食事と入浴を終え、しばし部屋のベッドに寝そべってだらしなく足をぱたぱた動かしてみたり、ゴロゴロとくつろいでいると……小屋の扉がノックされた。
「……どなた?」
「俺だよ、リリー」
レト王子だ。そういえば、精霊の加護を得るため練習しようって話をしていたのだった。
「あっ、少々お待ちくださいませ!!」
わたくし、薄い部屋着だしほぼ寝る体勢だった。
急いでベッドから飛び起き、上着を羽織って前を閉じると、小屋の扉を開き……レト王子がこんばんは、と、緊張しつつも顔を赤らめて立っていた。
手に持ったトレーには二つのカップとティーポットというセットがあり、わざわざお茶のご用意までしてくれている気の利き加減は、もはや執事か何かなのだろうか。
「喉が渇くと思ったから……は、入って良い、かな……?」
なんで部屋を訪ねてくるだけなのに、そんな熱っぽい視線を送りながら来るんだ。
「……どうぞ」
どこでレト王子のデレスイッチが入るのかいまいち分からない。
わたくしに促されるまま、レト王子は珍しそうに部屋をあちこち視線を走らせる。
「し、失礼します……ああ、ここがリリーの部屋……」
「……ここが……リリーの部屋……?」
急に先ほどと変わって温度差がある。今のは落胆の色が大きい。
「ええ……確かにわたくしの部屋ですけれど……なにか、ございまして?」
「飾り気がなさすぎるね……。来た当初とほとんど変わっていないじゃないか」
「ああ、そうですわね。壁が出来るまではスライムがよく出入りしておりましたから……物を置くのは不安だったのです」
ゴーレムくん達の働きにより、壁の穴が塞がれたのでスライムに侵入される不安はないのだが、必需品は上に置いてあるし、自分の部屋の調度品にまで気を回していなかった。
言われてみれば確かに、部屋には備え付けられていたテーブルと椅子、ベッドと大きめの本棚(兼、服をたたんで置く場所)くらいしかないので、ミニマリストなのかと思うくらいに物がない。
「必要な物は買うといいよ。リリーのためなら、大物でも買って運ぶよ」
「ありがとうございます」
「当然のことだ」
紳士的なことをいいつつもレト王子自ら紅茶をカップに注いでくれて、わたくしの前に置く。
少しだけ渋く感じる紅茶を飲んでいると、レト王子が隣に椅子を持ってきて座った。
な、なんだ? 急にじっと見つめてきて……。
「早速だけど、リリー。目を閉じて……」
「ふへぇっ?! 目ですかっ? な、なんで、なぜです?」
こんな近くに座って見つめてきたと思ったら目を閉じろなんて、どういうことをさせる気だろうか。はしたないぞ……!?
「精霊と繋がりを持ちたいと言っていたから、その練習。集中するから目を瞑る方がやりやすい」
「――……あ、ああぁ! そうですわよね! うん!」
他にあるのかというような顔をするレト王子に、わたくしは己のやましい気持ちを見せないように明るく振る舞う。
不思議そうに首を傾げていたレト王子が……どうやら感づいてしまったらしい。
「もう……違うよ、リリーのえっち……そういうのは、俺たちがもうちょっと大人になったらね」
レト王子はくすっといたずらっぽく笑って、自らの唇に触れる。
なんか女の子かよってくらい柔らかそうな……いや、違う違う。どこ見てんだわたくし。
……これは、いつぞやの仕返しのつもりだろうか。
しかも『もうちょっと大人になったら』って……するつもりでは、あるのか……。
そんなことを考えたら、急に顔が熱くなってきたので慌てて冷まそうと頬を叩いた。
レト王子もそんなわたくしの態度が予想外だったのか、困ったようにお茶を飲んで誤魔化している。
違うんです。違うんですよ。決して推しを、えっちな目で見ていたわけではないんです。
ただ、結果的にエロガキみたいになったのはわたくしのほうだった。
大変申し訳ないと心の中でレト王子に謝罪しつつ、己の汚れた心を恥じてお茶を頂き、カップをテーブルに置く。
