬉しいとかではないけど、なんか……ちょっとだけ嬉しい? のかしら。
こんなことでときめいたりなどしないけどね!
……でももう一回ちゃんと聞いておきたいな!
「仮に、レトたちが教会や王家から追われるようなことをしたとして。あんたはその二大権力に抗ってでも、あいつらを助けるようなことはできるか? 恩人や教会に背を向ける覚悟があるか? 人の人生を無理に変えて、いざ何かあったら責任が取れないってなったら、あいつらは困るどころじゃ済まないぜ」
少しばかりボーっとしていたときに、既に話は込み入った方向になっていたようだ。
エリクとジャンを引っ張り込んだわたくしにも、すごく耳に痛い言葉なのだが……レト王子も思うところがあるようで、ジャンの言葉を重く受け止めている。
セレスくんは自分の手をお祈りをする時みたいにぎゅっと握り、こくりと頷く。
「――二人を支えることが世界を救うことに繋がるのでしたら……私は自らが持つ全てを棄て、手を差し伸べましょう」
「はぁ?」
おっと。あまりの荒唐無稽ぶりに、ドーナツお兄さんが困惑したぞ。
「おれが言ってる意味、分かってるか? 他人の人生を変えて自分の信じる方向で思い通りにしようって奴が、そいつの窮地を助けるために命懸けで……尽力できるかって事だぞ?」
「ええ。ですから、そうなったときに私は自らの全てをなげうってでも助けると……救えるなら、喜んで」
「やべぇな。言葉は通じてんのに意味が全く伝わらねぇぞ……」
良くも悪くもジャンをもってして『やべぇ』のか。これは相当だ。
「まだ少し興奮されているのかもしれません……セレスくん。とりあえず……あなたの人生で分岐点が来たと思われるくらいには真剣に考えてくださいませ。あなたの熱意や信念を笑うつもりは毛頭ございませんが、世界を救うとか全てをなげうつ覚悟なんてお話、いささか急すぎます」
面倒になったジャンが剣を抜く前に、セレスくんに冷静になって貰わねば。
普段からラズールの皆さんやお父さんのためにと頑張っているのに、凄い力を持った奴が出たからこいつを指導するんで他のことはどうでも良いや、なんて考えに至るはずがない。
「全てというのは彼が言ったとおり、セレスくんを育ててくださったお父上やこの国、地域の方々……『今まで築きあげた全て』を……神への信仰や人々の信頼というものを、あなた自身から手放すのとほぼ同義かと存じます。そんなことをされるおつもり?」
「リリー様……」
落ち着いてきたのか、セレスくんは先ほどよりも大人しくなってきた。
よーしよし、話せば分かる子だとわたくしも思っていましたよ。
「セレスくん。あなたがようやく出した自らの意思は『世界を救うため』という言葉に全て集約されているようですが、資質だけを見抜いても、その力の本質や為人は分かりませんでしょう? わたくしが実は戦乙女とは違う……人間にとって害を為す『良くないもの』であったなら、セレスくんの人生がまるっきり無駄になってしまいます……わたくしたちは、その可能性を憂慮しておりますのよ」
わたくしに魔界を導く資質があっても――戦乙女ではない。
残念ながら、セレスくんの期待にはどうあってもお応えできないのだ。
「しかし――」
「ですから、少し時間を設けて互いにきちんと考えましょう。もしもあなたが本気で……全てをなげうっても構わない、なにがあろうとわたくしたちを裏切らず、共に倒れるまで居ると……そうお考えでしたら、三日……そう、三日後の夜、19時。ラズール市街から出た先、すぐに見える森にテントと寝袋をご持参の上、たったお一人『だけ』でお越しください――ああ、もちろん……当然の条件としてこの話も秘密も……誰にも一切漏らさない。それは守れますわよね?」
わたくしの提案が何を意味するか分かっているレト王子は露骨に嫌な顔をし、ジャンは面白いものでも期待しているかのように薄く笑う。
セレスくんはぱちぱちと目を瞬かせ、三日後の夜ですねと念を押す。
「ああ、もしも途中で考えが変わったり、無理だとお考えになったら、その場にいらっしゃらなくて大丈夫ですわよ。遅れて到着されても、どなたかを随伴させてもこの話は無効です。今までのような、顔見知りのお付き合いのみを致しましょう?」
「わかりました……しかし、なぜ市街に出る必要があるのかは分かりませんが……考える時間を頂けたことも感謝を」