「さ、レト王子。精霊さんの修行のご指導、よろしくお願い致します」
気持ちを切り替えて自分の太ももの上に手を置き、目をゆっくり閉じて、集中する。
「額に指を置くから、そこに意識を集中するようにしてみて。精霊の声を聞かなくちゃいけないとか、そういうことは考えなくていい」
「はい……」
やや冷たいレト王子の指先が、わたくしの額に触れる。
大丈夫かしら。おでこが皮脂で汚れてないかしら……そういうことも考えないようにして……指の感覚に意識を……。
ふれ合っている場所、額の一部分にチリチリする感覚がある。
そのままそれを感じていると、頭の中にざわざわというか、モヤモヤというか……何か、ノイズのようなものが出た。
「なにか頭に……雑念というか雑音というか、形にならないモヤモヤしたものが……」
「頭の中に広がったものを、一つに束ねるようにして集めるイメージをとってみて。うまくいかなくても焦らなくていいから」
アドバイスを元に、頭の中に広がった実体のないものをふわふわとかき集め、紐のようなものでまとめるようなイメージを取ってみるが……額のチリつきは強くなる。
もう少しでコツが分かりそうだというのに、掴もうとした手をすり抜けていくような……纏まりきらない『何か』が少しばかりもどかしい。
「……だめですわね。うまく纏めようとすると、ふわっと消えてしまうような」
「精霊達は『ここ』にいるんだ。リリーはまだ精霊と親しめていないから……毎日少しずつ、語りかけるようにやってみてごらん」
「レト王子は一体いつ頃から、彼らと会話を……?」
精霊達と会話する……そんなスピリチュアル世界のようなことを、レト王子も行っていたのだろうか。
「父上はああいう感じだったし、気兼ねなく話が出来たのはスライムと精霊しかいなかったから……気がついたら彼らと話をしていた」
――また重い話が出て……なんか、聞かなければ良かった……。
「それではわたくしが、レト王子にとって人間と初めておしゃべりした相手……ですわね」
「ふふ、そういうことになるかな。窓を突き破って入ったときには、リリーはとってもびっくりしていたなあ……」
あの登場でびっくりしない生物は、この世にそうそういないのではないだろうか。
しかも、こちらにとっては黒い獣など無印版死亡フラグだ。
リメイクは続編という位置づけではないけれど、リリーティアお嬢様のトラウマになっていたっておかしくない。
「――名残惜しいけど、そろそろ部屋に戻るよ。今日はリリーを振り回してしまったからね、疲れただろう……」
「いいえ、そのようなことは……レト王子の方がさぞお疲れになったことでしょう。本日は本当に、いろいろとわたくしの要望を聞いてくださってありがとう存じます」
朝はどうなることかと思ったが、わたくしにとっても、魔界の調査という点でも、とても有意義な一日だった。
すると、レト王子はティーセットを片付けながら満足げに微笑む。
「リリーを独り占めできたから、俺にはそれがご褒美だよ」
「……それは、どうも……」
くっ……。こんなとんでもなくクサイ台詞を吐いた後で爽やかに笑っていられるなんて、やはり王子と呼ばれる存在は違う……。
「それじゃ、おやすみ。また明日」
「ええ、おやすみなさいませ」
扉が閉められ、部屋にはわたくしだけになる。
ベッドに横になると、どうやら疲れていたらしく……じわじわ眠気がやってきた。
……とろんと微睡みつつ、今すぐにも眠気に負けそうな目でレト王子が座っていた椅子を見つめる。
ほんの数分前までは、そこにレト王子がいらっしゃって……自分の部屋だというのに、なんだか不思議な感じだ。
少しだけ余韻に浸っていた自分に気付き、その思いを振り払う。
今日はずっと一緒だったから、いないことに不思議な感じがしただけなのかもしれない……。
ただ、それだけだと思う。
楽しかったから嬉しいような、そこに誰も居なくて寂しいような……自分でもよく分からない気持ちを抱えたまま、わたくしはそのまま眠ってしまった。