「ええ……この話は最初で最後、そうあっていただきたいので」
わたくしはそう告げ、それではごきげんよう……と一礼し、その場から離れた。
「――バカなんだね」
魔界に戻って、天才錬金術師エリえもんに『人の記憶を無かったことにするメカ』的なアイテムが作れないかを泣きついて頼んだところ、事情を話して欲しいと神妙な顔をして言われたので、一部始終を話し……一呼吸置いて返ってきた言葉がそれだ。
「いや、相手もかなりのものだぞ」
ジャンはテント内で横になるくつろぎの体勢で、わたくしとエリクのやり取りを見ていた。
「全く……例の女の子がどうのこうのより厄介になったじゃありませんか。教会なんて、錬金術師にとって天敵のような関係です。関わるとロクな事がありませんよ。やめておきなさい」
「え、そうなのですか?」
「どのような理由であれ、ただの人間が無から有を作り出そうとする。神の領域に近づこうというのです。そんなこと、神だけの力と信じる教会から目の敵にされて当然でしょう」
「まぁ……。それでは錬金術師の村ディルスターには、教会がないのでしょうか」
狭い村だし、思い出せる限りではそういうのもなかった気がする。
「神を信仰する錬金術師もいますが、教会はありませんね。わたしは神を信じていませんから、教会があってもなくてもどうでもいいですけど、冠婚葬祭があると困ります」
確かに、そういう行事があると困りそうだ。村長さんが代わりに取り仕切るのかしら。
「それで、交渉がうまくいかなかった場合に備え、記憶を消す方法を……」
「それは魔術の領域ですから、レト王子に聞いてみたらいかがでしょうか。錬金術で人をどうにか出来るのは精々眠らせたり、意識を朦朧とさせたり……あとは媚薬や香を作るくらいです」
記憶を消すのは魔術かぁ……。
やっぱり錬金術でも万能ということはないらしい。
「爆弾チラつかせて脅せば一発だろ」
「あなたの場合は本当に跡形も無く吹き飛ばしそうなので嫌ですわ」
うっかりしてないのに『うっかり火をつけちまった』とか言いそうだもの。
彼らの寝床を出たその足で、レトえもんにもエリえもんと同じ事を聞いてみたが……。
「それは出来るけど、やるならリリーにかけたい」
真顔でそんな怖いことを言われてしまった。
「なぜ……」
「だって、すぐに人を引き込もうとするし、問題にばっかり首を突っ込むし……今回だって、あの司祭に目をつけられて大変なんだぞ。だから、リリーがもう少し慎重で大人しくなるよう暗示を掛けようかなって何回思ったか」
「…………気をつけますわ、諸々」
「そうしてほしい。俺は魔術で人の心を操るとか、記憶を変えるとか……そういうのは嫌だから、どうしても、の場合以外はやりたくない」
真面目な顔でそう言われたので、わたくしは軽率にそういった魔術を求めたことを謝罪すると、レト王子がわたくしの頬を撫でた。
「人心掌握の魔術は、俺も父上も片手間でできる。その気になったらリリーにも……かけることができるんだよ」
「わ、わたくしに魅了などは効きませんわっ。ていうか効いてませんでしたもの! それは実証済みでしょう?」
「そう? そんなに意地悪言うなら今試そうか……?」
多分……効かないのだけど、こうして妖艶に微笑まれるのはちょっと困る。
なんか妙に自信満々だし、実は今まで加減していたっていうパターンかもしれないじゃない。
レト王子がわたくしの額に指を置き、目を細め――……。
無理だ、ムリムリ。
「――~~~~何度やったって、き、効きませんわよっ!」
わたくしは声にならない叫びを上げながらレト王子の腕を掴んで額から引き離すと、僅かばかりの意地を張った。
「はぁ、わたくしだから良かったものの、普通はだめですわ。取り返しのつかないことになったら困りますもの!」
「そうだよ。人心掌握の術って、心に根付くんだ。ものによっては解いた後でも残ってしまう。だから、そういうのはやめておこうね」
そうか。無理に記憶を奪ったり、誰かを好意的に思ったり、殺意を抱かせたりなど……それは対象の心や精神に強い負担がかかるのか。
それなら、優しいレト王子のお心からして……やりたくないはずだ。
「あの司祭、諦めてくれたら良いね……本当に」
「そうですわね……」
自分で先延ばしにした提案ながら、我々が言葉の端々でさんざん伝えたものをヒントにして、しっかり己の心と向き合って考えて欲しい――そう思って止まないのであった。